お金も性も、誰もが一度は触れる必要な知識です。
にもかかわらず、学校では積極的に触れようとはせず、むしろ顔を背ける傾向があります。
お金や性の話を先生に言うと「子どもがそんなこと言うものではありません」と叱られます。
お金の勉強は、学校では十分にできません。
では、どこで最初に学ぶのかというと、両親からです。
両親の生活習慣から、お金の関する哲学を学ぶのが第一です。
私の両親が心がけているお金持ちになる習慣といえば、真っ先に「節約」が思い浮かびます。
私の母は、とんでもない節約家です。
たった10円高いだけで、騒ぎ始めます。
私の両親は常に徹底的な節約を心がけています。
特に母は、お金に関してはうるさい人で、少しでも出費が削れるところは削り、大切なお金が逃げないようにしています。
少しでも安いところはないのかとチラシを見比べたり、時には水口家の畑にある野菜で済ませたりしています。
「お礼」に関しても、母はお金を惜しみません。
普段はどんなに節約しても、お礼を書く手紙やお歳暮などには節約はせず、しっかりお金を使います。
うっかり忘れることはなく、事前に誰に何をあげるべきかを紙に書いて、デパートへ行くほどです。
私の父は、物を買うときには必ず店員さんと話をして、値切りを始めます。
まず値札に書いてある値段では素直には買わず、店員さんと何度か値段についてのやりとりをしてから、やっと買います。
「大安売り!」と値札に書いてあるにもかかわらず「これ、もう少し安くならない?」とさらに追い打ちをかけます。
昔と違って、クレジットカードで買い物をする機会が増えました。
簡単にクレジットカードをつくれるようになりました。
クレジットカードで支払えるお店も増えました。
チャンスのときにはお金を惜しまないことが、お金を上手に使うコツです。
運よくチャンスが巡り回ってきたときには、お金をかけておかないと有効活用できないのです。
運よくチャンスがつかめても、お金を使わなければせっかくのチャンスが水の泡になりかねません。
お金持ちになりたければ、お金の自慢は控えるのが賢明です。
お金の話はいいのですが、自慢はNGです。
経済的に余裕ができると、豊かさを周囲に見せつけ、うらやましく思われたい気持ちが出てくるかもしれません。
お金を稼ぐ方法は、夫婦そろって共働きをすることです。
収入の入り口が1つであるより、2つであるほうが、お金がより多く入り、それだけ生活が楽になります。
ただし、いつも家には誰もいない状態が理想的かというと、そうではありません。
私は基本的に明るいほうです。
これは父と母からの影響を大きく受けているからです。
私の父も母も楽観主義で、明るい性格の持ち主です。
「風邪をひいたくらいで学校を休むな」
私は小さなころから、父からそう言われてきました。
体調が悪いときに「学校を休みたい」と母に言うと、父が横から「ダメだ」と一言です。
「いい嫁に恵まれた」
ときおり、私の父は、母との出会いに感謝を述べます。
もう50を過ぎてこんな言葉が言えるというのは、よほどのことだと感じられます。
お金を上手にためていくことには、日々の「習慣」こそが重要です。
一時的な考えではなく、当たり前の習慣として体に染み込ませておかないと、長続きがしないのです。
「1週間だけ節約しよう」と期間や制限を決めてしまう人は、決まってお金が貯まりません。
私の父は、いつも新聞を片手にうろうろしています。
暇があれば新聞、車の中にも新聞、テレビを聞きながら新聞、朝食を取りながら新聞です。
仕事から帰ってきても夕食を食べながら新聞というくらいです。
お金は使ってこそ、巡り回ってまた自分のところへ返ってきます。
使わないと戻ってきませんし、返ってこなければ、使い方が下手だと言うことです。
一時的な快楽のために使ったのでは、そこからは何も生まれてきません。
一流のワインのソムリエは、常に一流のワインばかりに触れていることをご存じですか。
有名な鑑定士も、いい仕事の古物ばかりに触れる一方、本物以外はできるだけ触れないようにしているといいます。
作家も同じです。
いくらお金を持っていたところで、友人がいなければ意味がありません。
友人との関係がなければ、遊びに行くことも飲みに行くこともないですから、それだけ節約ができてお金も貯まることでしょう。
電話代も節約でき、会うこともなければ、たしかに時間もお金も節約できてしまいます。
努力を伴わず手に入ったお金は、羽がついたかのように、あっという間に消えてなくなります。
努力をして手に入れたお金ではありませんから、軽い気持ちで使ってしまうのです。
たとえば親からのお小遣いです。
「好きな仕事を選んだから、楽しくやってこられた」
これは私の父が、よく口にする言葉です。
つい先日、父は無事退職を迎えました。
「経営者が2人いる会社はつぶれる」という法則をご存じですか。
会社を代表し管理する人間が2人もいてしまうと、それぞれの考えがぶつかり、けんか別れしてしまうわけです。
私は以前、この現実を目にしたことがあります。
私の実家は、愛媛県の伊予市という田舎の地域にあります。
実家の周りは、田んぼや畑だらけです。
家の周りに畑があるというより、畑の中に家があるというほうが、イメージとしては合っています。
お金は使わないと増えません。
お金を増やすなら、使うのがいちばん近道です。
お金を使って、しっかりリターンがあるなら、お金を使えば使うほど増えていくようになります。
私の父も母も普段こそは節約家ですが、家族旅行のときに限ってはお金をどんと使います。
いつもはそれこそ身を削るような思いで節約しているというのに、それを帳消ししてしまうくらいに家族旅行にはお金を使うのです。
母は「家族旅行のときくらいはお金を使わないといけない」と言います。
お金をうまくためて使うためには、何のためにためて使うのかという目的をしっかり決めておかなければなりません。
目的があるからお金を稼ぎ、目的に近づくためにお金を使います。
自分の夢であったり趣味であったり、息抜きなどです。
お金を貯めることが人生の目的ではありません。
貯めてばかりのお金は、単なる精神安定剤となるお守りです。
お金は使ったときに効力を発揮します。
母は節約のために、よくウインドーショッピングをします。
しかし、勘違いしないでください。
買うためにウインドーショッピングをするのではありません。
父と母には、早起きをして犬のクッピーと一緒に散歩をする習慣があります。
犬の散歩は定期的にしてあげないと、犬もストレスがたまってしまいます。
だからとはいえ人間も定期的に運動しないと、運動不足になります。
私の実家では農業をし、自給自足をしているため、いろいろな作物を育てています。
品物として売り出しているのは、ミカンが中心です。
そのほかの作物は、基本的にすべて水口家の食卓に並ぶことになっています。
お金持ちに共通していることは、節約を心がけている点です。
それは「必要、不必要」のラインをしっかり引き、衝動買いや見栄や周りに流されるといった買い方をしないということです。
節約が癖になると、お金が不要に流れ出ることはなく、有効活用ができるのです。
お金も性も、誰もが一度は触れる必要な知識です。
にもかかわらず、学校では積極的に触れようとはせず、むしろ顔を背ける傾向があります。
お金や性の話を先生に言うと「子どもがそんなこと言うものではありません」と叱られます。
お金や性について、真っ向から立ち向かって教えようとしません。
