重大な失敗をすると「人生が終わった」と思います。
年齢を重ねてから夢を持っても「今さら努力をしても無駄」と思うかもしれません。
取り返しのつかない罪を犯せば「大変な人生が待っている」と思います。
やり直せないいちばんの原因は何か。
時間やお金が足りないことでしょうか。
運やチャンスがないことでしょうか。
「人生をやり直そう」と思うだけでもすごいことです。
人生をやり直すべき場面があっても、多くの人はなかなかそう思いません。
「やり直しても仕方ない」
何もせず、ぼうっとしているだけで、人生が挽回することはありません。
何もしなければ、何も起こりません。
それが現実です。
今、リバウンドのチャンスが与えられています。
リバウンドと言えば、まずダイエットを想像することでしょう。
たしかにダイエットのリバウンドはよくありませんが、リバウンドしたほうがいいときもあります。
心理学で、興味深い実験があります。
あるところに、おりの中にゾウを入れ、鍵をかけました。
閉じ込めたのです。
道端に転んでけがをしたとき、不思議な経験をしたことはありませんか。
足を擦りむいて、血が流れます。
傷口が痛みますが、歩き始めると、なぜか痛みが治まります。
頭のいい人は「危ない」が、口癖です。
子どもより、大人のほうが「危ない」とよく言います。
大人でも、高学歴の人ほど「危ない」とよく言います。
自分が嫌になることはありませんか。
人を助けることもできない。
人を喜ばせることもできない。
読みものを楽しんでいると、ある言葉がふと目に留まることはありませんか。
普通に読んでいると、ある言葉に心が引かれることがあるでしょう。
その活字だけ浮き上がって見える。
人は、何かを発言するとき、人目を気にしやすいものです。
「それは違う」と、否定されたくは、ありません。
やはり、人から褒められたり認められたりするような意見を言いたいと思うものです。
困っている人を助けようとしたとき、助けようとしていた自分まで、ダメになることがあります。
いわゆる共倒れです。
無理な助け合いをした結果、お互いにやっていけなくなるのです。
いつからでしょうか。
私たちは、何かがあるたびに、善しあしを区別する癖があります。
リラックスできるのは良いことと考えますが、緊張するのは悪いことと考えます。
今あなたは、鍵のかかった密室に閉じ込められています。
手元に、鍵はありません。
鍵がどこにあるのかも、わかりません。
生まれたときから家が裕福なら、苦労はしません。
生まれたときから、裕福がすでに実現されています。
お金や衣食住が、十分すぎるほど、たくさんある状態です。
「疲れたなあ」
そう思ったとき、疲れの様子を振り返ってみましょう。
疲れなんて同じではないかと思いますが、違います。
「難しいに決まっている」
そう考えると、先が思いやられます。
行動する前から、行動してからのことを想像してしまいます。
お金もない。
仕事もない。
妻も子どももいない。
「絆」という言葉があります。
絆とは、人と人との強い結びつきです。
「家族の絆が強まった」「私たちには強い絆がある」などと言いますね。
ふとしたトラブルで、いらいらすることがあります。
いらいらさせた相手に、怒りをぶつけるのは良くありません。
指摘するのはいいですが、けんかをするのはダメです。
一度でいいですから、当たり前のことを、当たり前に行動してみましょう。
「当たり前だから誰でもやっている」と思いますが、本当にそうでしょうか。
当たり前のことだから、誰もが軽く考えます。
若者でも、老人のような人がいます。
老後ばかりを、考えている人です。
「老後はどうやって暮らそうか」
自己啓発書を、悪徳宗教のように考える人がいます。
教えを伝える様子は、洗脳に似ている一面があるのかもしれません。
しかし、悪徳ではありません。
19世紀フランスを代表する作家バルザックは、多作で有名です。
バルザックが作品数は、およそ100編にのぼるといわれています。
生み出した登場人物は、およそ2,000人です。
きれいな景色を見るためには、どうすればいいのでしょうか。
きれいな景色のあるところへ旅行に行くことでしょうか。
たしかにきれいな景色が見られますが、時間とお金がかかりすぎます。
良い選択肢を選ぼうとしていませんか。
人生をやり直すためには、できるだけ良い選択肢を選ぼうとします。
たしかに良い選択肢を選べば、立ち直りも早くなるでしょう。
今、あなたの目の前には、たくさんのチャンスが通りすぎています。
たった今、この瞬間もです。
「信じられない。チャンスなんて、どこにも見えないよ」と思いますが、無理もありません。
けんかをした直後は、素直に謝りにくいものです。
むかむかした気持ちがあり「ごめんなさい」が言えないときもあるでしょう。
「自分は悪くない」「プライドが許さない」という気持ちは、わかります。
人には、ある程度の「身なり」というものがあります。
服装や持ち物などです。
裸で外を歩くわけにはいきません。
会話をしたり本を読んだりするときに、欠点を探して、けちをつける人がいます。
いわゆるあら探しです。
「話が矛盾しています」「言っていることがおかしいです」と言います。
重大な失敗をすると「人生が終わった」と思います。
年齢を重ねてから夢を持っても「今さら努力をしても無駄」と思うかもしれません。
取り返しのつかない罪を犯せば「大変な人生が待っている」と思います。
「人生をやり直せない」と思えば、途方に暮れることでしょう。
何もかもどうでもいいような気持ちになると、心がすさんでしまい、人生を棒に振りたくなります。
無気力になって、何もかもが嫌になり、悪い考えが浮かべる人もいるかもしれません。
しかし、ここが正念場です。
自暴自棄になったところで、ますます人生が悪くなる一方です。
