考えてもわからないことを考えていませんか。
没頭して深入りしていませんか。
考えてもわからないことは、いくら考えたところでわかりません。
曖昧な答えは出ることはあっても、明確な答えが出ることはありません。
日常には、考えてもわからないことが存在します。
これだけ科学が発達した現代でも、まだまだわからないことは多数あります。
気になって、思いを巡らせることがあるでしょう。
イメージを膨らませ、いろんな世界を空想することがあるでしょう。
もちろん気晴らし程度ならいいのです。
興味関心を満たすことで、有意義な時間を送れるでしょう。
答えが出ないとわかっているうえで、わくわくどきどきした時間を楽しむことも悪くありません。
しかし、深入りは禁物です。
魂の存在や死後の世界のことは、いくら考えたところでわからないことです。
専門家が説法することはありますが、本人が直接そこに行って確かめたわけではありません。
「こうではないか」という想像のもとに話をしています。
現代の科学を結集させてもわからないことがあります。
最高レベルの科学者たちが協力してもわからないことを素人が考えたところで、わかるはずがありません。
考え始めると、切りがありません。
いろいろな仮説を立てることはできますが、明確な結論は出ないでしょう。
どんなに考えたところで、結局のところ、わからないことに変わりありません。
はっきり結論が出ないまま、どんどん時間が過ぎていきます。
考えてもわからないことに没頭すると、悩みの森に迷い込んでしまいます。
「世の中には、いくら考えてもわからないことがある」
まずこの事実をきちんと受け止めることです。
考えてもわからないことはどうするか。
「気にかけない」が一番です。
どれだけ考えたところで明確な結論は出ないのですから、気にかけないほうがいい。
気晴らしや興味関心で考えることはあっても、深入りしないことです。
考えてもわからないことはそのままにしておきましょう。
専門家に任せておけばいいのです。
私たちは物質の世界に生きているのですから、死後の世界・精神の世界・無限の世界にとらわれないことです。
いずれ解明される可能性もゼロではありませんが、あなたが深入りすることではありません。
考えてもわからないことに深入りしないことです。
気晴らしで考えるくらいにしておくことです。
あるいはロマンを語るくらいにしておくことです。
少なくともその道の専門家でなければ、深入りしないのが賢明です。
私たちのリソースは限られています。
体力も精神力も有限です。
自由に使える時間も手持ちのお金も限られています。
私たちは今を生きているのですから、できるだけ現実のことに集中するのが得策です。
余計なことは考えません。
前を向いて、今を生きましょう。
やるべきことをやりましょう。
私たちのリソースは、できるだけ価値あることに有効に活用するのが得策です。
考えてもわからないことに没頭するより、現実を生きることに没頭するほうが健全です。
私たちが生きているのは「現実」です。
「今」であり「ここ」です。
今を生きて、目の前のことに集中するのが、賢明な生き方です。