執筆者:水口貴博

可能性を広げる「勉強」のすすめ

  • 学問は
    「学び」を
    「問う」と書く。
可能性を広げる「勉強」のすすめ

学問は「学び」を「問う」と書く。

学問は面白いことです。
好きを追求できるエンターテインメントです。
学問には点数がつきません。

学問は「学び」を「問う」と書く。

「学問を楽しむ」とは「幸せを楽しむ」という意味。

学問の正体は「好き」です。
好きなことしか学問できません。
嫌いなことを学問をすると、勉強になります。

「学問を楽しむ」とは「幸せを楽しむ」という意味。

気づけばやっていることが、本当に好きなこと。

好きなことをするから、人生が面白くなります。
誰でも人生、幸せになりたいと願います。
幸せになるために、特別にお祈りをする必要はありません。

気づけばやっていることが、本当に好きなこと。

好きなことを学ぶことは「幸せ」になるということ。

なぜ生まれてずっと好きなことしかしていないのでしょうか。
それは「人間に幸せになるためのプログラムが植え付けられているから」です。
「人間が幸せになるためのプログラム」とは、何なのでしょうか。

好きなことを学ぶことは「幸せ」になるということ。

たとえ遊びでも、学べるなら、立派な学問。

大いに遊んでかまいません。
遊びでも、学べれば立派な学問です。
幸せになれます。

たとえ遊びでも、学べるなら、立派な学問。

「好き」を途中で止めない。
「好き」を突き詰めるのだ。

好きなことをしているというのに、途中でやめてしまうことがあります。
「かっこ悪い、親に叱られる。お金がない」と、いろいろな理由があります。
「好き」は、突き詰めることが重要です。

「好き」を途中で止めない。「好き」を突き詰めるのだ。

「学ぶ」と「問う」両方あれば、何でも学問になる。

学問をする方法を教えましょう。
学問をする方法は「学ぶ」と「問う」だけです。
これが学問をする方法です。

「学ぶ」と「問う」両方あれば、何でも学問になる。

「学ぶ」と「問う」に必要なのは、本、人、経験。

どうやって自分の「好き」の分野で具体的に「学ぶ」と「問う」を行うのかというと「本、人、経験」からです。
「本、人、経験」から「学ぶ」と「問う」を行います。
私は23歳のとき、アメリカのシアトルへ旅行をしてきました。

「学ぶ」と「問う」に必要なのは、本、人、経験。

「壁に当たったら、気持ちいい」
それが学問の面白さ。

学問をしていると、必ずいつか壁に当たるときがやってきます。
運動選手がよく口にしている「スランプ」という状態です。
毎日練習をしているのにもかかわらず、全然上達はしないし、面白くない状態になります。

「壁に当たったら、気持ちいい」それが学問の面白さ。

借金は好きなことには許される。

基本的に、借金はいけないことです。
しかし、それは「基本的」であって、1つだけ「例外」があります。
唯一「好きなこと」だけには、借金をしてもよいという例外があります。

借金は好きなことには許される。

無駄な回り道をすることが、近道になる。

学問では、無駄な回り道をたくさんすることが大切です。
無駄な回り道に見えても、実はそれは近道になるのです。
逆に、近道が一番の回り道になります。

無駄な回り道をすることが、近道になる。

学校の勉強は、暗記。
社会の学問は、気づき。

社会の世界は、学問の世界に当たります。
社会は、たくさんの「学び」と「問う」ことの塊です。
学校の勉強は「暗記」です。

学校の勉強は、暗記。社会の学問は、気づき。

メモをしながら話を聞くと、学問できる。

学問は「本、人、経験」からです。
人から学問をするときには、メモを取りながら話を聞くことが大切です。
人間はそもそも忘れることが大得意です。

メモをしながら話を聞くと、学問できる。

学問をすると、みんなと違う個性を持てる。
社会では「みんなと違う人」を求めている。

みんなと違うようになるのが、学問です。
「学ぶ」と「問い」は、人それぞれです。
学問をしていくと、その人の個性になります。

学問をすると、みんなと違う個性を持てる。社会では「みんなと違う人」を求めている。

感動するためには、学問が必要だ。

感動するためには学問が必要です。
感動している人は、心が感じ、動いています。
心が感じ、動くためには、その刺激を受け取るための「受け皿」が必要です。

感動するためには、学問が必要だ。

いろいろなことに感動する人は、いろいろな刺激の受け皿を持っている。

いろいろなことに感動する人は、いろいろなことを学問している人です。
いろいろな刺激を受け取る受け皿を持っているからです。
これは言い換えると、いろいろな価値観を持つことができているということです。