特に日本の場合、お金の話をすると、どうも嫌な顔をします。
性教育も同じです。
たしかにお金は人の欲が絡みますし、性教育はいやらしい面があるのもたしかです。
しかし、お金も性も、人間が生きていくためには欠かせないことです。
学生時代でも、最低限の勉強は必要です。
学校で勉強の機会を与えてくれなかった状態のままでは、社会に出たとき、苦労します。
「もっと早くにお金の苦労を知っておけば」と思うのは「もっと早くに勉強しておくべきだった」と思う証拠です。
苦労は、早くにするからいいのです。
たしかに苦しいことですが、早くに経験すれば、早いうちから対策や知恵が身につけられます。
また、学校で教えてくれないなら、自分から積極的に勉強する機会をつくりましょう。
あなたがまだ学生なら、一人暮らしをしたり、アルバイトをしたりするのは、いい経験です。
学校では学べない貴重な体験ができるはずです。
お金の勉強は、学校では十分にできません。
では、どこで最初に学ぶのかというと、両親からです。
両親の生活習慣から、お金の関する哲学を学ぶのが第一です。
そばにいるからこそ、お金について学びやすくなります。
私の家庭は、大金持ちではありませんが、生活に困らないほどのお金はあります。
それは、両親のお金の使い方が正しかった証拠です。
私がいろいろな勉強ができたり経験ができたりするのも、実はお金があったおかげという部分があります。
おかげでアメリカに留学をさせてもらい、いろいろな勉強や経験を積む機会ができました。
しかし、私の両親は、お金に関してうるさい人です。
小さな金額でも「もったいない」が口癖です。
節約をしようとします。
私がまだ小さかったころは「なぜ、小さな金額で大騒ぎするのだろう」と思っていました。
「もったいない。もったいない」と小言ばかりを言う母に、いらいらしたこともありました。
新しい服はめったに買わず、いつも古着ばかりを着ている母だけを見ると、お金のある人には見えません。
お金はあっても、貧しい節約ぶりなのです。
しかし、私はそんな家庭で育ちながら、ふと気づきました。
実はそうした「習慣」は、お金が貯まるポイントであることに、気づくようになりました。
宝くじに大当たりをしてお金ができたわけではありませんし、最初からお金があったわけでもありません。
両親に、お金が貯まるような生活習慣がありました。
両親に備わっていた「お金が貯まる習慣」のおかげだと気づきました。
小さいころからそうした両親を見て育ってきたため、父と母の習慣を分析することで、今回の本を書くことができました。
私の両親が心がけているお金持ちになる習慣といえば、真っ先に「節約」が思い浮かびます。
私の母は、とんでもない節約家です。
たった10円高いだけで、騒ぎ始めます。
スーパーマーケットで買い物をするときには、10円でも安いものを探し出し買うようにしています。
水口家の食卓は常に質素で、誕生日や記念日といった特別な日以外は、白米のご飯とおかずしか、テーブルに出てきません。
父はよくお茶漬けを食べ、キュウリのお漬物をつまみながら「おいしい」と言います。
父も節約家で質素な人ですから、母の節約的な考えと一致しているようです。
私は「もっとおいしいものが食べたい」とわがままだった時期もありました。
しかし、母はあいかわらず質素と節約を貫きます。
私も、すでに慣れています。
父も母も節約家であり、小さなころからずっとそうでしたから、普通だと思っていました。
私も両親につられ、質素な生活でした。
年を重ねるにつれて、実はその節約という習慣こそが、お金持ちになるポイントであることに気づきました。
父と母は常に節約を心がけ、無駄な出費は極力抑えていたのです。
お金を貯めるポイントは、まず徹底的な節約にあります。
これでもかというくらいに、節約ができるところは徹底的に節約をすることこそが、お金が貯まるコツなのです。
私の両親は常に徹底的な節約を心がけています。
特に母は、お金に関してはうるさい人で、少しでも出費が削れるところは削り、大切なお金が逃げないようにしています。
少しでも安いところはないのかとチラシを見比べたり、時には水口家の畑にある野菜で済ませたりしています。
しかし、こんな母には、不思議な瞬間があります。
いつもは節約家の母が、急にお金をどんと使うときがあるのです。
家族旅行や誕生日、記念日といった「家族行事」に関することです。
小さいころの私は、節約家の母がこうした家族行事に限ってはお金を大胆に使う光景を、不思議に思っていました。
「いつもはお金にうるさいのに、なぜ家族にだけはお金をかけるのかな」と不思議に思っていたわけです。
しかし、私が大人になるにつれて、母がそうして上手にお金を使っていることにだんだん気づいてきました。
母は、家族旅行や誕生日、記念日だけは、羽振りが良くなります。
今まで節約ばかりしていた母が、家族行事にだけはお金を惜しまないのです。
「いつも節約をしているのに、これでは意味がない」と思いましたが、見方を変えれば母は何を大切にしているのかうかがえます。
母は家族関係をなにより大切にし、幸せの土台は家庭にあると考えていたのです。
いくらお金があっても家庭が崩壊しては、意味がありません。
ただお金を貯めるのではなく、幸せになるために家庭を大切にし、そのためにお金を上手に使っていました。
それが母にとっての哲学であり、貴いものです。
父も同じようなことを考えています。
父も同じくして家族旅行にはお金を大胆に使い、家族ができるだけ楽しめるお金の使い方をしています。
いつもは節約で質素な生活をしている父と母は、家族旅行でお金を使い、そのおかげでさらにその夫婦関係を向上させていました。
お金を家族や夫婦関係向上のために使い、そのために普段は節約をしているのです。
だから幸せであり、お金持ちになれたのです。
「お礼」に関しても、母はお金を惜しみません。
普段はどんなに節約しても、お礼を書く手紙やお歳暮などには節約はせず、しっかりお金を使います。
うっかり忘れることはなく、事前に誰に何をあげるべきかを紙に書いて、デパートへ行くほどです。
母には「人間関係が大切だ」という口癖があります。
普段から、母は「人間関係が大切だ」と、口うるさく言っていました。
普段は節約しても、感謝だけは忘れない意味です。
以前、母とお歳暮を買いに行ったときのことです。
いつも父がお世話になっている人へのお歳暮を買いに行くときも、それぞれの値段を見比べます。
「こっちのほうが安い。あっちのほうが安い」と、母らしく値札に反応します。
しかし、そんな節約を意識しながらも、最後はいつもお決まりのパターンです。
「お世話になっている人だからね」と柔和な笑顔になり、高いほうを選ぶのです。
日頃は節約を心がけていても、人間関係まで節約しては意味がないと母は思っていたのです。
たしかに日頃の節約は重要です。
しかし、それが行きすぎて、感謝のお礼まで削ってしまってはいけません。
いくら節約を心がけていても、感謝も削り、お礼も削ってしまってはお金を貯める意味がないのです。
人との関わりを削ることは、幸せまで削ることになるのです。
私の父は、物を買うときには必ず店員さんと話をして、値切りを始めます。
まず値札に書いてある値段では素直には買わず、店員さんと何度か値段についてのやりとりをしてから、やっと買います。
「大安売り!」と値札に書いてあるにもかかわらず「これ、もう少し安くならない?」とさらに追い打ちをかけます。