後悔がさらなる後悔を招いてしまい、完全に可能性が閉ざされてしまいます。
大切なことに気づいてください。
人生は、何度でもやり直せます。
もちろん若さは限られるでしょう。
自由な時間や使えるお金も限られるでしょう。
お金も能力もキャリアもなく、持っているものはすべて失っていて、絶望的な状況かもしれません。
だからとはいえ「人生をやり直せない」というのは誤解です。
重大な失敗をしても、人生はやり直せます。
恥をかくなら、かけばいい。
お金がないなら、また稼げばいい。
体が弱いなら、トレーニングをして鍛えればいい。
謝らなければいけないなら、恥をかきながら謝ればいい。
かっこ悪いかもしれませんが、できることから取り組んでいけばいいのです。
ありのままの現実を受け止め、できることから取り組んでいけば、少しずつ立ち直れます。
年齢を重ねていても、人生はやり直せます。
年齢を重ねていても、本人に熱意と意欲さえあれば、今から行動しても間に合います。
今から世界一になるのは難しくても、有意義な時間は送れるでしょう。
大きな罪を犯したなら、人生を棒に振るのではなく、きちんと償います。
心を入れ替え、生まれ変わるつもりで人生をやり直せばいい。
きちんと罪を償えば、マイナスからではありますが、やり直せるチャンスが得られます。
今さら何をやっても無駄と思わないこと。
人生を棒に振ったら最後です。
「もう人生をやり直せない」と思うなら、それはあなたが勝手に思い込んでいるだけです。
人生をやり直せなくなる最大の原因は、自分が勝手に諦めてしまうことです。
「無理」「手遅れ」「不可能」と思って諦めたら、本当にやり直せなくなります。
条件は厳しいかもしれませんが、不可能ではありません。
険しい道が待っているかもしれませんが、努力しだいです。
今すぐ人生を逆転することは難しいですが、少なくとも人生は上向きます。
マイナスからのスタートになるかもしれませんが、時間をかければ、やり直せます。
人生は、何度でもやり直せます。
2回でも3回でもやり直せます。
たとえ10回でもやり直せます。
大きな失敗をしようと、何があろうと、人生をやり直しましょう。
さあ、日記を開いてください。
1行目は、こう書きましょう。
「今日から新しい人生が始まる」と。
やり直せると信じて前向きに行動する人が、人生をやり直せるのです。
やり直せないいちばんの原因は何か。
時間やお金が足りないことでしょうか。
運やチャンスがないことでしょうか。
親や人脈に恵まれないことでしょうか。
もちろんどれも原因の1つでしょうが、意外な原因があります。
それは「やり直せない」と思うことなのです。
「やり直せない」と思うと、諦めることになるため、それ以上努力をしなくなります。
「もうダメだね」
「もう無理だ」
「どうせやり直せないに決まっている」
やり直すチャンスが残っていても、諦めてしまえば可能性はゼロ。
頭も手足も動かさなければ、変化もゼロになります。
本人が諦め、改善の努力を放棄すれば、やり直せるすべての可能性が失われます。
心の声は、かすかでも、私たちの行動に影響しています。
やり直したいなら、心の声を変えましょう。
「やり直せない」と思うのではありません。
「やり直せる」と思うのです。
「やり直せる」と思うと、やり直すための努力をするようになります。
希望を持てば、気持ちが奮い立ち、本気で解決策を考えるようになります。
可能性を信じるから、一歩を踏み出せます。
「やり直せる」と思っているからこそ、やる気や元気が湧いて、やり直すためのアクションを起こせます。
現実は関係ありません。
大切なのは、本人の心です。
絶体絶命のピンチでも、最後まで諦めないことです。
絶望的な状況でも、気持ちをリセットして、ポジティブに考えること。
やり直せると思っている限り、可能性は続きます。
やり直せる可能性は低くても、ゼロでないなら、希望はあります。
難しそうに見えることは、きっと難しそうに見えるだけです。
見栄とプライドを捨て、恥と失敗を恐れずに行動すれば、意外とやり直せることが多い。
自分に問いかけてみてください。
「全力を出したか。すべての手段を尽くしたか」と。
じっくり考えてみると、まだまだやり直すための努力が残っているはずです。
可能性が1%でも、諦めないことです。
1%ということは「100回に1回は当たる」ということです。
深く考えず、単純に100回繰り返せばいいだけのことです。
運しだいではなく、努力次第ということがわかります。
腐るのはまだ早すぎます。
「やり直せない」と思うから、やり直せません。
「やり直せる」と思えば、やり直せるのです。
「人生をやり直そう」と思うだけでもすごいことです。
人生をやり直すべき場面があっても、多くの人はなかなかそう思いません。
「やり直しても仕方ない」
「今さら人生をやり直しても遅い」
「何もかも手遅れで頑張るだけ無駄」
あれこれ言い訳をして、人生をやり直そうとしません。
最初からやり直すのは見栄やプライドを捨てる必要があります。
そんななか、あなたは「人生をやり直そう」と思いました。
自暴自棄になりませんでした。
未来に希望を見いだしています。
これだけでもれっきとした前進です。
まだ実際に取り組んでいなくてもいいのです。
思うだけでもすごいことです。
「人生をやり直そう」と思う自分を認めてください。
人生をやり直すことをかっこ悪く思う人もいるかもしれませんが、誤解です。
人生をやり直そうと思うことは、ポジティブ思考や不屈の精神力がないとできないことです。
人生をやり直すことは立派なことですから、堂々と胸を張ってください。
もちろん思って終わりにするのではなく、きちんと行動に移すことも大切です。
できることから始めればいいのです。
小さなことで十分。
初心に返って、真っさらな心で取り組みましょう。