いろいろなことに感動する人は、いろいろな刺激の受け皿を持っている。

好きなことを学問をするということは、幸せを学問をするということ。

幸せを感じる人は、幸せの受け皿を持っている人です。
幸せの学問をしています。
幸せの学問は好きなことの学問です。

好きなことを学問をするということは、幸せを学問をするということ。

学問しすぎると、悪口を言われるようになる。
悪口を言われるくらい学問しよう。

学問していると、悪口を言われるようになります。
みんなと同じであることが美徳と思っている日本人は、少し変わった人を特別視します。
しかし、本当は、変わっていることこそが、美徳です。

学問しすぎると、悪口を言われるようになる。悪口を言われるくらい学問しよう。

学問の究極は「キーワード」になる。

学問は奥が深いです。
それは井戸のようです。
上から見ると表面積は同じなのに、横から見ると深さがある。

学問の究極は「キーワード」になる。

「キーワード」は、無限に解凍できる。

学問は「1つのキーワード」に圧縮ができます。
この反対に、解凍もできます。
私の成功哲学の「キーワード」の1つに「スピード」というのがあります。

「キーワード」は、無限に解凍できる。

1つの学問を突き詰めた共通点は、すべての学問に共通する。

実は、1つの学問にはすべての学問に共通する点を含んでいます。
学問を1つ、突き詰めると、ほかの学問も突き詰めたことになると言っても過言ではありません。
大切な要素は、どの学問にも共通しているからです。

1つの学問を突き詰めた共通点は、すべての学問に共通する。

学ぶより教えるときに、本当に身につく。

学問が本当に身につくまでには「学ぶ」「問う」のほかに、実はもう1つあります。
「教えること」です。
「学ぶ」「問う」は、学問の最初の段階です。

学ぶより教えるときに、本当に身につく。

書くこととは、教えること。
教えることとは、書くこと。

自分の学問に自信がつけば、積極的にアウトプットして、教える作業をしてみるといいでしょう。
謙虚にならず、どんどん具体的に行動すればいいのです。
どうアウトプットをするのかは、人それぞれです。

書くこととは、教えること。教えることとは、書くこと。

書く行為と考える行為が同時に起こる。
書くから考えることができる。

実際、本を書きながら自分の考えが足りないことに気づきます。
わかっていると思っても、どこか足りないものです。
大切なことは、書きながら考えることです。

書く行為と考える行為が同時に起こる。書くから考えることができる。

謙虚な人ほど学問ができる。

学問をするときのコツは、謙虚です。
謙虚な人は伸びます。
謙虚な人は、人の話を聞くことができるからです。

謙虚な人ほど学問ができる。

学問とは、終わりのない娯楽だ。

学問には終わりがありません。
学問の究極は、たった1つのキーワードになります。
1つのキーワードに圧縮することが、学問です。

学問とは、終わりのない娯楽だ。

もっと積極的に、アウトプットを意識する。

学問の最終的な目的は、人を幸せにすることです。
自分の学問で、自分と他人を幸せにすることです。
学ぶだけでは、人としての役割を果たしていません。

もっと積極的に、アウトプットを意識する。

好きな学問を突き詰めると、いつか、人の役に立つときがやってくる。

一度やり始めてしまった学問ならば、とことん突き詰めていくことです。
学問を突き詰めるということは、自分の「好きなこと」を突き詰めることです。
私の場合は知的好奇心が旺盛おうせいで、いろいろなことを学ぶのが好きです。

好きな学問を突き詰めると、いつか、人の役に立つときがやってくる。

試して身につけることで「学問」は「道具」になる。

学問では、習ったらすぐ試してみることが大切です。
学んだことでも試してみないかぎり、実際に本当かどうかわかりません。
体験し、自分の身に刻みこみます。

試して身につけることで「学問」は「道具」になる。

好きな学問を突き詰めると、幸せのための魔法となる。

私は今、Wordが道具になってしまいました。
今、本を書いているときに使っている道具は、マイクロソフト社の「Word」です。
最初はWordを学問していましたが、身につけてしまい、今では道具になっています。

好きな学問を突き詰めると、幸せのための魔法となる。

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