店員さんも「もうこれが限界なんですよ」と焦りながら言い訳を返します。
父は、少しでも安くなるように交渉をし終えてから、ようやく商品を買います。
実際にそんなやりとりを通したところで、安くならないことがほとんどです。
「大安売り!」「特別大サービス」とある商品は安さの限界のため、交渉をしても「ノー」と言われることがほとんどです。
しかし、ごくたまに、本当に安くなるときがあるのです。
父は「見るだけ・聞くだけなら、無料」と言います。
見たり聞いたりするだけなら、元手はかかりません。
大阪の商人は値切るのが基本と言われます。
私も以前、関西の友人に「1回は値切ってみたほうがいい」と言われたことがあります。
値札に書いてある数字があり、まずはそこから値下げをしてから買うのが基本なのです。
もっと安くなるかもしれないのに、チャンスをみすみす逃してしまうのは、それだけ無駄な出費をしているということなのです。
昔と違って、クレジットカードで買い物をする機会が増えました。
簡単にクレジットカードをつくれるようになりました。
クレジットカードで支払えるお店も増えました。
しかし、いくらクレジットカードとはいえ「借金」であることを忘れてはいけません。
「クレジット」とは「信用」という意味です。
「信用」があって、その信用をもとにして一時的にお金を貸してもらっているわけです。
私の両親は、お金はあるにもかかわらず、クレジットカードはあまり使いません。
買い物のときはまず現金を用意します。
お金の量を目に見える形にして、手で触れる状態にしてから、感覚的に買い物をしています。
そのほうが、自分が使ったお金の量を把握しやすいからです。
たしかにクレジットカードなら、もっと簡単に買い物ができるでしょう。
しかし、その簡単で手軽さは、便利でもありますが、危険でもあるのです。
お金を使っているにもかかわらず、使っていないような感覚になります。
お金の量が感覚的にわからなくなってくると、使い方もおかしくなります。
お金も、物です。
お金と接する機会が少ないと、金銭感覚が鈍くなってしまうのです。
チャンスのときにはお金を惜しまないことが、お金を上手に使うコツです。
運よくチャンスが巡り回ってきたときには、お金をかけておかないと有効活用できないのです。
運よくチャンスがつかめても、お金を使わなければせっかくのチャンスが水の泡になりかねません。
先日、母が1人で東京に遊びにやってきました。
もともと母は出無精で父と2人で来る予定だったのですが、父が突然のけがで入院してしまうことになりました。
せっかく取った飛行機のチケットを使わないのはもったいないという話になり、母だけが1人でくることになったのです。
私と母は、東京観光では有名な「ハトバス」に乗って、東京を一回り観光してきました。
最後の観光スポットである東京タワーの展望台にいるときのことです。
そのときたまたま震度4の地震を受け、東京タワーのエレベーター点検のため、しばらく立ち往生してしまいました。
東京タワーの展望台で地震に遭うという経験も、珍しいものです。
30分ほど閉じ込められましたが、安全だということがわかり、地上に降りられたと思ったら、今度は電車が動いていません。
山手線をたどり羽田空港まで行くつもりだったのですが、電車も地震が起きたための点検をしていて、動いていませんでした。
「よし、それならタクシーだ」と思い、タクシーを捕まえようとしますが、全然つかまらないのです。
みんな予定があり、電車がダメならタクシーを使おうと同じようなことを考えていたのです。
約束や予定があるため、ほかの人も必死でわれ一足先にと言わんばかりにタクシーに手を振り、タクシーを捕まえてしまうのです。
しかし、帰りの飛行機の時間は刻一刻と迫っています。
諦めかけたとき、本当にたまたま空席のタクシーが私たちの目の前にすっとやってきました。
努力でも何でもなく、たまたまの運です。
「これだ!」というチャンスを得て、タクシーに乗った私は迷わず羽田までお願いします」と言いました。
この機会を逃しては飛行機に乗り遅れてしまうと思い、チャンスを生かすために、羽田までの距離なんて関係ないと思ったのです。
距離があろうが、お金がかかろうが、このチャンスを逃しては飛行機に乗り遅れ、大変なことになると思いお金をかけたのです。
もしこのときお金をケチって、電車が動くまで待っていたら飛行機には乗り遅れていたでしょう。
どこかのホテルに泊まらなければならないし、余計にお金が飛びます。
時間もお金も余計にかかり、実家に帰るまでに遠回りをしてしまうことになっていました。
チャンスを生かしきるために、タクシー代をケチることなくボンとお金を出したのです。
このチャンスにお金をかけた母は、ぎりぎり飛行機に間に合い、無事予定どおりに実家に帰ることができました。
お金持ちになりたければ、お金の自慢は控えるのが賢明です。
お金の話はいいのですが、自慢はNGです。
経済的に余裕ができると、豊かさを周囲に見せつけ、うらやましく思われたい気持ちが出てくるかもしれません。
しかし、お金があることを知った人たちが、あなたのところへ「お金を貸してくれ」と押しかけるようになります。
金の自慢をするくらいですから、それなりに「お金のありそうな身なり」をしておかなければなりません。
古着や流行遅れのファッションをしていると、示しもかっこもつきません。
見栄を張って、必要以上にお金のかかるアクセサリーや洋服を身につけ、お金持ちに見える努力をしなければいけなくなるのです。
これが、お金が流れ出ていく原因です。
入ってくる量が多くても、出ていく量も多いなら、貯まりません。
お金の自慢をして見栄を張ると、どんどんとお金が逃げます。
本当のお金持ちは、できるだけ周りにはお金持ちと気づかれないよう、地味で質素な生活を送っています。
むしろテレビでお金持ちだと豪語する人たちは、洋服や家の管理、見栄を張るためにそれだけどんどんお金が流れ出ています。
そういう私の父も、質素極まりない生活をしています。
お金はあっても、自分でお金があるとは決して言いません。
お金があることを人に言ったところで、面倒なことが多くなることを知っているのです。
むしろできるかぎり、ばれないように普通にしています。
そのおかげで人からお金の肩代わりや保証人のお願いをされることがなく、精神的な負担も軽く済んでいるのです。
なにより自慢をしないため、見栄を張るような必要もありません。
父はいつも古着を身につけ、流行を追ったりしません。
だからお金が出ていく量を少なく抑えることができ、結果としてお金が貯まっていったのです。
人間は見栄を張ると、必要のないお金を使ってしまうのです。
お金を稼ぐ方法は、夫婦そろって共働きをすることです。
収入の入り口が1つであるより、2つであるほうが、お金がより多く入り、それだけ生活が楽になります。
ただし、いつも家には誰もいない状態が理想的かというと、そうではありません。
必要に応じて共働きをしたり、あるいはしなかったりと、臨機応変に対応することです。
ずっと朝から晩まで家に誰もいないのでは、子どもがかわいそうです。
1人、テーブルで冷めたご飯を食べるのは、子どもの教育にも良くありません。
私の家庭は基本的に亭主関白で、父が稼ぎの中心になっていました。
母は、私と妹の面倒を見ながら、家事をしていました。
しかし、これがずっと続いていたわけではありません。
時と場合に応じて、母も働きに出て、共働き状態になるときがありました。