人生をやり直した結果はまだ先のことですが、少なくとも「やり直す」という行為が大切です。
スムーズにいかないこともありますが、粘り強く取り組んでください。
焦らず腐らず取り組んでいけば、必ず未来が切り開かれます。
何もせず、ぼうっとしているだけで、人生が挽回することはありません。
何もしなければ、何も起こりません。
それが現実です。
何もしなければ、実りのない時間だけが過ぎて、年ばかり取ってしまいます。
現実は、気持ちの表れでもあります。
「今さら何をやっても無駄だろう」とは、考えないことです。
やる気のない人は、行動力がないため、どんよりした現実になります。
ネガティブなことを考えると、確実に悪循環に陥ります。
人生をやり直すためにいちばん大切なのは、ポジティブになることです。
「人生をやり直したい」と、強く願います。
明るい未来を想像しながら行動します。
明るいことを考える人は、強いです。
「人生をやり直したい。やり直せる」とポジティブに考えることで、気力がみなぎり、やる気が出てきます。
年を取っても、体力がなくてもいいのです。
年や体力は、関係ありません。
気持ちの問題です。
気持ちが明るくなれば、やる気が出て、行動力も出てきます。
気持ちさえ明るければ、年齢や体力は、いくらでも補えます。
困難や我慢も乗り越えられ、だんだん現実が良くなります。
どん底から這い上がるには、ポジティブになることが必要です。
まずここからなのです。
今、リバウンドのチャンスが与えられています。
リバウンドと言えば、まずダイエットを想像することでしょう。
たしかにダイエットのリバウンドはよくありませんが、リバウンドしたほうがいいときもあります。
落ち込んでいるときです。
落ち込んだときは、ダイエットのリバウンドのように、思いきりはじけましょう。
落ち込んでいるなら、潜在的にとても強いバネの力があります。
それに気づくことです。
ひどく落ち込んでいるなら、バネになり、いつもより高く飛べるはずです。
落ち込んでいるあなたは今、リバウンドのチャンスが与えられています。
落ち込んでいる今が、チャンスです。
次の瞬間、一気に高く上がるでしょう。
心理学で、興味深い実験があります。
あるところに、おりの中にゾウを入れ、鍵をかけました。
閉じ込めたのです。
最初、ゾウは外に出たがりました。
鉄格子を曲げようとしたり、鍵をこじ開けようとしたりなど、もがきましたが、ダメでした。
しばらくして諦めたゾウは、じっとするしかありませんでした。
数週間ほど放置した後、鍵を開けました。
おりの扉は、開いています。
喜んで外に出るのかと思っていると、意外な行動を取ります。
扉が開いているにもかかわらず、ゾウは外に出ないのです。
それどころか、外に出るのを嫌がるようになりました。
おりの中の生活に慣れてしまい、外に出るのが怖くなったのです。
笑ってしまう話ですが、これは人間にも言える話です。
人間は、慣れる生き物です。
変化のない生活が続くと、変化を嫌う傾向があります。
じっとしていて苦労がなければ「このままでいい」と思うものです。
このままでいいと思っているかぎり、変化はありません。
「人生が変わらない」と言いますが、実際のところ、自分が行動していないだけではないでしょうか。
たしかに変化は、少し刺激があり、不快な面もあるでしょう。
しかし、変化がないかぎり、人生を変えることはできません。
人生をやり直したければ、自分から変化をつくるのです。
「身動きが取れない」という言葉は、言い訳です。
実際のところ、おりの鍵は、とっくに外れています。
後は、勇気を持って、おりの外に出るだけです。
変化を、拒むのではありません。
変化は、自分からつくるものです。
自分で変化をつくるから、人生も変わります。
さあ、おりの中から抜け出して、新しい変化をつくりましょう。
変化への扉は、開かれているのです。
道端に転んでけがをしたとき、不思議な経験をしたことはありませんか。
足を擦りむいて、血が流れます。
傷口が痛みますが、歩き始めると、なぜか痛みが治まります。
立ち止まると、痛み始めます。
歩き始めると、痛みが治まります。
不思議です。
なぜでしょうか。
じっとしていると、傷口に気持ちが集中するため、痛みが強調されるからです。
歩き始めると、痛み以外のことに気が向くため、けがをしたことを忘れます。
痛みも消えます。
失恋しても、仕事で忙しいと、苦しみが軽くなるのと同じです。
じっとしているのが、実はいちばん苦しいです。
苦しみから逃れたければ、動くことです。
動くことが、最も傷口によく効く薬です。
人生では、心が傷つくことがあります。
つらい出来事に心が折れたり、他人からの一言で心が傷ついたりなどです。
「苦しくてつらいから、じっとしていたい」と思いますが、逆効果です。
じっとしているほど、余計に苦しくてつらくなります。
じっとしていることほど、不健康なことはありません。
心の傷の痛みを忘れたければ、動くことです。
とにかく動くのです。
勉強でも、仕事でも、買い物でも、散歩でもいいですから、動きましょう。
動けば動くほど、痛みが和らぎます。
傷があったことさえ、忘れます。
気づけば、傷口がふさがっているのです。
頭のいい人は「危ない」が、口癖です。
子どもより、大人のほうが「危ない」とよく言います。
大人でも、高学歴の人ほど「危ない」とよく言います。
物事をよく知っていると、その先にどんな危ないことが潜んでいるのかを、知っています。
「危ない、危ない」と言えば「自分は何でもよく知っているんだぞ」という博識なイメージも伝わります。
もちろん取り返しのできないことなら、危ないことを避けるべきです。
たとえば、命に関わることです。
命を失うと、本当に取り返しがつきません。
本当に危ないことです。
しかし、気づいてください。
