オーストリアの天才画家エゴン・シーレは、当時猛威を振るっていたスペイン風邪にかかり、28歳の若さで命を落としました。
お札の顔にもなった明治の女流小説家、樋口一葉は、当時不治の病とされた結核を患い、わずか24歳で生涯を閉じました。
『一握の砂』で有名な歌人・詩人の石川啄木も、同じく結核により、26歳という若さで亡くなっています。
アメリカの映画俳優ジェームズ・ディーンは、人気絶頂のなか突然の交通事故により、24歳にしてこの世を旅立ちました。
『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクは、ナチスによるユダヤ人迫害により、15歳の若さで不条理な死を遂げました。
過去の偉人について調べてみると、若くして非業の死を遂げていることを知り、驚かされることがあります。
夭逝が惜しまれます。
「さあ、これから」という大事なときに命を落とすのは、さぞ無念に違いありません。
どれだけ素晴らしい才能があっても、若くして亡くなることがあります。
私たちも、生まれた場所や時代が違っていれば、スペイン風邪や結核におかされ、命を落としていたかもしれません。
思わぬ事故に遭って、急死していたかもしれません。
あるいは、自分ではどうしようもない時代の不条理に翻弄されて、非業の死を迎えていたかもしれません。
私たちは「生きていることは当たり前」と思いがちです。
しかし、そうではありません。
たまたま病気にかかっていないだけです。
たまたま事故に遭っていないだけです。
たまたま戦争のない時代に生まれただけです。
少しでも生まれた場所や時代が違っていれば、自分も若くして命を落としていたかもしれません。
これは、高度に発展した現代社会でも同じことがいえます。
医療が発達した現代でも、治せない難病があります。
便利になった現代でも、防げない事故があります。
重い病や突然の事故のため、若くして生涯を閉じる人もいます。
長生きをしたくても、できないことがあります。
生きていることは当たり前ではありません。
生きていることが奇跡です。
今こうして生きていることに感謝しましょう。