私や妹に手がかからなくなり、余裕が出れば、近場でアルバイトを見つけます。
少しでも生活の足しになるお金を稼いでいました。
何もないからと家でじっとしている母ではありません。
いつもお金のことをぶつぶつ言っているくらいの人でしたから、時間に余裕ができれば、自分も稼ぎに出ていました。
いまや、塾や習い事が当たり前の時代になっています。
生活費や光熱費だけでなく、子どもの養育費も、負担がかなり大きくなっています。
子どもに教育熱心で有名な韓国では、教育費が子ども1人に月10万円相当にも及ぶ家庭もあるようです。
いずれ大きく稼ぐようになるであろうわが子に大きく投資をして、食費や光熱費以上にお金をかけているのです。
父の仕事、母のアルバイトという両方の収入は、私と妹の教育費につぎ込まれたのです。
私は基本的に明るいほうです。
これは父と母からの影響を大きく受けているからです。
私の父も母も楽観主義で、明るい性格の持ち主です。
何事も良いほうへ考え、世の中を肯定的に捉えています。
そんな父と母には共通した口癖があります。
「まあ、大丈夫だろう」
「なんとかなるだろう」
「そのときは、そのとき」
こうした口癖を幼いころから、耳にタコができるほど聞かされてきたため、私にも伝染してしまっただけです。
楽観的性格は、お金を稼いだり節約したりする際にも良い方向へ傾くことが多いようです。
父が店員さんとの値段の交渉に入ったときに痛感します。
父は、口がうまくて明るい性格なので、値引きをしてもらえることが多くあります。
にやにやしながら「もう少し安くなりませんかね」といいます。
また母は明るい性格から人付き合いがうまく、ほかの人から助けてもらったり、もらいものをしたりすることもしばしばです。
世の中の流れに反しては、自分が苦労するだけです。
できるだけ全体を肯定的に明るく考えていくほうが、物事もうまく進んでいくのです。
徹底的な楽観主義を貫いてしまいましょう。
「風邪をひいたくらいで学校を休むな」
私は小さなころから、父からそう言われてきました。
体調が悪いときに「学校を休みたい」と母に言うと、父が横から「ダメだ」と一言です。
そんな厳しいことを言うほどの父でしたから、本人は当然のようにめったに会社を休みませんでした。
というより、めったに体調が悪くならないほどの「鉄の体」を持っていました。
どういうわけかいつも健康で、病気や具合が悪くなることは、子である私でさえも思い出せないほどめったにないことでした。
また多少体調が悪くても、根気で会社に行ってしまいます。
父が会社を休むなんて、これまでの人生で数える程度の回数しかありません。
今思えば、この「健康」のおかげで治療費や入院費にお金を使うことがなく、知らぬ間に節約をしていたということです。
病に倒れれば入院に大きな時間とお金をとられてしまい、生活がつまずいてしまいます。
実際、健康運は金運と大きなつながりを持っています。
お金を稼ぐときには体があってこそ会社に出社できたり、仕事ができたりするわけです。
まさにお金稼ぎは、体が資本です。
健康であるほど、それだけしっかり仕事ができることは言うまでもありません。
健康はお金を稼ぐための土台だということです。
健全な肉体は「時間」と「お金」を節約しているということになるのです。
「いい嫁に恵まれた」
ときおり、私の父は、母との出会いに感謝を述べます。
もう50を過ぎてこんな言葉が言えるというのは、よほどのことだと感じられます。
聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいです。
実際、父と母はとても仲がよくいつも2人でいます。
2人で中国へ旅行に行ったり、レストランへ食事に行ったりと、昔からあいかわらずの仲の良さです。
私は今まで父と母がけんかをしているところを一度も見たことがありません。
父はいつも母を必要とし、母もいつも父を必要としていることが、子どもである私にもよくわかるほど仲良しなのです。
お金を稼ぐ人には、夫婦関係が大きく影響を及ぼし、夫婦関係がよければ良いほど、お金を稼ぎやすくなります。
夫婦は人生のパートナーであり、お互いの生活の支えになるだけでなく、精神面でも大きな支えになっています。
仕事で疲れたときや落ち込んでいるときに、パートナーが励ましてくれれば、また元気が出るというものです。
また困ったときには、パートナーの客観的な一言から、アイデアがひらめくこともあります。
一人の考えでは主観的になり自分を見失いがちですが、パートナーはいつも一緒にいますから、客観的に見ることができるのです。
「最近、頑張りすぎていない」
「最近、ちょっと食べすぎているよ」
「いびきがうるさくなった」
母は、いつも父に予言者のような忠告をします。
いつも一緒にいる人だからこそわかることであり、こうした助言を父も積極的に受け入れ、生活が傾かないように修正しています。
パートナーとの関係の良さそのものが大きなサポートになります。
夫婦の関係がよければ日々の頑張りにつながり「家族のために」と力がみなぎってくるのです。
父は母のためや家族のために、仕事を励んでいます。
母との旅行を楽しむためや食事を楽しむためにお金を稼ぎ、上手に使うことで、さらに夫婦仲が良くなる好循環になっているのです。
お金持ちになるためには夫婦仲の良さは大切なポイントなのです。
どれほどお金を稼ぐパートナーでも、夫婦関係が冷たければ、何のためにお金を稼いでいるのかわかりません。
人生を楽しむためにお金を稼ぎ、幸せのために上手にお金を使うことが大切なのです。
夫婦仲の良さは、見えないところでお金を稼ぐ土台になるのです。
お金を上手にためていくことには、日々の「習慣」こそが重要です。
一時的な考えではなく、当たり前の習慣として体に染み込ませておかないと、長続きがしないのです。
「1週間だけ節約しよう」と期間や制限を決めてしまう人は、決まってお金が貯まりません。
1週間という我慢がちびちびとたまり、予定の期間が過ぎれば今度はリバウンドとして跳ね返ってきます。
1週間分のストレスを発散させるように、どんとお金を無駄遣いするのです。
これではせっかくの節約も何にもなりません。
一時的な我慢ではなく、当たり前の日々の習慣にしてしまわないと、お金は本当にたまっていかないのです。
「よし! 節約だ!」と意気込む人より「節約は当たり前」と、落ち着いている人のほうが、お金は貯まります。
私の母は、昔から徹底的な節約ぶりでした。
『もったいない』という歌でも歌っているかのように、何かあるたびにもったいないとぶつぶつ言うのです。
もらえるものはもらったり、買い物に出かけるときには必ず部屋の電気は消したりすることは当然のようにします。
私が部屋にいないときに電気をつけっぱなしにしていると「もったいない」と言って、勝手に部屋に入り込み、消します。
この習慣は、今でも変わりません。
話を聞くところによると、どうやら昔一人暮らしをし始めたくらいから意識をするようになったとのことです。
「一人暮らしをしていると、お金のことばかりが気になってね。
お金のことを強く意識するようになったのよ。
そのころから自然と節約が癖になり、今では習慣になってしまった」。
その昔、まだ私が生まれる前、母にはお金に関して強く意識をする時期があり、そのころから癖になっていったとのことです。
お金で苦労をした一人暮らしの経験が、母にお金に対するシビアな意識を持たせたのです。
お金を貯めるためには、特殊な技や技術は不要です。
