人生の教科書



勉強法

可能性を広げる
「勉強」のすすめ

  • 学問は
    「学び」を
    「問う」と書く。
可能性を広げる「勉強」のすすめ

もくじ

1
★12

学問は「学び」を「問う」と書く。

学問は面白いことです。 好きを追求できるエンターテイメントです。 学問には点数がつきません。 学問で先生に叱られるということもありません。 学問に締め切りはありません。 学問で不幸になった人は、聞いたことがありません。 学問によって、自分の「好きなこと」を、もっと好きになれます。 学問は楽しいのです。 学問は難しくありません。 学校教育で、学問という響きは何だか暗い印象があるかもしれませんが、暗くありません。 学問は「学び」を「問う」と書きます。 自分の知りたいこと、好きなことは、自分から進んで「なぜだろうか」「もっと知りたい」と進んで知識を吸収したくなります。 それが学問です。 学校でやらされていることは学問ではありません。 それは勉強です。 「勉学」を「強める」と書く勉強ですが、実は勉強の意味は「勉学を強制」とも書きます。 勉学を強制されても、面白くありません。 楽しくありません。 もっと好きになれません。 「自分が好きなことを、自分から進んで学ぶ」 それが学問です。 今まで学問は楽しくないという間違ったイメージを学校によって植え付けられてきました。 しかし、これからは、学問がわくわくする「楽しみ」へと変わります。 楽しむことが、立派な学問になるのです。 楽しみながら「学び」「問う」ことができれば、すでに学問ができています。 好きなことはもっと知りたいと思います。 自分が好きなことに関しては、他人に言われなくても自分から進んで学びたくなります。 好きなことでは、苦痛さえも快感になります。 好きなことをしていると生き方が生き生きします。 好きなことに没頭しましょう。 人生は、好きなことで幸せになれる。 好きなことは、もっと好きになってもいいのです。 「好き」を追求するための方法。 それが、学問です。 学ぶことを、楽しむ。

2
★5

「学問を楽しむ」とは「幸せを楽しむ」という意味。

学問の正体は「好き」です。 好きなことしか学問できません。 嫌いなことを学問をすると、勉強になります。 勉学を、強制しているからです。 勉強はしなくてもかまいません。 その代わり、学問だけはしておきましょう。 学問をしないと幸せにはなれません。 学問は自分から好きでやることです。 学問の正体は「好き」ということなのです。 実は、あなたはすでに学問をしています。 生まれてこのかた、何十年、好きなことをしていないわけがないのです。 好きなことをしていなかったら、死んでいます。 毎日が苦痛です。 人生が、全然面白くも楽しくもありません。 あなたが今、生きていれば、生活のどこかで必ず好きなことをしているはずです。 それが学問です。 好きは、知らない間にやっています。 「気づいていたら、していた」 それが「好き」という学問です。 「幸せ」=「好き」=「学問」です。 この公式は、あなたが一生役立つ公式です。 人生を幸せにするための公式です。 これは「幸せの方程式」です。 この公式をきちんと実行すれば、あなたは必ず今までよりさらに幸せになります。 シンプルな公式です。 実行するのも、簡単です。 これからこの公式の意味を説明します。 それがこの本「学問を楽しむコツ!」です。 言い換えれば「幸せを楽しむコツ!」とも言えるのです。 幸せになるために、学問をする。

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★7

気づけばやっていることが、本当に好きなこと。

好きなことをするから、人生が面白くなります。 誰でも人生、幸せになりたいと願います。 幸せになるために、特別にお祈りをする必要はありません。 人間には、すでに「幸せになるためのプログラム」が組み込まれています。 「好き」というプログラムです。 「人が幸せになるためのプログラム」とは「好き」ということです。 あなたはすでに、人生を何十年も生きてきています。 今まで何十年も生きてきて、好きなこと1つやっていないわけがありません。 生活のどこかで、必ず自分が幸せになれる「好きなこと」をしています。 人は幸せになるために生きているからです。 人は幸せになるために「好き」というプログラムを無意識のうちに実行しています。 好きを、わざわざ自分で作る必要もありません。 すでに、どこかでしています。 「これをやっているとすごく楽しい、面白い、わくわくする、どきどきする、幸せだ」 こうしたことを、すでに生活のどこかで行っているはずです。 それは、なかなか自分では気づいていない場合が多いものです。 無意識にそれをやっているからです。 少し生活を振り返ってみましょう。 生活の中で「面白そう。楽しそう。やってみたい。もっと知りたい」と思うことを思い出しましょう。 そんな「嬉しい、楽しい、~したい」ということ、あなたの「好きなこと」です。 「好きなことは何ですか」と聞かれても、少し困ってしまいます。 好きなことは、普通は自然にやっているからです。 本人でさえ気づいてないことが多いのです。 しかし、意識をしていけば、何が好きであるかに気づけます。 それが、あなたが幸せになるための糸口なのです。 好きなことを、深める。

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★7

好きなことを学ぶことは「幸せ」になるということ。

なぜ生まれてずっと好きなことしかしていないのでしょうか。 それは「人間に幸せになるためのプログラムが植え付けられているから」です。 「人間が幸せになるためのプログラム」とは、何なのでしょうか。 それは「好き」です。 「好き」とは、何でしょうか。 「幸せ」になるための方法です。 では、人はなぜ生きているのでしょうか。 「人は幸せになるために生きている」のです。 無意識にやっている。 それが「好き」という幸せのプログラムです。 これで、謎が解けました。 人は幸せになるために宗教を信じています。 人は幸せを求めるがゆえに、戦争をします。 人は幸せになるために、好きな人を好きになります。 人が好きな食べ物を食べる、好きな場所で過ごす、好きな音楽を聴く。 すべて、幸せを得るためにしていることです。 これは、無意識なのです。 これを聞いて「そんなこと、当たり前だ」と思うかもしれません。 当たり前のことです。 好きなことをする。 幸せになれる。 本当に当たり前のことなのです。 当たり前すぎていたため、ほとんどの人は気づいていません。 「見て見ぬふりをしている」というほうが、近いニュアンスです。 では、逆算しましょう。 幸せになるために、好きなことをします。 好きなことを、もっと突き詰めるために学問をする。 これだけのこと。 簡単です。 学問をすれば幸せになれる。 幸せになるために、好きな学問をしましょう。 学問は、もっと幸せになるための方法です。 幸せになるために、学問する。

5
★3

たとえ遊びでも、学ぶことができるなら、立派な学問。

大いに遊んでかまいません。 遊びでも、学ぶことができれば立派な学問です。 幸せになれます。 私は今、本を書くことで自分が楽しんでいます。 周りの人たちは「頑張っているね。すごいね。偉いね」と言いますが、私は偉くもすごくも頑張ってもいません。 ただ楽しんでいるのです。 本を書くことで楽しんでいます。 私にとって、本を書くことは「楽しんでいる」という感覚そのものです。 「中途半端にしているのか」と聞かれそうですが、そうではありません。 私は、遊びを真剣に100パーセント楽しんでいます。 自分が楽しめる遊びなら、100パーセントの全力を出さずにはいられません。 きっとあなたも同じようなことを経験したことがあるはずです。 自分が楽しんでいることは、つい力が入ってしまいます。 力を入れるつもりはなくても、楽しくて面白くて仕方ないときは、時を忘れて没頭してしまいます。 学問を楽しむとは、まさにその感覚です。 人間は、もっと明るく楽しく生きるために「楽しむこと」が必要です。 私は「本を書く」という遊びを楽しみながら、学んでいます。 それによって何かを学ぶことができれば、立派な学問になります。 手を抜く必要はありません。 手を抜けば、中途半端な遊びになります。 中途半端は、していないのと同じと考えることです。 思いきり好きなことで遊んでいいのです。 楽しんでいいのです。 思いきり学問できます。 いつもより幸せな日々を送ることができるのです。 遊びを通して、学問をする。

