その話は、誰の意見なのか。
それが問題です。
意見の出どころによって、話の印象が変わります。
雑談が下手な人は、世間の常識で話します。
「常識で考えると、こうだね」
「世間的には、こうだと思うよ」
もちろん時には世間の常識で話すのもいいでしょう。
世間の一般認識を伝えることで、自分の立ち位置が把握できます。
自分の考えの誤りや偏りに気づかされることもあるでしょう。
しかし、いくら世間の常識が大切とはいえ、程度があります。
話す内容が世間の常識ばかりになるのは好ましくありません。
世間の常識は、形式張ったり堅苦しくなったりする傾向があります。
全体論や一般論のような話し方なので、抽象的にもなりがちです。
世間の常識で話すと、説教のようにもなりやすい。
「みんなはこうしているよ。あなただけ違っていますよ」と、違いを責める雰囲気になりがちです。
なにより世間の常識で話すと、無責任な印象を与える可能性があります。
「これは私の考えではなく、世間の考え。何かあっても、私は責任を負えないよ」
話の責任を曖昧にする印象があるため、話の意味はわかっても、相手の心に響かないのです。
雑談が上手な人は、世間の常識で話すのは必要最小限に抑えます。
その代わり、まず自分が考えたことを、自分の言葉で話します。
「私は、こう考える」
「個人的に、こう思う」
いったん世間の常識は無視して、その人がどう思っているかが大切です。
自分の考えで話すと、熱意と意欲を持って具体的に話せるでしょう。
言葉・表情・態度にも力が入り、話し方が力強くなります。
なにより自分の考えだと表明することで、責任が感じられます。
雑談であれ、責任の所在が大切です。
責任と覚悟を伴った発言だからこそ、情熱と本気が伝わり、相手の心に響きます。