取り返しのつかないことといえば、実は、命を失うことだけです。
後にも先にも、それだけです。
それ以外は、すべて取り返しがつきます。
ほら、人生は取り返しのつくことのほうが、圧倒的に多いではありませんか。
取り返しがつくことを「危ない」というのは、大げさです。
「危ない」ではなく「大丈夫」と言ったほうがいいです。
取り返しがつくのですから、大丈夫です。
人生のやり直しが難しいとはいえ、命があるのですから、大丈夫です。
人生は、取り返しのつかないことより、取り返しのつくことのほうがたくさんあります。
危ないと思うことでも、なんとかなるものです。
本気になれば、なんとかなります。
なんとかなっていないなら、まだ本気になっていないだけです。
人生は、不可能より、可能のほうが、圧倒的に多いです。
人生まだまだ、捨てたものではないのです。
自分が嫌になることはありませんか。
人を助けることもできない。
人を喜ばせることもできない。
自分の存在感が感じられないとき、ふと、思うことがあります。
「自分は壊れたおもちゃのようだ」と。
人の役に立つために生まれてきたはずですが、正常に動作しなくて、使い物になりません。
人を楽しませるおもちゃも、壊れてしまえば、ただのがらくたです。
自分は、壊れたおもちゃのように思え、情けなくなるのです。
しかし、発想を変えてみましょう。
壊れたから、捨てるのではありません。
壊れたら、直せばいいのです。
壊れた部分だけ、取り換えたり修理したりすれば、正しく動くようになります。
再び、正しい動きができるようになるのです。
うまく直すことができれば、新品のようになるでしょう。
それだけのことです。
「壊れたときには直せばいい」という発想を身につけましょう。
すぐ諦めないことです。
「壊れているね」と侮辱されれば「じゃあ、直せばいいね」と言い返せばいいのです。
人生では、そのくらいの強気の発想をもちたいところです。
メンテナンスができれば、いつまでも長持ちするのです。
読みものを楽しんでいると、ある言葉がふと目に留まることはありませんか。
普通に読んでいると、ある言葉に心が引かれることがあるでしょう。
その活字だけ浮き上がって見える。
その一言だけ輝いてみる。
心をつかまれたような感覚があって頭から離れません。
ちょっと不思議な感覚ですね。
はっとさせる言葉はもちろんですが、平凡な言葉にもかかわらず、不思議と目に留まることがあるでしょう。
ときどきあることですが、あらためて考えると面白い反応です。
なぜふと目に留まったのでしょうか。
あなたに必要な言葉だからです。
あなたの潜在意識が反応したのです。
心が「見逃さないで!」「この言葉を待っていた!」と叫んでいます。
だから目に留まったのです。
必要な言葉は前もってわかることではありません。
いろいろな言葉と出会っていく中、心に衝撃が走ったり不思議が感覚があったりすることでわかります。
それが「目に留まる」という反応です。
目に留まることで「今の私に必要な言葉だ!」と気づかされるのです。
目に留まった言葉があれば大切にしてください。
それは運命の出会いです。
今のあなたに必要な言葉ですから、きちんと重視するのが正解です。
メモに書き留めておくのも良し。
じっくり何度も読んで味わいましょう。
書店で手に取った本であれば、そのままレジに持っていってお会計を済ませましょう。
一言見つかったなら、じっくり読めば、ほかにも見つかるかもしれません。
目に留まる言葉が1つあるだけで、購入するだけの価値があります。
目に留まることがあれば、気のせいで終わらせるのではなく、きちんと受け止めて生かしましょう。
今日はどんな言葉が目に留まるでしょうか。
その一言が、あなたの人生を変えるかもしれません。
運命の出会いは「人」だけでなく「言葉」にもあるのです。
人は、何かを発言するとき、人目を気にしやすいものです。
「それは違う」と、否定されたくは、ありません。
やはり、人から褒められたり認められたりするような意見を言いたいと思うものです。
できるだけ嫌われず、できるだけ周りの人に認められる意見を言いたがろうとします。
しかし、周りの目を気にした発言をしても、むなしいだけです。
本当の自分の意見ではないからです。
周りの人が喜ぶような意見を、さも自分の本心のように口にするのは、偽りが混じっています。
周りの目を気にした発言は、周りに躍らされているだけです。
本当の自分ではありません。
周りの人から「そうだね」と言われるであろう意見ばかりを考えていると、何が本当の自分なのか、見失うのです。
周りの人の顔色ばかりをうかがっていると、自分の顔色が悪くなります。
そもそも、自分の考えは、常に正しいです。
自分が考えたことだからです。
自分で考えたことだからこそ、本当の意味で「自分の考え」と呼べます。
まず、自分が素直に考えたことを言う習慣を、身につけましょう。
自分を見失わないために、必要な習慣です。
よくない考えなら、人から叱られることもあるでしょう。
そのときに、あらためて自分の考え方を修正すればいいのです。
自分の考え方を修正しつつも、自分の考えを口にする習慣だけは、続けます。
自分を見失うことはないのです。
困っている人を助けようとしたとき、助けようとしていた自分まで、ダメになることがあります。
いわゆる共倒れです。
無理な助け合いをした結果、お互いにやっていけなくなるのです。
「助けるべきではなかった」と思いますが、そうではありません。
無駄ではありません。
共倒れも、考え方を変えれば、楽しいものです。
仲間がいるからです。
自分一人で倒れるのは恥ずかしいですが、一緒に失敗した仲間がいるのですから、まだいいのです。
失敗するより、失敗を見られるほうが、恥ずかしいです。
2人で一緒に失敗すれば、恥ずかしさも半減します。