6
★18

「好き」を途中で止めない。
「好き」を突き詰めるのだ。

好きなことをしているというのに、途中でやめてしまうことがあります。 「かっこ悪い、親に叱られる。お金がない」と、いろいろな理由があります。 「好き」は、突き詰めることが重要です。 幸せになるためには、好きなことをすることが分かりました。 好きなことをするためには、学問が必要であることが分かりました。 しかし、せっかくの「好き」を、止めてしまっているのです。 好きなことがあるのに「好き」を育てていないのです。 「好き」を育ててください。 「好き」を育ててどんどん大きくしていきましょう。 この学問という響きが、みんなを学問から遠ざけています。 学問は、かっこ悪くありません。 学問は、かっこいいことです。 「好き」を育てるためには、次のプロセスがあります。 知りたい→学ぶ→知る→納得→理解→新しい疑問→もっと知りたい→学ぶ→知る。 この繰り返しをすればいいだけです。 私は学問の繰り返しを途中で止めてはいけないと思い、今の水口貴博で「100パーセント」「好き」を突き詰めています。 友達が「貴博君、毎日何をやっているの」と聞きます。 私は「毎日、好きなことをやっているよ」と答えます。 友達が「好きなことって何?」と聞きます。 私は「本を読んだり、本を書いたり、映画を見たり、おいしいものを食べたり、パソコンを触ったり」と答えます。 友達は「毎日、いろいろやっているんだね」と答えます。 私は「毎日、好きなことしかやっていないよ」と答えます。 毎日好きなことしかしていません。 好きなことをしているからこそ、続けられているのです。 そもそも「幸せ」=「好き」=「学問」も、好きなことを毎日ずっとやっているからこそ、気づくことができました。 「好き」のおかげです。 この好きのおかげで、今、助かっています。 単純に好きなことを、やり続けてきた結果です。 もし好きを途中でやめていたと思うと、ぞっとします。 お金がなかったり、友達が邪魔をしてきたり、体調を崩したりと、いろいろな障害がありましたが、すべてバネにしてきました。 好きなことをするために、貫いてきました。 「学校があるから、会社があるから、お金がないから」と、言い訳はいくらでもできます。 しかし、好きなこともできない人生で、本当にいいのですか。 好きなことすらできなくて、何が人生なのですか。 好きなことをしないで、明るく楽しい人生が送れると本気で思っているのですか。 好きなことをせずに、幸せな人生は送れません。 明るく楽しい人生を送るには、好きなことをすればいいだけです。 それを途中で、止めないでほしいのです。 「好き」を育て続けることが大切です。 学校や会社など、言い訳はいくらでもできます。 自分の好きなことに対して言い訳なんてしないことです。 そんなことを言っていたら、本当に好きなことができません。 あらゆる手段を使って、好きなことをしましょう。 人に迷惑をかけてさえいなければ、遠慮なんてしなくても大丈夫です。 途中でやめてしまわず「好き」を貫いてしまいましょう。 好きなことは、徹底的になる。

7
★3

「学ぶ」と「問う」両方あれば、何でも学問になる。

学問をする方法を教えましょう。 学問をする方法は「学ぶ」と「問う」だけです。 これが学問をする方法です。 簡単なことです。 学問は好きなことですから、そこから「学ぶ」と「問う」をすればいいだけです。 私は、好きなことがたくさんあります。 たとえば「考えること」が好きです。 考えていると、時間を忘れて自分の世界に入ってしまいます。 夢中になって考えてしまうのです。 「夢中」という字は「夢の中」と書きます。 まさに私は夢の中に入っているかのように、没頭します。 集中します。 単純に好きだからです。 考えることなら、何でもかまいません。 人付き合いでも、数学でも、文学でも、人生でも、恋愛でも大丈夫です。 そのほかに好きなことと言えば、旅行が挙げられます。 好きな旅行で学問をします。 私は本を読むことも好きです。 好きな本を読むことで学問をします。 私は映画を見ることも好きです。 好きな映画を見て、学問をします。 「学ぶこと」と「問うこと」が両方できていれば、何でも学問になってしまうのです。 「学ぶ」と「問う」の両方をして、何でも学問にしてしまう。

8
★3

「学ぶ」と「問う」に必要なのは、本、人、経験。

どうやって自分の「好き」の分野で具体的に「学ぶ」と「問う」を行うのかというと「本、人、経験」からです。 「本、人、経験」から「学ぶ」と「問う」を行います。 私は23歳のとき、アメリカのシアトルへ旅行をしてきました。 旅行のために買った本では「シアトルは降水量が多い」と書いてあります。(本、学ぶ) 私の友達にシアトルに行ったことのある人がいましたから、本当に雨が多いのかと尋ねてみました。(人、問う) 「いつも雨が降っているよ。特にこの時期は降りっぱなしだろうね」と答えが返ってきました。(人、学ぶ) 実際にシアトルに着きました。(経験) 話のとおり、外では雨が降っています。(経験、学ぶ) シアトルでは4日間の滞在です。(経験) 結局4日間すべて、雨でした。(経験、学ぶ) 本で調べてみました。(本、問う) 本には「年間の降水量が多いのは、海岸に面しているから」と理由が書かれています。(本、学ぶ) シアトル旅行を終えました。 私は好きな旅行を通じて「本、人、経験」から「学ぶ」と「問う」ができました。 私は好きなことができたから、それだけでも満足です。 雨が降っているかどうかは関係ありません。 大切なことは、好きなことができたかどうかです。 好きなことで「学ぶ」と「問う」ができたかどうかです。 「本、人、経験」で「学ぶ」と「問う」ができた。 ここがポイントなのです。 私は好きな旅行を突き詰めることで、学問をすることができたのです。 「本、人、経験」から、学問する。