当たり前のこつこつした節約を習慣にしていくことで本当の節約ができるのです。
私の父は、いつも新聞を片手にうろうろしています。
暇があれば新聞、車の中にも新聞、テレビを聞きながら新聞、朝食を取りながら新聞です。
仕事から帰ってきても夕食を食べながら新聞というくらいです。
仕事で必要な知識もあるのでしょうが、新聞を読むことで時の流れに後れを取らないようにしているのです。
また本棚には、たくさんの本が並び、何かいつも勉強をしているようです。
こうした読書の習慣を私はそばで見ていたおかげもあり、本を読むことに関してはあまり抵抗がありません。
楽しそうに読んでいると、楽しいものだと思ってしまうのです。
母も老メガネをかけて「漢字の練習をする」と言って、漢字を紙に書いて練習しています。
「年を取ると、ぼけてしまうから、ぼけ防止のためにやっている」と言います。
こうした勤勉さは、同じ屋根の下にいるだけに子どもである私にもすぐわかります。
いつも新聞を読んでいる姿を見ていると「そんなに面白いのかな」と新聞が読みたくなってしまいます。
いつも漢字を書いている姿を見ていると「ちょっと自分もやってみようかな」という気になります。
親の勤勉さは、意外なことに子どもにも伝染してしまう効果があります。
私が読書の習慣を持っているのは、裏で親の影響を強く受けていることに由来します。
親が勉強嫌いで新聞も読書もしない人なら、私も同じく活字を読むことに良い印象を持ってはいなかったことでしょう。
子どもが最も強く影響を受ける習慣は、親の習慣からです。
お金は使ってこそ、巡り回ってまた自分のところへ返ってきます。
使わないと戻ってきませんし、返ってこなければ、使い方が下手だと言うことです。
一時的な快楽のために使ったのでは、そこからは何も生まれてきません。
私の家庭でもお金は貯めつつ、賢く使って、世の中へと戻していくようにしています。
稼いだお金をすべてため込むのではなく、必要なときにはしっかり使い、世の中で循環するようにしています。
「金は天下の回りもの」という言葉があります。
お金は世の中の1カ所で貯めておくのではなく、世の中全体に行き渡るように循環させなければならないということです。
人間の体も血液の循環が悪いと健康に害を及ぼすように、世の中もお金の流れがよくないと経済が悪くなるということなのです。
私の父はときどき、大きな金額を一度に使うときがあります。
会社の人たちとゴルフをするために、お付き合いで休日にも出かけていき、1日に2万円も使ってしまうときがあります。
初めは当然のごとく、節約家の母が怒っていました。
おなじみの「もったいない」を連発して小言を言っていました。
しかし、話の終わりには「自分が稼いだお金だから、本人の使い方に任せる」と言います。
母も、父のお金の使い方は好きなように任せているようです。
どんなことに好きと感じるのかは人それぞれです。
好きな趣味を制限させるようなことを言いたくなかったのです。
父は節約をすればいいわけではなく、お金が貯まれば人間関係の向上のために、ゴルフという趣味にお金を使っていました。
お金を使った代価として、ゴルフの楽しみと人間関係の向上を受け取ります。
使ってこそ初めてお金としての効力が発揮され、それ相応のサービス、効果、効き目、楽しみを受け取れます。
それが人間関係の向上という形で表れたり、知識が増えて自分の生活が豊かになったりするという形として、返ってくるのです。
きちんと世の中にお金が巡回するようお金を使い、そのうえ自分の人生に残る使い方をしています。
ゴルフで楽しんだ父は人間関係もよくなり、また仕事もスムーズにはかどるわけです。
公私ともに充実とは、このことです。
実は、お金を稼ぐということは、それほど難しいことではありません。
ただ働けばいいだけです。
仕事の種類によっては、専門的な知識や技術も必要がなかったりします。
しかし、その一方、お金を上手に使うためには高度な知恵が必要です。
お金は稼ぐより使うほうが、奥が深くて難しく、そのうえタイミングもあるのです。
キャバクラ、飲み歩き、タバコのような一時的な快楽のために使っても、人生を豊かにするほどの深い感動や成長がありません。
生産性がなく、何も生まれてこない使い方です。
特にタバコは、良い影響が返ってくるどころか、悪い影響が返ってきてしまい、向上するどころか下降してしまう使い方となります。
それに対して生きたお金の使い方とは、人間関係が向上したり、知識を豊富にしたりするような使い方のことです。
お金を使った分だけ自分に返り、向上が得られるからです。
お金を使って自分を向上させ、向上した自分がさらにお金を稼いで使っていく循環をつくれる人が、お金持ちになれるのです。
一流のワインのソムリエは、常に一流のワインばかりに触れていることをご存じですか。
有名な鑑定士も、いい仕事の古物ばかりに触れる一方、本物以外はできるだけ触れないようにしているといいます。
作家も同じです。
良い文章を書く人は常に読書好きであり、また一流の作家の本ばかり読んでいます。
なぜ一流の人は本物ばかりに触れているのかというと、偽物が現れたとき「何か違うぞ」という「勘」が働くようになるからです。
勘だけは、教科書から身につけられるものではなく、一流のものに触れて、感じて、体に染み込ませていくものです。
肌触り、雰囲気、ニュアンスや印象といったことは教科書からでは理解が難しく、実際の体験を通して身につけていくものです。
いつも一流といった本物ばかりに触れて、勘を鋭くさせているわけです。
人間としての「文化度」も、同じ原則が当てはまります。
食事のマナーが良い人や知識や知恵のある人は、いつもそうした一流の物事に触れている人です。
高級なレストランで逸品ばかりを口にしているため、品のある素晴らしい料理というものがどういうものなのかがわかります。
素晴らしいウエイターの対応を見ていると、二流のウエイターの対応を見たときに「どこがいけないのか」が瞬時にわかるのです。
見抜けるという素晴らしい洞察力があるわけではなく、単純に普段見ていることと違いますから、すぐ「おや?」とわかるのです。
「味がわかる人」「絵の素晴らしさがわかる人」といった文化の高い人たちは、初めから能力があるわけではありません。
日頃から高額のお金を払い、一流の作品に触れることで自分の感覚を高めることができた人なのです。
良い映画を見て感動すること、素晴らしい本を読んで視野が広がることは、それだけ自分の文化度が上がっているということです。
偽物が現れたときに「これは違うな」とわかるようになるのです。
いくらお金を持っていたところで、友人がいなければ意味がありません。
友人との関係がなければ、遊びに行くことも飲みに行くこともないですから、それだけ節約ができてお金も貯まることでしょう。
電話代も節約でき、会うこともなければ、たしかに時間もお金も節約できてしまいます。
しかし、おかしいと思いませんか。
幸せになるためにお金を貯めた結果、不幸になっているという矛盾。
友人との付き合いを完全にやめては、何のためにお金を貯めているのかわかりません。
お金を貯めて使う目的は、食べていくためであり、生きていくためであり、幸せになるためです。
自分にとって本当に大切な人には、節約よりきちんとお金を使っておくことです。
お金が大切でしょうか。
それとも親友が大切でしょうか。
天秤にのせれば、お金では代えられない親友にこそ重い価値があることに気づけるはずです。