共倒れした者同士で、慰め合いましょう。
仲を深めるきっかけになります。
「こんなはずじゃなかったね。じゃあ、2人で立ち直ろう」と励まし合えば、立ち直る元気が出てきます。
2人で転んだら、2人で起き上がればいいのです。
2人が協力すれば、立ち直りも早くなります。
以前より、強い友情で結ばれます。
たとえ共倒れになっても、友情が強くなるのですから、無駄ではないのです。
いつからでしょうか。
私たちは、何かがあるたびに、善しあしを区別する癖があります。
リラックスできるのは良いことと考えますが、緊張するのは悪いことと考えます。
楽な出来事は良いと考えますが、大変な出来事は悪いと考えます。
区別するのも、疲れる話です。
区別するにも、体力を使います。
もう、出来事の区別は、やめにしませんか。
区別はやめて、1つに統一します。
すべての出来事を「良い」で考えるのです。
緊張しても、良しとします。
疲れることがあっても、良しとします。
すべての出来事を「良い」の1種類で統一すれば、疲れにくくなります。
あらゆる状況を、まず楽しむ姿勢をもちましょう。
今のすべての状況を、ただ、楽しみましょう。
何があっても「まあいいか。楽しもう」と考えます。
これだけでいいのです。
善しあしの区別の手間がなくなり、疲れにくくなります。
「すべては、ポジティブしかない」と思えば、実際に、そうなります。
ストレスが減り、人生を楽しめるようになります。
今の状況を変えるのではありません。
今のすべての状況を、ありのまま、楽しもうではありませんか。
さまざまなことが複雑に絡んでいる今の状況は、ディズニーランドのアトラクションのようなものです。
リラックスできたり緊張したり、楽であったり大変であったりします。
まるごと、楽しめばいいのです。
今あなたは、鍵のかかった密室に閉じ込められています。
手元に、鍵はありません。
鍵がどこにあるのかも、わかりません。
密室の中には、何もなくて、抜け出す手段がありません。
このままでは、一生密室から抜け出せないでしょう。
さて、こういうとき、どうしますか。
単純な話です。
密室の外にいる人に「助けてください。密室から出してもらえませんか」と、お願いすればいいのです。
「どうやって開けるの?」と聞かれれば「わからない。でも、なんとかしてほしい」と言います。
なかなか手間のかかるお願いです。
手伝ってくれる人は、少ないことでしょう。
もし断られたら、別の人にお願いすればいいのです。
いろいろな人にお願いすれば、まれに「いいですよ。なんとかしましょう」と言う人がいます。
お願いすれば、応じてくれる人がいるものです。
鍵がないので、単純には開きませんが、いろいろな方法があります。
大きなペンチを使って、鉄格子をねじ曲げる方法もあります。
バーナーを使って、鉄格子を溶かす方法もあります。
ハンマーを使って、鍵を叩き壊す方法もあるでしょう。
いろいろな手段を使えば、手間はかかるものの、なんとか開けられるでしょう。
おかげで、密室から出ることができました。
外に出れば、手伝ってくれた人に感謝しましょう。
人は、1人の力では、密室から脱出できません。
他人の協力が必要です。
閉じ込められて身動きが取れないと思ったときは、潔く他人の協力を求めましょう。
他人からの協力を求めると、鍵がなくても、密室から抜け出すことができるのです。
生まれたときから家が裕福なら、苦労はしません。
生まれたときから、裕福がすでに実現されています。
お金や衣食住が、十分すぎるほど、たくさんある状態です。
それに比べて、家が恵まれていない人は、貧しいように思えます。
生まれたときから、ほとんどのことが、不十分です。
お金や衣食住が、足りません。
生まれたときから、損をしているような気分になるでしょう。
「もっと裕福な家庭に生まれたかったな」と考えるのも無理はありませんが、大きな誤解です。
裕福でない人は、裕福な人より恵まれています。
「できるようになった」という喜びをたくさん味わえる可能性を、たくさん秘めているからです。
最初から裕福な人に比べ、恵まれていない人は、できていないことが多いです。
だからこそ、努力をしさえすれば、最初から裕福な人以上に「できるようになった」という喜びを、たくさん味わえます。
お金を稼ぐ喜びがあります。
衣食住が充実していく喜びがあります。
物の豊かさで、判断するのではありません。
精神的豊かさで、判断するのです。
幸せの本質は、物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。
人生では、いかにたくさんの喜びを得られるかが大切です。
貧しい家で育った人ほど、喜びの可能性が秘められています。
努力さえすれば、裕福な家庭で育った人以上に「できるようになった」という喜びを、たくさん味わうことができるのです。
「疲れたなあ」
そう思ったとき、疲れの様子を振り返ってみましょう。
疲れなんて同じではないかと思いますが、違います。
疲れには、2種類あります。
「嫌いなことをする疲れ」と「好きなことをする疲れ」。です。
今、自分が感じている疲れは、どちらの疲れか、よく考えてみましょう。
同じ疲れでも、似て非なるものです。
いちばんの違いは、精神面です。
嫌いなことをする疲れには、肉体的な疲労に加え、精神的な疲労もあります。
心の中に、暗雲が立ち込めているような雰囲気です。
嫌いなことをしているため、気持ちが暗くなります。
大きなため息をついた後、泣きそうになるのです。
一方、好きなことをしても、疲れます。
好きなことをしても、肉体的な疲労がありますが、精神的には充実します。
体は疲れても、気持ちは明るいです。
気持ちが明るいおかげで、体の回復も早いです。
大きなため息をついた後、深呼吸をして「よし。また頑張るぞ」というやる気がみなぎります。