9
★7

「壁に当たったら、気持ちいい」それが学問の面白さ。

学問をしていると、必ずいつか壁に当たるときがやってきます。 運動選手がよく口にしている「スランプ」という状態です。 毎日練習をしているのにもかかわらず、全然上達はしないし、面白くない状態になります。 ですが本当は、その壁こそが学問の面白さです。 それが来るということは、そこまで進むことができたということです。 実践していない人が、壁に当たることはありません。 自分の好きな学問をしていると、いつか必ず壁にぶち当たってしまうものです。 私はジャグリングが得意です。 ジャグリングとは、日本でいうお手玉のことです。 私は最初、2個しかできませんでした。 高校3年のときにジャグリングにはまってからというもの、それ以後ずっとジャグリングが生活の一部になってしまいました。 最初は2個しかできなかったのに、高校3年のときに3個でできるようになって突然はまってしまったのです。 実際のところ本人である私には、そんなに気合を入れて練習をした感覚はありません。 学校でも放課後、暇つぶしにやっていました。 浪人時代も、24時間勉強しているわけではありません。 勉強に疲れたら、頭は疲れていますが体は疲れていないため、ささいなストレス発散でジャグリングを楽しみます。 少しずつの練習が毎日積み重なると、いつの間にかうまくなります。 勝手に手が動き始めるのです。 浪人時代には、4個でできるようになっていました。 留学時代にも引き続きやっていました。 留学したときはアメリカの文化に慣れるために少し時間がかかってしまい、半年だけ練習をしていなかった時期がありました。 しかし、生活に慣れてからは、また以前と同じようにやっていました。 英語のリスニングで使うのは「頭」と「耳」だけです。 「手」は余っています。 余った手はジャグリングをやっているのです。 つまり、並行作業です。 頭や耳、手を使い、体中が大忙しでしたが、私にはそのペースがちょうどよかったのです。 リスニングが上達するにつれて、ジャグリングも上達していきました。 そこからです。 スランプがやってきました。 生まれて初めての本当のスランプ「どうしても5個ができない」ということでした。 しっかりこなすことができない、マスターできないといったところです。 最初の10秒くらいはできるのです。 しかし、長く続かないので自分のものにできた状態ではありません。 それが私にとって本当に壁でした。 いくらやってもうまくならない状態がずっと続いていました。 2個から3個は練習すれば、1時間でできるようになりました。 3個から4個は、6カ月くらいかかりました。 4個から5個が1年経っても、2年経ってもできません。 私は「この辺りが限界か。もともと私には5個は無理だったんだ。手先の器用さの限界かな」と落ち込みました。 しかし、諦めきれなかった。 これも、単純に好きなことだからです。 うまくはならない状態が続きましたが、練習だけは続けました。 なぜ勝手に手が動くのか、自分に問いをかけました。 少しずつやってみなければ分からない「学び」と「問い」を繰り返しながら、頭の中では5個の理論が出来上がっているのです。 ジャグリングは偶数の場合、手は「右、左、右、左」と動かします。 これが奇数になると違った手の動きになります。 「右、右、左、左」になるのです。 もう一度、基礎を振り返り「なぜできないのか」「こうすれば少しよくなったような」を3年続けました。 私は4個から、5個へのステップアップに3年もかかりました。 3年も時間をかけてようやくできるようになったときが、壁を乗り越えた瞬間でした。 本当に分厚い壁でした。 今振り返ると、私にとっての有意義な3年間でした。 今思えば、つらかったけれど不思議と楽しかった。 スランプは、学問ができている証拠です。 壁に当たったときは、壁に当たるくらいの実力をすでに身につけている状態です。 壁で諦めてしまうこともできます。 しかし、せっかくですから、壁を越えてしまいましょう。 壁をつらいと思うのではなく、楽しんでしまうのです。 壁まで来ることができたなら、もうひと踏ん張り楽しんでください。 越えられないのは、楽しみが足りない証拠です。 壁を感じたら、余計に楽しんでしまうことが大切です。 壁を楽しみながら、乗り越える。

10
★8

借金は好きなことには許される。

基本的に、借金はいけないことです。 しかし、それは「基本的」であって、1つだけ「例外」があります。 唯一「好きなこと」だけには、借金をしてもよいという例外があります。 好きなことは、あなたの個性であり、天命、使命です。 天から授けられたその才能を、ほったらかしにするほうが、神様に対して失礼です。 命を懸けて、自分の与えられた才能を最大限に活用して、世の中と人々への貢献に発揮するのです。 それに限っては、借金は許されます。 もちろん借りたお金は、必ず返さなければいけません。 それだけは守ってください。 自分の好きなことには、欲を持つことです。 欲張りになるのです。 今しかないと思えば、すぐするのです。 今、お金がなければ、借りてでもいいから行動してしまうことです。 私はアメリカ留学時代、人一倍、本にはお金をかけていました。 本を読むのが好きだからです。 本を中心にして「学ぶ」と「問う」を繰り返してきました。 もちろん図書館も利用しました。 Little Tokyoの図書館に通っていました。 1カ月の間に、110冊以上読んだときもありました。 そのときには1カ月の本代だけで、お金が10万円以上もかかってしまいました。 おかげでお金がどんどん減っていきました。 しかし、自分の好きなことでしたから、どんどん頭の中に入っていきます。 ある日、ついに自分のお金をすべて使い果たしてしまいました。 私にとって大切なことは、時間です。 「今、読まないと次はない。次には気が変わっている」という危機感がありました。 やる気は、生ものです。 食べ物には消費期限があるように、やる気にも消費期限があります。 どうしても「今」にこだわり、借金してでも本を買っていました。 友達から借りたら、できるだけ早くお金は返します。 今のところ、返せなかったお金はありません。 次の月になったら、仕送りのお金で借金を返します。 それでも、お金の使いすぎで親にとても叱られたものです。 学問のしすぎで、親に叱られるのです。 「学ぶことがそんなにいけないことなのかな」と思いましたが、私はあくまで好きなことに忠実になりました。 ここで止まってはいけません。 ここで止まると、人生の幸せ列車も止まってしまいます。 勢いがあるなら、その勢いは大切にしましょう。 新幹線は動き始めるまでは時間がかかりますが、一度走り始めればすごい速さです。 各駅停車になっては、もったいないです。 またやり直しになります。 私は留学での勢いをつけるのに、3年かかりました。 1年目より、2年目のほうが速くなっています。 2年目より、3年目のほうが速くなっています。 3年目のペースで、ようやく新幹線並みの速さになってきました。 私はこの好きなことをするペースを、なんとしてでも大切にしたかったのです。 勢いが止まると、また1からのやり直りになります。 だからこそ、勢いのある「今」にこだわりました。 車の維持費がかかるように、勢いの維持にもお金がかかりました。 お金が原因で、親に嫌われたこともあります。 しかし、私は好きなことができて、幸せでした。 私の部屋は今、何もありません。 パソコンも売ってしまい、お金に換えてしまいましたから、いつでも引っ越しできるくらい何もなくなりました。 私は何も持っていないようですが、実はたくさん持っています。 知的財産です。 私の頭の中には、留学生活3年6カ月の間に学んできた知的財産があります。 一度頭に入った知的財産は、死ぬまで消えることはありません。 盗まれることもありません。 今はその知的財産を使って、本を書いています。 今まで自分が楽しんできたから、今度はお返しを行っています。 もともと自己表現がしたい欲求もあったので、このように本を書いている最中でさえ、まだ好きなことを楽しんでいるところです。 私には長かった留学生活で、かけがえのない知的財産をたくさん手に入れることができました。 それが「好き」という学問を貫いて得た「知的財産」です。 学問で「お金」を「知的財産」に変える。

