「責任」
この言葉を聞いて、どんな印象を受けるでしょうか。
明るい印象を受ける人は少ないでしょう。
責任は、誰でも負いたくないもの。
「責任を負うのが好き」という人はいないでしょう。
責任を負うことは、重い行為です。
万一のことがあったとき、ひどく叱られたり評価を落としたりなど、痛い目に遭います。
迷惑をかけることがあれば、謝罪の必要もあります。
場合によっては、多額の賠償金を支払う必要も出てきます。
「うまく責任から逃れられるなら、それに越したことはない」
保身を第一に考えると、責任逃れを考えるようになります。
しかし、ここが要注意です。
責任逃れを考えるのは、高度な計略が必要になります。
「どうすれば責任から逃れられるだろうか」
「責任を分散させるにはどうすればいいだろう」
責任逃れを考えると、つまらない計略に頭を悩まされることになります。
少しでも責任を受けたくないと思うと、なおさら入念な下準備が必要になります。
時には嘘をついたり悪知恵を働かせたりしなければいけないこともあるでしょう。
うまい言い訳や責任転嫁の方法など、卑しい考えも浮かんできます。
それは不誠実なことであり、人としての道義に反します。
責任逃れの方法は、簡単に見つかるものではありません。
自分の行いにもかかわらず、自分が責任を負わないのは、不自然なことです。
責任逃れを考えても、話のつじつまが合わず、なかなかいい方法が浮かびません。
たとえアイデアが浮かんだとしても、不誠実な方法になってしまい、自責の念や良心の呵責に悩まされます。
責任逃れを考えているから悩むのです。
では、悩まない生き方をするにはどうすればいいか。
ここで大切になるのが「自己責任」です。
自己責任になればいいのです。
「自分の行為の責任は、自分が負う」
そう考えれば、もう悩むことはありません。
何かあっても、痛い目に遭うのは自分です。
自己責任になれば、自己都合で判断や決断ができます。
責任逃れに悩まされることがなくなります。
つまらない計略に頭を抱えることはありません。
嘘をついたり悪知恵を働かせたりする必要もなくなります。
進みたい道を進めます。
選びたいものを選べます。
意思決定がスムーズになり、シンプルな考え方ができるようになります。
「これをします。何かあれば、私が責任を取ります」とはっきり主張できます。
自己責任になることで「正しい行動をしよう」という意識が高まり、分別のある行動ができるようになります。
もちろん過失があれば、自分が責任を負うことになりますが、あらかじめ覚悟が決まっていることなので受け入れられます。
自己責任になれば悩まないのです