人生に疲れは、つきものです。
疲れるのはいいとしても「疲れの質」が大切です。
今の自分は、どちらの疲れですか。
嫌いなことをして、気持ち悪い疲れ方になっていませんか。
どうせ疲れるなら、嫌いなことをする疲れより、好きなことをして疲れましょう。
好きなことをして、気持ちのいい疲れ方をしましょう。
「難しいに決まっている」
そう考えると、先が思いやられます。
行動する前から、行動してからのことを想像してしまいます。
失敗して恥をかいて、泣きべそをかいている自分を、想像してしまうのです。
難しいに決まっていると考えているかぎり、行動をする前から、暗い気分が漂います。
しかし、おかしな話だと思いませんか。
「難しい」という言葉は、そう言えるだけの行動をした人だけ、言える言葉です。
行動する前から「難しいに決まっている」という弱音を吐くのは、自分の人生を制限しています。
行動の食わず嫌いは、良くありません。
逆に考えてみましょう。
「もしかすると簡単なのかもしれない」です。
常識や固定観念は、疑ってみます。
難しそうなことは「もしかすると簡単なのかもしれない」と考えて、挑戦してみましょう。
気分は明るくなり、行動しやすくなります。
実際にやってみると、思っていたより簡単にできることがあります。
人生、そんなものです。
やってみると、本当に簡単です。
たとえできなくても「やるだけのことをやってみよう」と思って行動すれば、多くのことが、できるものです。
「もしかすると簡単なのかもしれない」は、人生の可能性を広げる、魔法の言葉なのです。
お金もない。
仕事もない。
妻も子どももいない。
何も手にしていない人は、夢も希望も能力もないと考えがちです。
しかし、見た目だけで判断するのは、早いです。
何もない人だからこそ、手にしているものがあります。
軽いフットワークです。
お金がなければ、奪われる心配をする必要もありません。
仕事がなければ、時間に縛られることもありません。
妻や子どもがいなければ、家庭に縛られることもありません。
何もなくて、身動きが取れないと思うのは、誤解です。
本当は、何もないからこそ、身動きが取れやすくなります。
何もない状態も、幸せです。
最も、自由気ままに生きることができます。
軽いフットワークは、持ち物が少ない人だけに与えられる特権です。
軽いフットワークを武器にしましょう。
自分の持ち味の1つです。
誰より持ち物が少ない人は、誰より軽く動ける可能性を秘めています。
何もない人ほど、本当は強いのです。
「絆」という言葉があります。
絆とは、人と人との強い結びつきです。
「家族の絆が強まった」「私たちには強い絆がある」などと言いますね。
絆という言葉をよく耳にしますが、最初からあるわけではありません。
人と出会ってすぐ「私たち、絆があるよね」は、おかしいです。
絆は、人と知り合って、すぐできるものではありません。
絆をつくるには、きっかけがあります。
災難です。
絆は、災難を通して、できるものです。
何らかの災難が発生し、乗り越えるために、人同士が助け合います。
このとき、普段の私生活ではなかなか体験できない人情に触れることで、人間関係がひときわ強くなります。
それが、絆です。
災難は、絆をつくる条件です。
大きな災難ほど、大きな絆ができる可能性を秘めています。
今、何らかの災難に遭っているなら、絆をつくるチャンスです。
たしかにつらい時期でしょう。
だからこそ、身近な人とよく協力し合い、災難を乗り越えましょう。
乗り越えたとき、強い絆ができているのです。
ふとしたトラブルで、いらいらすることがあります。
いらいらさせた相手に、怒りをぶつけるのは良くありません。
指摘するのはいいですが、けんかをするのはダメです。
いらいらを人にぶつけると、けんかの始まりです。
殴り合って、お互いが傷つくばかりです。
過去の歴史を振り返り、戦争をして平和になった試しが1つもないことからも、わかります。
では、どうするのかというと、いらいらしてしまった自分に当たるのです。
反省です。
「しまった。いらいらしてしまった。情けない。まだまだ自分をコントロールできていないな」
未熟な自分を、恥じます。
いらいらさせた相手が悪いのではなく、いらいらしてしまった自分がいけないのです。
自分の感情を、コントロールできなかったからです。
車の運転免許より、心の運転免許です。
車の運転免許も大切ですが、自分の心をコントロールするほうが、はるかに大切です。
自分の心のコントロールができなければ、人生のあらゆるところで、事故に遭うでしょう。
今日も、目の前に、いらいらさせる人が現れるかもしれません。
いらいらさせる相手は、敵ではありません。
お手伝いさんです。
理性や自制心を強化するために、手伝ってくれる人です。
ボランティアで手伝ってくれているのですから、ありがたく活用しましょう。
冷静さを保つ練習のつもりで接していれば、いい距離感がつかめます。
一度でいいですから、当たり前のことを、当たり前に行動してみましょう。
「当たり前だから誰でもやっている」と思いますが、本当にそうでしょうか。
当たり前のことだから、誰もが軽く考えます。
当たり前ほど、やっていない場合が多いのです。
どれも、人として、当たり前のことですね。
にもかかわらず、きちんとできている人は、少ないのではないでしょうか。
人生とは本来、当たり前のことをするだけで、うまくいくようになっています。
うまくいっていないのは、どこかで当たり前が欠けているからです。
幸せになるために、特別な方法は不要です。
当たり前のことを、当たり前に行動するだけでいいのです。
それだけで、未来が切り開けます。
若者でも、老人のような人がいます。
老後ばかりを、考えている人です。
「老後はどうやって暮らそうか」