11
★8

無駄な回り道をすることが、近道になる。

学問では、無駄な回り道をたくさんすることが大切です。 無駄な回り道に見えても、実はそれは近道になるのです。 逆に、近道が一番の回り道になります。 これは学問だけでなく、人生のあらゆることに通じます。 私は、日本の大学には行っていません。 代わりに留学をしました。 私には、留学が大きな学問になります。 浪人してからの留学ですから、一見、遠回りのような感じがします。 日本のほうが大学は簡単だし、お金も留学ほどかからないし、食べ物にも困ることがありません。 早く就職できて、早く人生が安定できそうな道は、日本コースです。 しかし、実際には、どちらの道でもいいのです。 本人のしっかりした志があれば、何でも正解になります。 早く就職することが目標なら、たしかに留学は回り道になります。 しかし、私は回り道をした留学経験で、人生の近道になっています。 回り道のほうが、経験量が増えるからです。 それに経験したことが、日本ではできない経験なだけになおさら貴重です。 留学という回り道が、近道になったのです。 学問をするときには、一番をあまり考えすぎないことです。 いろいろ無駄なようなことでも「学ぶ」と「問う」ができていれば、しっかり成長できています。 学校の勉強では、3歩前に進んで3歩後ろに下がれば、0になります。 元の位置に戻り、1歩も進んでいないことになります。 しかし、学問では、無駄にはなりません。 学問では、3歩進んで3歩下がったら、6歩の前進になるのです。 それは経験量ということです。 失敗でも「失敗という経験」ができれば、今後のための立派なデータになります。 成功も大切です。 しかし、失敗はさらに大切なのです。 学問には、1つもの無駄もありません。 行動すれば、行動した分経験ができます。 正直な世界です。 それが学問です。 回り道をすることが、近道になるのです。 人生の回り道をする。

12
★12

学校の勉強は、暗記。
社会の学問は、気づき。

社会の世界は、学問の世界に当たります。 社会は、たくさんの「学び」と「問う」ことの塊です。 学校の勉強は「暗記」です。 社会の学問は「気づき」です。 学問は、気づくことから始まります。 「なぜだろうか」が「知りたい」に変わります そこから次の「問う」が始まります。 学校の勉強は、暗記です。 暗記できていれば、卒業できます。 考えなくても、暗記ができれば優等生です。 πの3.141592を暗記できていれば、点数がもらえます。 しかし、社会では、考える人が成功します。 πを暗記しなくても、人に聞けばいいのです。 人に聞けなければ、本で調べてもいい。 本がダメなら、インターネットで調べてもいい。 このように気づき、考えて、応用する人が成功します。 考えなければ、応用できません。 社会では、あらゆることが学問になります。 人付き合い、仕事、遊び、気分転換、一人暮らしなど無限にあります。 それは気づかないと始まりません。 私は人付き合いに関しては、人一倍に気を使っています。 気を使っているため、人付き合いのいろいろなことに気づきます。 たとえば、友達が私の部屋に遊びに来ました。 私の部屋には、パソコンがあります。 友達が勝手に私のパソコンをいじり始めました。 勝手に私のパソコンをいじられると、嫌な気持ちになります。 一言でいいから「使ってもいいですか」と聞いてほしかったのです。 このとき、気づきました。 「私も友達の部屋に行ってパソコンを使わせてもらうときには、一言許可を得てからにしよう」と気づきました。 これに気づかなければ、それまでです。 しかし、これに気づくことができれば、成長ありです。 気づくことで成長できるとは、こういうことです。 社会では、気づくところは無限にあります。 社会の学問は、気づきから始まるのです。 暗記より、気づく人が成功できるのです。 日常に点在する「問い」に、気づく。

13
★9

メモをしながら話を聞くと、学問できる。

学問は「本、人、経験」からです。 人から学問をするときには、メモを取りながら話を聞くことが大切です。 人間はそもそも忘れることが大得意です。 聞いたときには「覚えられる」と思っても、後になればいつの間にか忘れてしまっています。 だから紙にメモを取り、記録しておくのです。 紙に書けば、消えることはありません。 どんどん紙にメモをしていき、大切なことを記録していくのです。 メモしながら話を聞いていると、いつの間にか学問になっています。 何をメモしていいのか分からないときは、相手の話の内容でもかまいません。 できれば、話の内容は自分の好きな分野なら理想的です。 相手の話を聞いていると、いずれ疑問が湧いてきます。 「なぜ」と気になり始めるのです。 その疑問を問います。 話している人に、直接聞いてもかまいません。 自分で考えることでもかまいません。 話を進めていくと、積極的な会話になっていきます。 問いに対して答えを見つけると、学べます。 答えに納得したら、また次の新しい疑問が浮かんできます。 その疑問を、また問えばいいのです。 メモを取りながら話を聞くと、この「問い」と「学ぶ」の両方ができます。 いつの間にか自然にできています。 私は特に、コンピューターの分野の話が大好きです。 友達にシステム・エンジニアの人がいます。 私がコンピューター関係の仕事をしていることもあり、聞いておきたい話や日頃の疑問など、聞きたいことが山ほどあります。 そこで疑問を投げて問いてみます。 それに対して答えが返ってきます。 また疑問が湧き、問いてみます。 自分の好きな分野だと、マシンガンのように「問い」と「学ぶ」ができるのです。 たくさん書くことがあって、メモ用紙が足りなくなるときさえあります。 人と話すときは、メモ用紙持参が基本姿勢なのです。 真面目な会話のときは、メモをしながら話を聞く。

14
★10

学問をすると、みんなと違う個性を持てる。
社会では「みんなと違う人」を求めている。

みんなと違うようになるのが、学問です。 「学ぶ」と「問い」は、人それぞれです。 学問をしていくと、その人の個性になります。 学校の勉強をしても個性にはなりません。 学校の勉強は、みんなが同じ答えを出せるようになるための勉強です。 強制して、同じ答えを出させようとします。 違う答えを出したら、点がもらえません。 学校を卒業させてもらえません。 「落ちこぼれ」 と呼ばれます。 学校の勉強はただの暗記なのです。 考える必要はありません。 答えを暗記していれば、しかし、社会では、答えを暗記しているだけではよくありません。 暗記しなくても、調べればあっさり済むことだからです。 社会では、暗記力はほとんど不要です。 社会では学問をして、みんなと違うようになることが大切です。 無理やりみんなと違うように学問しようと力まなくても、普通に学問していると自然に違っていきます。 それがあなたの個性です。 より強化された個性です。 その個性には特許はありません。 真似できないからです。 あなたの個性はオンリーワン(Only One)、ただ1つになります。 これは社会に出てから強みになります。 社会では「みんなと違う人」を求めています。 学校教育によって、同じ答えを出す勉強ばかりをした人はたくさんいます。 山ほどいるから、すでに採用は締め切っています。 勉強人間は周りと同じ中身を持っていますから、個性がありません。 優等生のように見えて、優等生ではありません。 だからこそ、社会では「みんなと違う人」が必要とされています。 どんな分野でもいいので、自分の好きな分野で個性を伸ばすことが理想的です。 人と変わっているから競争しなくて済み、オンリーワンで生きていけます。 みんなと違うようになるために、学問する。