親友だけは、お金で買うことはできない貴い存在。
一生で1人できるかわからないほど、貴重な存在でもあります。
友人ともっと仲良くなるためにお金を使い、楽しむためにお金を使うことです。
お金を貯めるために友人との関係を切ってしまっては、自分で幸せを捨てていることになるのです。
努力を伴わず手に入ったお金は、羽がついたかのように、あっという間に消えてなくなります。
努力をして手に入れたお金ではありませんから、軽い気持ちで使ってしまうのです。
たとえば親からのお小遣いです。
努力をして働いて、汗水流して手に入れたお金ではなく、お金の重みを知らないまま、大金を渡されます。
受け取ったほうにしてみれば、何にも努力もせずに手に入ったお金なので、軽い気持ちで使ってしまいます。
本当はたった100円でも、100円なりの独特の「重み」があります。
それは自分で働いて稼いだことのある人でなければわからない感覚であり、これを「金銭感覚」と言います。
「これだけ働いたからこれだけもらえる」という感覚は、働いて汗を流して手に入れたお金なら、自然と身につきます。
すると働いて稼いだ100円と、もらった100円とでは同じ100円でも、感じる重みが全然違ってくることがわかります。
自分で努力をして稼いだお金ですから、手に入れるまでの苦労や大変さがわかり、100円でも稼ぐための背景が感じられるのです。
仕事を通して動かした体から、お金に対する感覚は身につきます。
お金持ちは、楽してお金を稼ごうとしません。
楽をして稼いでも、その重みを知らないため軽い気持ちでどんと使ってしまい、いつまで経ってもお金が貯まらないのです。
お金の重みを知らないため、あっという間に使ってしまいます。
気づけば、一文無しになってしまうのです。
楽をして稼ぐ人は、そのありがたみや大変さをわかっていないため、狂った金銭感覚となってしまうのです。
お金を稼ぐことに、余計な欲を出してはいけません。
一生懸命に汗水流して働き、それに見合ったお金を手に入れることが、正常で頼りがいのある「金銭感覚」が身につく方法なのです。
お金をたくさん稼ぐことが悪いと言っているのではありません。
汗水流して一生懸命に働き、大金を稼ぐことは何も問題はありません。
楽をして稼いでしまうことが問題であり、その人をダメにさせてしまうのです。
「好きな仕事を選んだから、楽しくやってこられた」
これは私の父が、よく口にする言葉です。
つい先日、父は無事退職を迎えました。
自分の人生を振り返り、私に諭すかのように、よくこの言葉を口ずさんでいます。
父は昔から残業ばかりで、私が幼稚園のころからずっと帰りが夜の9時を過ぎていました。
ひどいときは、深夜の2時ごろに帰ってくることもあります。
それでいて朝は7時半には家を出ます。
私が寝た後に帰り、起きるときにはもう家を出ていて、父の姿をなかなか見られないこともありました。
父は家に帰ってきているはずなのに、父にはなかなか会えない不思議な毎日なのです。
朝起きて食卓につくと、テーブルの上には父が食べた形跡が残っていて「とりあえず帰ってきているんだな」とわかります。
子どもながら、そのうち過労死で倒れるのではないかと本気に心配したこともあります。
私がアメリカに留学している最中に国際電話で母に電話すると「昨日も帰るのが遅かった」とよく愚痴をこぼしていました。
働きすぎて父は大変だろうと聞いたことがありますが、本人はそれほどつらいとは感じていないことが驚きでした。
「大変だけど楽しい」
こういうことを言い始めるのです。
「好きな仕事だからもう少し頑張ろうと思うし、朝も好きな仕事が待っているから早起きができる」
驚いたことに本人は楽しいがゆえに、苦労もそれほど感じていなかったようです。
心配していたほど疲れている様子もなく、普通にやってのけています。
面白いことにその反対のことも言っています。
「もし好きではない仕事だったら、ここまではできていないだろうな……」
お金を稼ぐ人には共通したポイントがあり、好きなことを仕事にしているということです。
仕事で成功を収めている人で、嫌いなことを仕事にしている人はほとんどいません。
メジャーリーグで大活躍をしているイチロー選手も「野球が大好き」と言っています。
野球界で成功している人で「野球が嫌いだ」と言っている人は1人も聞いたことがありません。
プロゴルファーの宮里藍さんは「ゴルフが大好き」と言っています。
ゴルフでも同じく「ゴルフが大嫌いです」と言っているプロゴルファー選手も見たことも聞いたこともありません。
ある著名人も「仕事が面白くてたまらない。将来は宇宙旅行の代理店をつくりたい」と言っていました。
過去の偉人たちを思い浮かべてください。
火の鳥・ブラックジャックなどで有名な、漫画家の手塚治虫さん。
「これでいいのだ」という名言とともに、天才バカボンを生み出した赤塚不二夫さん。
松竹映画『男はつらいよ』シリーズで、寅さん役として有名な渥美清さん。
仕事に差し支えるため、病であったことを隠し、人生の最後まで俳優として演じ続けた緒形拳さん。
みんな、自分の好きなことを仕事にしています。
偉業を成し遂げました。
成功している人で「仕事が嫌いです」と言っている人など、1人もいません。
成功している人には、好きなことを仕事にしているという共通点があるのです。
実はあなたが仕事で成功できるかどうかというのは、どんな仕事を選ぶのかで将来がどうなってしまうのかがほぼ決まっています。
好きな仕事を選んでいれば、それだけ成功しお金を稼ぐこともできるようになります。
好きだから楽しく感じることができ、やる気も集中も根気も出てきます。
ですが、好きでもない仕事、ましてや嫌いな仕事を選んでいるなら、成功できないのは目に見えているのです。
やりたくもないからやる気も出ない、つらく感じるから疲れやすくなり、いつも愚痴ばかりになります。
仕事を選ぶときは、どれだけ稼げるのかで決めるのではありません。
またどれだけ人から尊敬されるかうらやましがられるかで決めることでもありません。
自分が心から好きだなと感じる仕事を選ぶことが重要なのです。
「経営者が2人いる会社はつぶれる」という法則をご存じですか。
会社を代表し管理する人間が2人もいてしまうと、それぞれの考えがぶつかり、けんか別れしてしまうわけです。
私は以前、この現実を目にしたことがあります。
まだアメリカに留学していたころ、近くに開店したばかりの和風バイキングのお店がありました。
広告も大きく出していて、友人の1人がそこでウエイトレスをやっていると言うこともあり、私も食べに行ったことがあります。
和食は欧米では人気があって、それも種類が豊富なバイキング形式だけあって、開店当初は大いににぎわっていました。
お店の中に入りきらないほどの人気があり、外まで行列ができていました。
ここは繁盛するだろうなと思っていた中、3カ月後にはなんとあっけなくつぶれてしまいました。
お店のドアの前に行くと、張り紙がしてありました。
「事情により閉店をさせていただきます。短い間ですがありがとうございました」
あとから聞いた話ですが、どうやらそのお店は経営者が2人いて、お金の配分のことで揉めたそうなのです。
お金の問題で話がこじれ、経営者同士の仲が悪くなり、お店をやめてしまうことになったのです。
たしかに会社を設立するときには資本金が必要で、1人で出すより、2人で出したほうがその分負担が軽くなります。
だからとはいえ、代表する人間が2人もいると、違った人間であるからには対立が起こります。