「老後が不安だ」
「できるだけ貯金をしないといけないなあ」
気持ちはわかります。
やはり、年を取ったときのことを考えるものです。
しかし、いつも老後のことばかりを考えていると、気持ちが萎えてきます。
将来の不安は、妄想です。
現実には、まだ起こっていません。
まだ起こっていないことを、今から妄想を膨らませて、不安になったり焦ったりするのも、おかしな話ですね。
いくら不安を抱いたところで、将来になってみないと、わかりません。
「老後が心配だ」と思うほど、元気が削られて、寿命が縮みます。
長生きできる人には、共通点があります。
長生きをしている人はみんな、若いうちから「人生一度きりだから、好きなことをしたい」と言って、自由奔放に生きています。
年を取っても、絵を描いたりダンスを踊ったりなど、習い事に熱心です。
見た目は老いていても、意識が青春に向いている人は、青年です。
心はまだまだ若々しいのです。
今を楽しみながら生きることで、心も体も若々しさが維持できます。
将来の不安は、将来になってから考えましょう。
今できることは、今を楽しみながら、一生懸命に生きることです。
今を楽しみながら一生懸命に生きることで、将来の不安を拭い去ることができます。
それが、いつまでも若々しさを保つ秘策なのです。
自己啓発書を、悪徳宗教のように考える人がいます。
教えを伝える様子は、洗脳に似ている一面があるのかもしれません。
しかし、悪徳ではありません。
むしろ逆です。
いい考えを教えている本です。
自己啓発書は、心を元気にするサプリメントです。
足りないものを補えます。
なくてもいいですが、あったほうが、より健康的な生活を送りやすくなります。
学校では、ポジティブ思考という勉強を教えてくれません。
私たちには、ポジティブ思考という勉強が、ぽっかり抜けています。
たくさんの知識はあっても、元気のない人が多いです。
学校で教えてくれませんから、私たちから進んで勉強しなければなりません。
自己啓発書は、避けるものではなく、求めるものです。
私たちに足りない「ポジティブ思考」を補えます。
そういう意味で、本屋は薬局でもあるのです。
自己啓発書という心のサプリメントがずらりと並ぶ、薬局です。
さまざまなジャンルが、レベルの低いものから高いものまで、そろっています。
今の自分に足りないものは何ですか。
足りないものはあっていいのです。
足りないものがあれば、補うために、本屋に駆け込みましょう。
「今の自分にはこれが足りない」と思える本があれば、買って読みます。
足りなかったものが補われ、より健康的な生活が送れるようになるのです。
19世紀フランスを代表する作家バルザックは、多作で有名です。
バルザックが作品数は、およそ100編にのぼるといわれています。
生み出した登場人物は、およそ2,000人です。
すごいことです。
これほど多くの作品を書くモチベーションは、どこから生まれたのでしょうか。
それは、彼のトラブルに隠されています。
彼は、最初から多作を目指していたわけではありませんでした。
20歳のとき文学を志し、作品を書きながら、さまざまな事業に手を出しました。
この事情がよくなかった。
事業はすべて失敗に終わり、膨大な借金を背負うことになります。
そこでバルザックは、一念発起しました。
「借金を返すぞ」という決意が、並外れた情熱に変わり、作家活動に生かされたのです。
決意を新たにした人間は、底力を発揮するのでしょう。
その後、バルザックは、驚異的な多作ぶりを発揮したのです。
バルザックの作品には、個性豊かな人物や、不遇の物語が数多く登場します。
彼自身の人生がモデルになった、ともいわれています。
自分の不幸や不遇すら、話のネタに変えてしまうパワーには、感服します。
大きな借金がある人は、バルザックを見習ったほうがいいでしょう。
借金をつくってしまったことは仕方ありません。
大切なことは、借金を、前向きなパワーに変えることです。
前向きなパワーに変えることができれば、借金のおかげで、大きな業績を生むこともあるのです。
きれいな景色を見るためには、どうすればいいのでしょうか。
きれいな景色のあるところへ旅行に行くことでしょうか。
たしかにきれいな景色が見られますが、時間とお金がかかりすぎます。
きれいな光景は、もっと身近で簡単に見られるものです。
自分が、きれいな言動を心がけるだけでいいのです。
自分の言葉や行動をきれいにすれば、そういう景色が返ってきます。
たとえば、困っている人を、助けたとします。
笑顔で「ありがとうございます」と言われます。
これが、きれいな景色です。
自分の部屋を、丁寧に掃除をしたとします。
部屋が清潔になり、きれいな景色が見られます。
きれいな景色のあるところに行くのではありません。
きれいな景色は、自分でつくるのです。
自分がきれいな言動を心がけることで、きれいな景色が目の前に現れます。
お金も時間もかかりません。
自分がきれいな言動を心がければ、24時間365日、きれいな光景の中にいられます。
その気になれば、今からでもできます。
では、さっそくきれいな言葉遣いと行動を心がけてみましょう。
良い選択肢を選ぼうとしていませんか。
人生をやり直すためには、できるだけ良い選択肢を選ぼうとします。
たしかに良い選択肢を選べば、立ち直りも早くなるでしょう。
しかし「どれがいいのだろうか」と迷っているうちに、人生は終わってしまいます。
迷うほど、わからなくなるのが人生です。
良い選択肢を選ぶのではありません。
選んだ選択肢を、良いものにすればいいのです。
選んだ後、自分のためになるような受け止め方に変えましょう。
行動したときの合言葉は「これで良かった」です。
「これで良かった」と言えば、何でも良い方向に変わります。
前向きに受け止められる言葉です。
うまくいけば、喜びます。