15
★7

感動するためには、学問が必要だ。

感動するためには学問が必要です。 感動している人は、心が感じ、動いています。 心が感じ、動くためには、その刺激を受け取るための「受け皿」が必要です。 この受け皿を作って大きくするのが、学問です。 学問をすると、受け皿がどんどん大きくなります。 受け皿にもいろいろ種類の受け皿があり、それぞれの皿がそれぞれの刺激を受け取ります。 刺激を受け取ったとき、感動するのです。 建築に感動する人は、建築への受け皿があるからです。 コンピューターに感動する人は、コンピューターに対して感動の受け皿があるからです。 映画に感動する人は、映画に対して感動する受け皿があるからです。 感動するためには知識がないと、素晴らしさが分からないのです。 知識を身につけて受け皿を大きくするためには、学問をすることが必要なのです。 感動できる幅を広げるために、学問をする。

16
★6

いろいろなことに感動する人は、いろいろな刺激の受け皿を持っている。

いろいろなことに感動する人は、いろいろなことを学問している人です。 いろいろな刺激を受け取る受け皿を持っているからです。 これは言い換えると、いろいろな価値観を持つことができているということです。 たくさんの受け皿を持つ人は、たくさんのことに感動します。 建築に感動する人は、建築への受け皿があるからです。 だからとはいえコンピューターにも感動するわけではありません。 コンピューターに対する受け皿がないと、コンピューターの感動を受け止めることができないからです。 私はコンピューターが好きです。 だからコンピューターの話になると、目の色を変えます。 コンピューターの話には感動します。 一方で私は、植物学には特に興味はありません。 ただ、学問不足なだけです。 知識がないため、良さが分かりません。 感動するための要素は植物学にもしっかりあります。 しかし、感動するための受け皿がないから受け止められないのです。 気づかない、気づけないだけです。 もし、私が植物学を意識的にいろいろ学ぶと、受け皿ができます。 植物学にも感動できます。 いろいろなことを学問をするということは、いろいろなことに感動できるということなのです。 いろいろな学問で、いろいろなことに感動する。

17
★6

好きなことを学問をするということは、幸せを学問をするということ。

幸せを感じる人は、幸せの受け皿を持っている人です。 幸せの学問をしています。 幸せの学問は好きなことの学問です。 自分の好きなことを学問すればいいのです。 自分の好きなことを学問をするということは、自分の幸せを学問をすることになるのです。 好きなことで学問をすると、好きなことの刺激を受け取るための受け皿が大きくなります。 好きなことをやることは、幸せになるということです。 好きなことの刺激を受ける受け皿が大きくなるということは、幸せの刺激を受けるための受け皿が大きくなるということです。 「幸せ=好き=学問」ということです。 自分の好きなことを「学ぶ」「問う」ことが面白くないわけがありません。 それは自分の好きなことだからです。 好きなことをやっていると、生き方が生き生きします。 好きなことをやっているからです。 好きなことがあり、好きなことをやるから、生き方が生き生きしていくのです。 生き生きした生き方には、必ず幸せ感が伴います。 好きなことをやっているからです。 人生において好きなことをやること以上に、好きなことはありません。 幸せの刺激を受け取る受け皿を大きくするためには、自分の好きなことをすればいいだけです。 好きなことをしている以上に生き生きしている瞬間はありません。 ですから、好きなことをしていること以上に幸せを感じることもありません。 好きなことは何でもいいのです。 1つだけでもかまいません。 無理して2つも3つも作るほうが、それぞれが違う受け皿ですから、手間暇がかかります。 自分の好きなことを1つに絞って幸せを追い求めていくのが、賢い方法です。 好きなことで、幸せを感じる。

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★8

学問しすぎると、悪口を言われるようになる。
悪口を言われるくらい学問しよう。

学問していると、悪口を言われるようになります。 みんなと同じであることが美徳と思っている日本人は、少し変わった人を特別視します。 しかし、本当は、変わっていることこそが、美徳です。 好きな学問していると、いつか必ずそうなります。 「自分の学問は打たれるほど、杭が出た」と喜びましょう。 出る杭はよく打たれますが、好きなことを貫きましょう。 出る杭は打たれますが、出すぎた杭は打たれません。 熱意に驚き、何も言わなくなるのです。 私は、この経験を母親から受けました。 小学校2年生のころ、ある本屋で鉛筆を見ていたときのことです。 「お菓子を買って」というおねだりにはいつも反対する母ですが、鉛筆などの文房具を買うときは、笑顔を見せます。 勉強のためなら、いくらでもお金を出すといいます。 たしかに母は、勉強に関係するものなら何でも買ってくれました。 子供の勉強を思ってのことです。 本やノートは、無条件でショッピングカートに入れさせてもらえます。 しかし、小学校2年生当時、勉強が嫌いでした。 学校から出される勉強は面白くないし、楽しくないのです。 それから長い月日が経ち、勉強に対する考えが変わるときが来ます。 高校1年のときです。 私は体操部に所属していました。 将来は、体操で食べていければいいかなと思っていました。 それが高1の冬、ある1冊の本がきっかけで勉強に目覚めました。 勉強をし始めたというよりは、勉強に目覚めました。 勉強に対する前向きな考え方を知り、勉強が急に楽しくなったのです。 たった1冊の本がきっかけで、人間変わるものなのです。 それから私は猛烈に勉強するようになりました。 勉強は、すればするほどできます。 当たり前のことですが、それに気づき、楽しくて仕方ないのです。 ぐいぐい成績が上がり、勉強に拍車がかかります。 ついに英語と数学はクラスで一番になり、通知表で100を取ったこともあります。 参考書や問題集など、たくさんの本を母に買ってもらいました。 母は最初、私の勉強に対して寛大でした。 しかし、高校3年になり、進路決定するときのことです。 希望する進路は、レベルの高い国立大学でした。 大学受験までには足りないことが多くあり、大学受験に失敗しました。 浪人時代が始まりましたが、勉強に対する姿勢は変わらず、勢いを持って勉強していました。 存分に勉強ができて、本当に楽しかった時期でした。 苦しさもありましたが、それ以上の学ぶ楽しさがありました。 さらに進路変更があり、浪人生から留学生になります。 それからアメリカ留学で、私の学問が爆発します。 大量の本で、毎日「学ぶ楽しさ」で、幸せにあふれてしまいました。 そのときからです。 すごい量の本に比例し、一転して母の怒りが飛んでくるようになります。 学問しすぎて、悪口を言うのです。 「そんなにお金使うんやったら、いいかげん勉強やめて、日本に帰って、実家で畑でも耕してなさい」 それに対して、私はいつもこう謝っていました。 「たくさん勉強しすぎて、ごめんなさい」 私は母に「勉強しろ」と言われ、一方で「勉強するな」と言われてきました。 このおかげで、後に私は人生の矛盾に対して免疫を持つことになります。 学問していると、いずれ悪口を言われるようになります。 手を抜いているときは、さほど言われませんが、真剣になって取り組み始めると、時間もお金もそれだけかかります。 そのために、周りの人がぶつぶつ言ってくるようになります。 悪口を言われても、自分の「好き」を貫くことです。 悪口を言ってくるのは、友達かもしれません。 先生かもしれません。 親かもしれません。 悪口くらいで「好き」を諦めては、幸せな人生を諦めてしまうことになるのです。 悪口を言われるくらいに、学問を徹底する。