ましてや、お金が絡む経営ならなおさらなのです。
これは家庭の夫婦関係にも同じことが言えます。
結婚してからは、個人個人の収入は1つにして、2人の収入が家族のために1つの目的のために使われることになります。
夫婦として同じ屋根の下で一緒に協力して暮らしているからには、お金を合わせて生活していかなければいけません。
当然お金の管理をする人間も必要です。
このとき2人が一緒に管理していると経営者が2人いるような状態となり、考えがぶつかり対立し合うことになります。
お金の管理は、夫か妻のどちらかが代表して行うほうが統一性ができ、そのほうがいいのです。
私の家庭では、お金の管理は母が代表して行っていました。
お金の管理を一括して母が管理し、家族の誰よりしっかり把握しています。
私も父も知りませんが、母はしっかり把握し管理しています。
父が稼いだお金は全部母が管理をして、食費や生活費、光熱費や教育費など、絶妙なバランスで振り分けます。
この判断はほとんどが母に任され、父は知らないふりです。
母はいつもお金の管理に気を使い、大きな責任が伴っているわけです。
父は、お金の管理は母に任せているおかげで、仕事に集中ができます。
母も母でお金の管理に集中できていますから、間違った使い方や振り分けはしません。
お金の管理と仕事を、父と母がそれぞれ「分業」しているため、うまくバランスが取れているのです。
お金の管理は2人で協力してやると逆にこじれます。
1人が代表して行うほうがうまくいくのです。
私の実家は、愛媛県の伊予市という田舎の地域にあります。
実家の周りは、田んぼや畑だらけです。
家の周りに畑があるというより、畑の中に家があるというほうが、イメージとしては合っています。
空気のきれいな田舎で、健康的で最高の場所です。
実家は山の麓にあるおかげで少し標高が高く、おかげで海と山が眺められます。
松山方面を向けば、松山城を自宅の窓から見ることができます。
そんな私の実家では、食事のほとんどが、自給自足になっています。
原始時代の食生活さながらです。
食べるものは、基本的に自分の畑でつくります。
野菜を手に入れるときには、スーパーへ向かうのではなく、畑へ向かうのです。
田んぼでお米をつくっているため、お米を買うこともありません。
畑ではいろいろな作物が育っているため、野菜をわざわざ買うこともありません。
トマト、ナス、キュウリ、レモン、ビワ、サツマイモ、トウモロコシ、ミカン。
いろいろな作物が刈りとられることを待ち望んでいるかのように生い茂っています。
それらはもともと売りだすために育てているわけではなく、家庭の食の足しにするためです。
自分たちが食べることを目的に育てているのです。
お米をはじめとするほとんどを、自給自足で賄っているため、水口家の食費はほとんどゼロ円です。
これだけのいろいろな作物を育てているわけですが、それを育てている人はもちろん私の両親2人が中心になっています。
食費にかけるお金くらいは十分にあります。
では、なぜわざわざそんな回りくどく面倒なことをして、野菜を育てて手に入れているのかと思いますか。
実は、健康のためなのです。
平日に母が作物の世話をして、土日の休日になれば、今度は父が畑に出かけます。
平日に仕事でたまったストレスを畑仕事という形で体を適度に動かし、健康へとつながっているのです。
自給自足という畑仕事が両親に共通してあるおかげで、2人の健康状態は常に良好で大きな病に見舞われたことはありません。
畑仕事をして運動不足を解消し、健康と節約を手に入れられるという上手な生活習慣をつくっているのです。
節約と健康と運動不足を、一度に解消できるうまい方法です。
自分の手で育てる作物が大きくなっていく姿を見るのは、毎日の楽しみにもなっているのです。
お金は使わないと増えません。
お金を増やすなら、使うのがいちばん近道です。
お金を使って、しっかりリターンがあるなら、お金を使えば使うほど増えていくようになります。
本を読んだり、友人の交際費にお金をかけたり、趣味でパソコンや英語といった習い事をします。
知識や技術が身につくと、仕事でも生かせるようになり、高く評価されるようになります。
当然、周りから一目置かれるようになるでしょう。
人からの情報も集まりやすくなり、頼られるようになり、昇進もしやすくなるのです。
結果として、収入が上がります。
お金は使えば使うほど、自分の中に固定資産が増えます。
知識、知恵、人脈、技術などの、無形固定資産です。
もし使っても何の効果も得られなければ、お金の使い方が誤っている証拠です。
たとえば、宝くじです。
宝くじは、何の成長もない使い方の1つです。
単純に宝くじで一発当てようと大量に買い込んでも、本人の知識や技術力など関係なく、運でしかないのです。
力持ちの人、運動神経がいい人、英語が話せる人など、そんなことはまったく関係ありません。
単純に、時の運に任せるしかありません。
それでいて、何かが自分の中に残るわけではありません。
もし当たらなければ、知識も知恵も人脈も技術も、何も自分の中に残らず、ただお金だけが減っていくのです。
お金が当たったとしても、努力を伴わず稼いだお金なので軽く見てしまい、あっという間に使い切ってしまいます。
宝くじは当たっても当たらなくても、あまり良い話ではないのです。
お金をしっかり稼ぐ人は、自分をしっかり高めることができている人です。
コミュニケーション能力があったり仕事の進め方がうまかったり、視野が広い人であったりします。
最初からそうであったわけではありません。
お金をかけてたくさんの本を読んだり、人付き合いにお金を使ってきたりしたことで、成長ができたのです。
お金を、誰にも盗まれない無形固定資産に変えるのです。
私の父も母も普段こそは節約家ですが、家族旅行のときに限ってはお金をどんと使います。
いつもはそれこそ身を削るような思いで節約しているというのに、それを帳消ししてしまうくらいに家族旅行にはお金を使うのです。
母は「家族旅行のときくらいはお金を使わないといけない」と言います。
父も「遊ぶときにはしっかり遊んでおけ!」と言います。
せっかくの旅行先でケチっては楽しいことも楽しくなくなります。
旅行先で、節約だからとはいえ食事もせずに観光も控え、ホテル代までケチっては何のために旅行に行くのかわかりません。
ホテルのランクを下げたことで、せっかくの素晴らしい観光地の印象も悪くなります。
これでは家族旅行に行くことで、余計に家族の仲が悪くなってしまいそうです。
ましてや家族全員で旅行は、いつもできることではありません。
お金と家族全員の予定がぴったり合わなければ、実現できません。
普段の節約はこうした家族仲を深めるために節約しているのであって、お金を家族が幸せになるように上手に使っているわけです。
「家族の仲が悪くなっては、何のためにお金を稼いでいるのかわからない」
これは父も母も、同じことを言います。
家族旅行では、お金をケチらないようにしましょう。
普段は節約してもいいのですが、楽しむときはしっかり楽しんでおかないと損をしてしまうことになるのです。
家族旅行では、ケチってはいけないのです。
お金をうまくためて使うためには、何のためにためて使うのかという目的をしっかり決めておかなければなりません。
目的があるからお金を稼ぎ、目的に近づくためにお金を使います。
自分の夢であったり趣味であったり、息抜きなどです。