うまくいかなければ「うまくいかないことがわかった」と考えます。
「これで良かった」と考えると、どんな選択肢を選んでも、自分のためになることがわかります。
人生に無駄はありません。
有益と無駄を区別する自分がいるだけです。
受け止め方を変えれば、どんな選択肢でも自分のためになります。
迷っている暇があるなら、とにかく行動すればいい。
自分で選んだ選択肢は、すべて正解にしましょう。
たくさん行動する人ほど、たくさんの正解を入手できます。
今、あなたの目の前には、たくさんのチャンスが通りすぎています。
たった今、この瞬間もです。
「信じられない。チャンスなんて、どこにも見えないよ」と思いますが、無理もありません。
チャンスは速いスピードで目の前を横切っています。
横切るスピードが速いため、見えないのです。
駅のホームで、新幹線が目の前を横切るのと同じです。
目の前を高速で横切っていると、はっきり見えなくなります。
では、どうすれば、チャンスに気づくことができるのでしょうか。
自分も動けばいいのです。
高速で横切るスピードと、自分の動くスピードが近づくと、チャンスが見えるようになります。
お互いのスピードが一致すれば、お互いが止まっているように見えます。
よく動く人ほど、チャンスがはっきり見えるのは、そのためです。
ほら、今またチャンスが、横切りました。
あっ、またです。
チャンスは、誰にでもあります。
ただ、見える人と、見えない人の違いです。
じっとしている人には見えず、よく動く人には見えるようになります。
できるだけスピードを意識しながら、動きましょう。
自分の動くスピードが速いほど、チャンスのスピードに近づくため、気づきやすくなるのです。
けんかをした直後は、素直に謝りにくいものです。
むかむかした気持ちがあり「ごめんなさい」が言えないときもあるでしょう。
「自分は悪くない」「プライドが許さない」という気持ちは、わかります。
しかし、仲が悪いままでは、仲直りはできません。
わざと視線を外したり、無視したりすると、険悪な雰囲気がさらに悪くなります。
大丈夫です。
どうしても「ごめんなさい」が言えないときに使える、仲直りの方法があります。
ポイントは、けんかをした翌日の朝です。
けんかをした翌日の朝、笑顔で「おはよう」と、言えばいいのです。
「ごめんなさい」は言わず「おはよう」だけ言います。
単なる、朝の挨拶です。
言いづらいかもしれませんが、あまり難しく考えず、普通に接してみましょう。
挨拶のときは、普通の顔より、笑顔になるのがポイントです。
明るく笑顔で挨拶をすれば、雰囲気も明るくなります。
明るく挨拶をされれば、相手も無視しづらく「おはよう」と返事をしてくれるでしょう。
同時に「仲直りをしようとしているのだな」というニュアンスも伝わります。
そうしてだんだん、普通の雰囲気へと戻していくのです。
たとえ、相手から無視をされても、毎日根気よく、挨拶を続けましょう。
1週間でも、1カ月でも、続けます。
そのうち雰囲気が和らいできて、返事をしてくれます。
怒っている相手も、次第に気持ちに変化が現れてきます。
気づけば、いつもの関係へと戻っているのです。
人には、ある程度の「身なり」というものがあります。
服装や持ち物などです。
裸で外を歩くわけにはいきません。
警察に呼び止められ、職務質問されて、署に同行されます。
人と人が接する社会で生きていくうえで、最低限の外見を気にするのは自然なことです。
寒いから服を着て、快適な生活を送るために持ち物を手にします。
物は、生活を快適にしたり、便利にしたりします。
しかし、です。
持ち物に対して、ひどい疲れを感じることはありませんか。
いくら持ち物とはいえ、ひどい疲れを感じるのは、やりすぎです。
「持ちすぎている」という証拠です。
便利な物は、たくさん持ちすぎると、重荷になります。
体は1つだけです。
身につける服やアクセサリーは、そう多くはないはずです。
家を飾るインテリアや雑貨も、そう多くはないはずです。
たくさん持つほど、いいわけではありません。
便利な物も、持ちすぎると、不便になります。
生活が快適になるどころか、負担になります。
心も体も重くなり、身動きが取りづらくなるのです。
疲れるくらいの持ち物なら、捨てたほうがいいです。
どこかで思いきることです。
物質的にも精神的にも軽くなります。
持ち続けるのが疲れると思ったら、手放してもいいサインです。
会話をしたり本を読んだりするときに、欠点を探して、けちをつける人がいます。
いわゆるあら探しです。
「話が矛盾しています」「言っていることがおかしいです」と言います。
そういう人は、頭がいいです。
話や文章をきちんと理解しているからこそ、おかしな点に気づきます。
もちろん規則や契約書などでおかしな点があれば、矛盾点をつくべきです。
金銭や人生がかかることでは、矛盾を徹底的になくすべきです。
しかし、普段の会話や文章を楽しむときくらいは、寛大になりたいところです。
あら探しの能力を磨くと、いつも腹が立ちます。
「これは変だ。あれもおかしい」と、いつもいらいらすることになります。
頭はいいかもしれませんが、生き方が息苦しくなります。
大切なことは、あらを探す能力ではありません。
つじつまを合わせる能力です。
「言葉が矛盾しているけれど、状況によって、言い方を変えているのだろう」と解釈します。
つじつまが合わなくても、自分の中で、つじつまを合わせるのです。
つじつまを合わせるときも、前向きに、考えます。
「つまり、こういうことを言いたいんだよね」と、足りない部分を自分が補うイメージです。
不完全だらけの会話を、自分の都合のいいように、補足します。
会話も読書も、すらすら進みます。
すんなり納得でき、腹が立ちません。
それが本当の意味で「頭がいい」ということです。