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★5

学問の究極は「キーワード」になる。

学問は奥が深いです。 それは井戸のようです。 上から見ると表面積は同じなのに、横から見ると深さがある。 この深さは、底なしです。 どんどん深くなります。 学問をすればするほどたくさん学ぶことがあることが分かり、知らないことや知りたいことが増えていきます。 しかし、いくらたくさんあっても、学問の究極は一言の「キーワード」になります。 その1つのキーワードは、多くの意味を含んだ圧縮語です。 余計な意味をそぎ落とし、本質だけを突いた一言。 その1つに、すべてをぎゅっと圧縮しています。 私の父には、ある口癖があります。 「まあ」とよく言います。 父の苦労は、本にすればすごい量になるでしょう。 それを一つ一つ、私に諭すわけにはいきません。 時間がかかりすぎて、お互いの人生が終わります。 父の苦労した経験を生かし、息子にアドバイスをします。 父の成功哲学を、私に言います。 それはたった一言の「キーワード」に圧縮しています。 父は、将来の進路に頭を抱えている私を見て言います。 「まあ、貴博のことだから、大丈夫だろう」 この「まあ」が大切です。 父の今まで人生の学問が「まあ」の一言に圧縮されています。 父が今まで苦労を重ね、人生が終わったと思うようなトラブルがあっても「まあ、何とかなる」という教えを説いている。 私は、父のこの成功哲学を幼いころから知らない間に潜在意識として叩き込まれてきました。 その影響で、私の人生の要所には、父と同じ口癖になっています。 「まあ、何とかなるでしょう」 これが、私の口癖です。 学問の究極は、たった一言のキーワードになるのです。 一言の「キーワード」に圧縮する。

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★3

「キーワード」は、無限に解凍できる。

学問は「1つのキーワード」に圧縮ができます。 この反対に、解凍もできます。 私の成功哲学の「キーワード」の1つに「スピード」というのがあります。 「スピード」という言葉は、たった一言です。 しかし、このたった一言を解凍すると、無限に広がっていきます。 成功に関係することなら、これを解凍すればいくらでもネタが出てきます。 たとえば、私が「成功するためには、スピードが必要だ」というプレゼンをするとします。 そのとき「スピード」という言葉の意味を解凍するだけですから、いくらでも話し続けることができます。 プレゼンのコツは「キーワードを持つこと」です。 挨拶のスピード、輸送運送のスピード、会話のスピード、仕事のスピードなど、解凍は簡単にできます。 学問は、1つか無限かの、極端な面を持っているのです。 「キーワード」を、無限に解凍できるようになる。

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★5

1つの学問を突き詰めた共通点は、すべての学問に共通する。

実は、1つの学問にはすべての学問に共通する点を含んでいます。 学問を1つ、突き詰めると、ほかの学問も突き詰めたことになると言っても過言ではありません。 大切な要素は、どの学問にも共通しているからです。 映画、コンピューター、サッカー、歴史、哲学、心理学、人付き合いなどジャンルはたくさんあります。 しかし、実はすべてが連動し、同じ共通点を持っています。 学問の面白さは、この共通点を見つけることにあると言っても過言ではありません。 私は比較的、コンピューターの分野が得意です。 コンピューターには「起承転結」があります。 何かの作業を始め、途中に山あり谷ありで、最後には終わるという一連の流れです。 「始まりがあれば、終わりがある」という点では、すべての学問に共通します。 本当にすべてに共通するのです。 映画、サッカー、仕事、戦争、心理学、遊びなど、これらすべてに「始まりがあれば、終わりがある」という共通点があります。 これだけにとどまりません。 あらゆるジャンルにこの「始まりがあれば、終わりがある」という共通点が存在するのです。 学問の数をいくつかこなしていると、知らず知らずのうちにこの共通点に気づいてしまいます。 私は、最初の英語が苦労しました。 とにかく手当たり次第の体当たりでした。 しかし、その後習ったスペイン語、韓国語、中国語にも、同じ共通点があることを発見しました。 語学にも「始まりがあれば終わりがある」という共通点があります。 それは「挨拶会話」と「別れ会話」にあたります。 語学習得では「挨拶会話」と「別れ会話」ができることが大切です。 「挨拶会話」から始まれば、終わるときには「別れ会話」を使います。 極端に言えば「挨拶会話」と「別れの会話」ができるようになれば、ひととおりの会話ができるといってもいいのです。 この会話が語学習得で大切なことだと分かれば、スペイン語、韓国語、中国語にも共通するので、勉強しやすくなります。 どこにポイントを置いて勉強を進めていいのかが分かるからです。 それぞれ異なる言葉に思えますが、同じなのです。 スペイン語でも韓国語でも中国語でも、挨拶会話とお別れ会話ができるようになれば、会話ができるという状態になれるのです。 それぞれの学問同士の共通点が見つかるのです。 まず1つを突き詰めていくと、大切な点が見つかります。 それはその分野に限らず、あらゆる分野に共通する点なのです。 この共通点のおかげで、学問はすればするほどほかの学問もやりやすくなるという性質があるのです。 学問同士に共通する点を、見つける。

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★6

学ぶより教えるときに、本当に身につく。

学問が本当に身につくまでには「学ぶ」「問う」のほかに、実はもう1つあります。 「教えること」です。 「学ぶ」「問う」は、学問の最初の段階です。 本当に身についているということは、教えるという作業ができるということです。 もし教えることが難しければ、本人の学問が本当に身についていない証拠です。 学問を教えるとき、極端に言うと「キーワード」となります。 たった一言の圧縮語になるのです。 たとえば、成功哲学というテーマで私が教えるときには「スピードだよ」と一言で終わらせてしまいます。 しかし、これを聞いて分かる人は分かりますが、分からない人はまったく分かりません。 分からない人にも分かるように解凍するのです。 圧縮ができるなら、解凍もできるようにならなければ、本当に身についたとは言えません。 私は、分かるまでどんどん解凍します。 もし私が解凍の途中で詰まったら、私がきちんと理解していないところがあるということになります。 具体的理解ではなく、抽象的理解であったことになります。 教えながら自分も学問し、本当に学問を身につけていくことです。 身についているから教えるというより、教えるから身につくのです。 実は、私の場合、今まさにこの作業を行っている最中です。 本を書くことです。 私の中には、哲学がすでにたくさん詰まっています。 たくさんの本を読んできたおかげで、頭の中には十分と言うくらいにコツが詰まっています。 圧縮された「キーワード」という形で、すでに頭の中にあります。 私がすでに具体的理解をしている一言の「キーワード」です。 参考までに、いくつか紹介しましょう。 私の頭の中にある圧縮されたキーワードです。 「スピード」 「時間」 「無限」 「1」 「今」 「知恵」 「勤勉」 「聞く」 「量」 「集中」 「好き」 「行動」 「臨機応変」 「正直」 「素直」 「謙虚」 「ギブ&ギブ」 「簡単」 「それぞれ」 「挨拶」 「基本」 「真似」 「バランス」 「整理整頓」 「勢い」 これはほんの一部です。 これらのキーワードは、たくさんの本を読んで身についた哲学であり、圧縮された言葉です。 私は本を書くことで、これらを解凍しています。 「貴博君は、いろいろ知っているんだね」とよく言われますが、私は知識王ではありません。 圧縮された「キーワード」を、ただ無限にどんどん解凍しているだけです。 たくさん書いているようですが、読者の中には気づいている人もいるはずです。 同じことしか言っていません。 「キーワード」という哲学を、具体例、シチュエーション、アングル、ジャンルなどを変えて、分かりやすく説明しているのです。 サイト「HappyLifeStyle」には、さまざまなカテゴリーがあります。 実際はカテゴリーを変えているだけで、中身は同じことを言っています。 読者には別々の話をしているように思えますが、視点を変えながら同じことを言っていることに気づくはずです。 私はたくさんのことを知っているのではなく、たくさん解凍しているだけです。 1つの学問を突き詰めた共通点は、すべての学問に共通します。 共通点は、ほかの学問にも同じく共通します。 「共通しない」という人がいれば、共通が見つけられないだけです。 私は今までさまざまなジャンルの本を書いていますが、共通点は同じです。 同じことしか言っていません。 私の中に一言で圧縮された「キーワード」だけです。 文章をよく見てみると、キーワードをほどよくちりばめていることに気づきます。 本を書くことで、キーワードの解凍作業を行っています。 書く作業によって、学問を本当に身につける作業を行っています。 学問を、教える。

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★8

書くこととは、教えること。
教えることとは、書くこと。

自分の学問に自信がつけば、積極的にアウトプットして、教える作業をしてみるといいでしょう。 謙虚にならず、どんどん具体的に行動すればいいのです。 どうアウトプットをするのかは、人それぞれです。 人それぞれ得意なことや趣味、好み、長所など違ってくるので自分に合った方法でアウトプットしてみるといいでしょう。 たとえば私の場合を例に挙げさせていただくと、文章を書くことが得意です。 初めは好きなことから文章を書き始めたわけですが、好きなのでたくさん文章を書いていると当然うまくなります。 それでいつの間にか、書くことが得意分野になってしまいました。 私の場合は、本を書くことでアウトプットを行っています。 これが自分に一番あったアウトプットだと思ったからです。 自分の中にある学問をうまく伝えることができるように「教える」作業をしています。 これは本当に身につきます。 自分でしっかり分かっていたつもりでも、書こうとするとき、表現に困ります。 学問は絵で表現できます。 イメージと言うことです。 私はイメージ脳と言われる右脳で想像して、そのイメージを今度は言語脳と言われる左脳を使って表現しています。 自分が今まで理解していたのは、どちらか一方の脳だけです。 右脳左脳の両方の脳で理解することが大切です。 そこで「イメージから言葉へ」「言葉からイメージへ」と変換作業をします。 これが教えるということです。 日記をつけている人は、比較的これが得意です。 日記では、今日1日あった出来事を書きます。 日記を書くのは、要約作業です。 頭の中には、1日に起こったイメージがたくさんあります。 そのイメージを文字に変換します。 イメージ脳の右脳と言語脳の左脳の両方を使います。 これが日記は頭によいと言われる理由です。 日記を書くことは、右脳と左脳をバランスよく活用することになります。 右脳と左脳をバランスよく活用させて「イメージを言葉に変換」と「言葉をイメージに変換」の力が鍛えられます。 学問では、イメージと言語の両方で理解できたとき、初めて「分かった」ということになります。 できなければ「ただ知っているだけ」の状態で、進歩がありません。 みんな、知ってはいます。 理解したいのです。 分かりたいのです。 教えることが最終的な重要作業になります。 私は、初めての本を23歳で書きました。 書くことは、教えることでもあります。 本を書かなくても、書く作業ができれば何でもOKです。 日記でもかまいません。 友達へのメールで書いてみるのもいいことです。 両親への手紙で、今までの自分の成長を書いてみるのも名案です。 実際に書く相手がいなくても、自分が納得できることを書けてさえいたら、教えることと同じ作業をしていることになります。 頭の中での、右脳左脳の活動が同じだからです。 本を書いても、友達や両親へ手紙を書いても、頭の中ではイメージ脳の右脳と言語脳の左脳を両方使っています。 そのため、教えることと同じ活動を意味します。 書いてみましょう。 それが学問になります。 積極的にアウトプットする。

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★4

書く行為と考える行為が同時に起こる。
書くから考えることができる。

実際、本を書きながら自分の考えが足りないことに気づきます。 分かっていると思っても、どこか足りないものです。 大切なことは、書きながら考えることです。 私は、書くのが遅いときと速いときがあります。 書くのが速いときは、自分の考えがしっかりまとまっていて、すんなり右脳と左脳同士の変換がうまくいっているときです。 書くのが遅いときは、自分が教えるにはまだ考えが足りないことに気づき、考えながら書いているときです。 速いときは10分くらいで1つのセッションが出来上がることに対して、遅いときなら1時間以上もかかります。 考えがまとまってから書くというより、書きながら考えているという状態です。 書いてみないと、考えられないのです。 書く行為と考える行為が、同時に起こっているのです。 書くから考えが浮かんで、整理でき、まとめていくことができるのです。 書きながら、考える。

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★20

謙虚な人ほど学問ができる。

学問をするときのコツは、謙虚です。 謙虚な人は伸びます。 謙虚な人は、人の話を聞くことができるからです。 分からないところがあったときは、素直に「分からない」と言えます。 「教えてください」と言えます。 成長が伸びる人は、こういう人なのです。 偉そうな人は腰が高い。 自分の肩書を振り回して、自分の考えが絶対だと思っている人です。 絶対の考えはこの世にはありません。 答えは無限にあり、答えは1つもないのです。 偉そうな人の話は、答えだけをどんと言って「どうだすごいだろ。よく知っているだろ。尊敬しろ」というオーラを放っています。 ちょっと試しに、その答えが出た理由を聞いてみると面白いでしょう。 出した答えに対して「なぜですか」と20回も30回も、繰り返すのです。 たいていは、言葉に詰まります。 「そんなの当たり前に決まっている。言わなくても分かるだろ」と言い返して逃げることでしょう。 考えないか、あるいは考えることを途中で放棄します。 世の中、考える人が成功します。 なぜなのかをしっかり考え、間違ってもいいから自分で考えた答えを出せる人が、強いのです。 謙虚な人は、どんどん知識を吸収します。 いろいろな知識や価値観、知恵などをたくさん学びます。 謙虚だからこそ、底なしで吸収でき、あるとき気づくのです。 答えなんて無限にあり、答えなんて1つもないということに。 難しい問いには、謙虚になる。

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★2

学問とは、終わりのない娯楽だ。

学問には終わりがありません。 学問の究極は、たった1つのキーワードになります。 1つのキーワードに圧縮することが、学問です。 では、1つのキーワードで表現できれば終わりかというと、そうではありません。 圧縮は、まだ半分です。 もう半分は、無限に解凍することです。 学問の究極は、1つに圧縮された「キーワード」であり、無限に広がる解凍です。 圧縮解凍の両方を、極めるときです。 解凍もすべて出来上がったとき、初めて本当の終わりになります。 しかし、これは無理なのです。 無限だからです。 すべてに答えは無限にあり、答えは1つもありません。 学問とは、終わりのない娯楽なのです。 終わりのない学問をする。

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★5

もっと積極的に、アウトプットを意識する。

学問の最終的な目的は、人を幸せにすることです。 自分の学問で、自分と他人を幸せにすることです。 学ぶだけでは、人としての役割を果たしていません。 学ぶだけでは、単なる学生です。 学生と社会人の大きな違いは、社会貢献しているかどうかです。 社会貢献とは「自分が社会の幸せのために役立つこと」です。 学問は、まず自分が楽しむことが大切です。 学生時代には、自分の好きなことでしっかり楽しむことです。 自分が楽しめば、今度はお返しする時期がきます。 人生には2つの時期があります。 前半は「自分が学問を楽しむ時期」。 後半は「自分が楽しんだ学問をお返しする時期」です。 お返しとは、アウトプットです。 アウトプットは、すればするほど、楽しくなります。 私は今、本という媒体で自分をアウトプットしています。 私は今まで、親の援助に頼って学問を楽しませてもらったため、今度は親にお返ししたいと思っています。 もちろんお金で返すことも必要です。 しかし、単に、お金で返したのではいけません。 お金では、恩までは返せないからです。 恩は、お金では買えません。 親には、お金ではなく「精神的豊かさ」でお返しすることが大切です。 自分が今まで学問で楽しんだ幸せをお返しするのです。 親には、私が書いた本をプレゼントします。 これは私の精神的豊かさの塊です。 この本はお金で買えますが、お金では作れません。 この本が執筆されるまでには、私が生まれた年数分もかかったことになっています。 私が今までずっと学問を楽しんだ幸せを詰め込んだ宝物です。 精神的豊かさなのです。 誰か限定した人のためのパーソナルの作品というのは、実はみんなにも役立つものです。 パーソナルは、マスへと広がります。 これは親にだけの限定でなく、世の中に役立つものです。 社会に貢献できる作品です。 今まで私は学ぶだけだった学問が、ついに人の役に立つときがやってきたのです。 人の価値というのは、どれだけアウトプットしたかで決まります。 偉人の伝記で出てくる偉人たちに共通するのは、大きく社会貢献したというところです。 社会に対して、幸せをどれほどアウトプットしたかなのです。 これが、人の価値です。 生まれてきてしまったから、仕方なくただ生きるのではありません。 「人生とは、幸せのために歩む長く短い一人旅」です。 人間は、自分が幸せになり他人を幸せにするという幸せの生き物なのです。 自分の学問を、アウトプットする。

28
★5

好きな学問を突き詰めると、いつか、人の役に立つときがやってくる。

一度やり始めてしまった学問ならば、とことん突き詰めていくことです。 学問を突き詰めるということは、自分の「好きなこと」を突き詰めることです。 私の場合は知的好奇心が旺盛で、いろいろなことを学ぶのが好きです。 何を学ぶのが好きかより、学ぶことが好きなのです。 私はよくいろいろなことを学んできたものです。 たくさんの本を楽しみ、たくさんの人と知り合い、たくさんの経験を楽しみながら、自分の好きなことをこなしていきました。 量をこなすと深みが出ます。 ほかの人に負けないくらいの「好き」を深めていくと、インプットだけでなくアウトプットできるようになります。 というより、アウトプットしたくなるものなのです。 学校の先生は、アウトプットの達人たちです。 今までたくさん学んできましたから、今度は自分が誰かにたくさん教え、知識をアウトプットすることで人の役に立っているのです。 自分の「好き」は、いつか人の役に立つときがやってきます。 私も、これに当てはまります。 今まで好きなことをたくさん学んできたことで、今度はそれを誰かのために役立ってもらいたくなっています。 そこで今、私は本を書いています。 この本は、学問好きな人の役に立つ内容にしています。 私の「好き」のアウトプットが、塊になったものです。 結晶なのです。 好きはできるだけ突き詰めていくことが大切です。 突き詰めていくことで、その好きなことはいつか必ず人の役に立つときがやってくるのです。 自分の好きな学問で、人の役に立ってもらう。

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★7

試して身につけることで「学問」は「道具」になる。

学問では、習ったらすぐ試してみることが大切です。 学んだことでも試してみないかぎり、実際に本当かどうか分かりません。 体験し、自分の身に刻みこみます。 本から学んだ知識は知識にすぎませんが、体験が伴ったとき知識は経験へと変わります。 自分の「好きなこと」の経験量を増やしていきましょう。 好きで学んだことはどんどん試していくことで、自分の中に入っていくのです。 身につけるということです。 私は実際に学んだことを本にしています。 私が学んだことです。 本を書くときには、マイクロソフト社のWordを使っています。 Wordは、独学で学びました。 今まではWordを学ぶだけでしたが、今回の本の執筆では初めてWordを「道具」として使います。 学問でWordを学び終わり、Wordが使うための「道具」となったのです。 今までの学びによって、Wordは身についているものだと思っていました。 しかし、それはただ、学んでいるだけだったのです。 実際の「本を書くために使う」と、これがなかなかうまくいかないです。 今まで学んだだけで、身についていなかったのです。 練習と実戦は違います。 それでも以前にWordを学んだ経験があります。 今回は実際に実戦を通して、さまざまな機能を試しました。 最初は本を書くより、Wordのほうに集中が向いていました。 試しながら、Wordという学問が本当に身についてきました。 今ではWordを学んでいるのではなく、Wordを「道具」として使っています。 今までの学問が本当に身につき、今では私の「道具」です。 Wordを「道具」として、操ることができるようになりました。 好きな学問を道具にして、さらに次への大きな「好き」へとステップアップしていくのです。 自分が好きでやっている学問の最終目的は「幸せ」です。 幸せのために、好きな学問を、道具にします。 道具を使って自分が幸せになり、他人までもどんどん幸せにします。 映画『魔女の宅急便』の主人公キキは、最初は魔法のほうきを使うのに精いっぱいでした。 魔法のほうきを使えるようになるために学んでいました。 旅立ちの日を迎え、今まで学んでいた学問である「魔法のほうき」が「道具」になります。 道具となった魔法のほうきを使い、後にキキは自分が幸せになり、他人を幸せにするということに貢献していくのです。 学問を習った後は、実際に試して「道具」として活用する。

30
★5

好きな学問を突き詰めると、幸せのための魔法となる。

私は今、Wordが道具になってしまいました。 今、本を書いているときに使っている道具は、マイクロソフト社の「Word」です。 最初はWordを学問していましたが、身につけてしまい、今では道具になっています。 今、私は「書くこと」そのものを学問しています。 「人に伝えるにはどうすればいいか」という学びと問いを、繰り返しています。 「気づく」ことで、今「書くこと」をどんどん学んでいます。 これが次の段階になると、書くことが道具になります。 「書くこと」で本が出来上がると、私の「書くこと」が自分を表現するための道具になります。 さらに次の段階では、本という「道具」を使って自分が幸せになり、みんなまで幸せにすることができるようになります。 これが「好きを突き詰める」ということです。 私はいつも、好きなことしかしていません。 好きをどんどん学問して、突き詰めているだけです。 自分の学問は、今は単なる「学ぶ、問う」だけかもしれませんが、突き詰めていくと、道具になります。 道具になった「好き」という学問は、誰かを幸せにする魔法にもなります。 ジブリ映画『魔女の宅急便』のキキが使う魔法と同じです。 好きな学問を突き詰めれば、あなたの好きなことは、誰かを幸せにする魔法に変わるのです。 自分の好きなことを活用して、自分も含め、周りのみんなも幸せにさせる。

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