この繰り返しが人生であり、自分のやりたいことや願いにどんどんと近づいていき、人生を楽しむということです。
私の両親は、お金に関しての「長期的な視野」と「短期的な視野」の両方を持っています。
長期的な視野というのはもちろん「老後」です。
退職した後は収入がなくなり、老後は国からの年金に頼って生活をしていかなければなりません。
そのため、いざというときのお金をある程度貯めておく必要があります。
何のために使うのかという「目的」と、どのくらい必要なのかという「量」をしっかり把握しています。
母はいつも「老後のために……」と言ってお金を節約しています。
ですが、その一方で短期的な視野でも考えています。
将来のために貯めるだけではなく、今を楽しむために使うことです。
今使うお金は何のために使うのかというと、まさに「今」を楽しむためにです。
ただすべてにケチるというのではなく、自分が好きなことにはお金を使ってもいいのです。
私の母は普段は節約家ですが、好きな映画鑑賞にはお金を使います。
それが母にとって息抜きであり、ゆっくりした時間を過ごせる好きな時間なのです。
母はレンタルビデオで借りてきたビデオを見ながら「この時間だけは邪魔しないで」と言います。
また一方で、父はゴルフにお金を使います。
適度に人とコミュニケーションが取れ、また体を動かすことができ、父にはこの上ない有意義な時間です。
自分の好きなことにまで削って節約しては、楽しいことが何もなくなります。
老後という将来のことも考えながら、今現在も楽しむという短期的な考えの両方を持っていることが大切なのです。
お金を貯めることが人生の目的ではありません。
貯めてばかりのお金は、単なる精神安定剤となるお守りです。
お金は使ったときに効力を発揮します。
自分が生きるために必要な衣食住と、そのほかの願いを叶えるための道具がお金です。
自分の願いと交換できる道具ですが、お金が人生の目的にならないように注意が必要です。
お金を稼ぐことが目的になっていると、楽しめる道を歩めるとは限らないからです。
たとえば、お金を稼げる職業としては、医者や弁護士があります。
人間なら誰もが病気になるため、常に医者は必要とされ、そのうえ高い技術が必要であるため、医者は稼げると言います。
また弁護士なら、人間がたくさんいる世の中では対立やぶつかり合いがあります。
最近では、食べていけない医者や弁護士も出てきているようですが、世間全体から見れば、まだまだ高い需要があります。
しかし、問題なのは、医者や弁護士として成功している人は、好きな仕事をしているのであり、お金が目的ではない点です。
お金が目的で医者や弁護士をしていると、仕事でどこか手抜きをしたり、面倒で適当にやってしまったりします。
そもそも好きな仕事ではないため、やる気が長続きがしにくい可能性もあります。
お金が目的で仕事を選ぶと、人生の途中でつまずく可能性が高いのです。
私の父はお金に関してこう言います。
「お金を稼ぐことも大切だけど、それだけが人生ではない」
お金は単なる手段であり、お金が目的になってはいけません。
お金基準で物事を考えていると、どこかでおかしくなります。
幸せに生きるためにお金を稼ぐのであって、お金を稼ぐことが人生の目的になってはいけないのです。
母は節約のために、よくウインドーショッピングをします。
しかし、勘違いしないでください。
買うためにウインドーショッピングをするのではありません。
買わないためにウインドーショッピングをするのです。
母は、町へ出かけてデパートに寄ったついでに、ほかのお店も見て回ります。
店頭店内には、おしゃれな衣類がたくさん並んでいますが、節約意識を忘れることはありません。
母が、買うのは必要なものだけです。
衝動買いをしてしまうと、結局着ることもなく、無駄になります。
一時的な感情に踊らされ、必要のないものを買ってしまっても、家が倉庫になるだけです。
母は、美しさに見とれるだけで満足して、何も買わずに帰っていきます。
ウインドーショッピングだけで満足してしまう性格ですが、母は「節約のため!」と言い張っています。
「欲しいものをすべて買おうとすると、いくらお金があっても足りない」
「見るだけなら無料だから、デパートに行ったときくらいは目の保養をしないと損する」
こう言ってウインドーショッピングを楽しんでいるのです。
買うためにしているというより、見て目の保養にするためにしているのです。
これは旅行に行って素晴らしい景色を眺めることと同じです。
旅行に行ったときは、素晴らしい景色を眺め癒やされますが、ウインドーショッピングでもきれいな服を眺めることで癒やされます。
ウインドーショッピングで心は躍ります。
何かを購入しなくても、見るだけで満足してしまうのです。
素晴らしい景色を眺めることとウインドーショッピングを楽しむことは、目の保養では同じなのです。
父と母には、早起きをして犬のクッピーと一緒に散歩をする習慣があります。
犬の散歩は定期的にしてあげないと、犬もストレスがたまってしまいます。
だからとはいえ人間も定期的に運動しないと、運動不足になります。
犬にとっても人間にとっても健康に良い散歩を朝早くからすることで良い眠気覚ましになり、運動不足も一緒に解消されます。
もし特別にフィットネスに通うことになると、時間もお金も大きくとられることとなるでしょう。
フィットネスに通うためには往復するための時間もとられてしまい、入会金や月謝などでもお金がかかることになります。
しかし、朝の散歩なら通う時間が必要なく、すぐ始められ、お金もまったく必要のない習慣となります。
習慣には、お金をかけないことがポイントです。
毎日継続して続けられる習慣に、一定のお金がかかるなら、毎月の「固定費」ということになります。
するからにはどうしても必要で、またお金がないとできなければ、習慣にするのは不向きなのです。
習慣にするためには、お金がかからないことをするほうがよほど長続きします。
それだけ金銭的なリスクが小さいからです。
父と母は犬の散歩という名目ではありますが、朝の運動を習慣にしています。
お金がかからず、父や母と飼い犬の健康にも良いという一石二鳥にも三鳥にもなる、賢い習慣なのです。
私の実家では農業をし、自給自足をしているため、いろいろな作物を育てています。
品物として売り出しているのは、ミカンが中心です。
そのほかの作物は、基本的にすべて水口家の食卓に並ぶことになっています。
しかし、ときどき作物が思ったよりよく育ち、余ってしまうことがあります。
そんなときには、早めのうちにご近所さんにあげてしまうようにしています。
時期が遅く、腐ってからでは食べ物になりません。
余るとわかれば、ご近所さんに「おすそ分けです」と、話しかけていきます。
余ってしまうと処分も大変です。
処分するくらいなら、お世話になっている人に分けたほうが、作物もご近所さんにも喜ばれるというものです。
すると不思議なことに、今度はご近所さんからお返しのもらいものを頂くことになります。
もらってばかりではいけないと思い、お返しをしてくれます。
「うちでもこれが余っているから、ぜひ食べて」
母は最初からもらうことが目的であげたわけではありません。
単純に余って必要ないから、誰かにおすそ分けをしたわけです。
しかし、あげればあげるだけお返しにいろいろな物をもらえるようになります。
与えることで自分も豊かになっていったのです。
余り物は捨てるくらいなら、みんなに分けてあげたほうが喜ばれます。
それがご近所さんとの交流の機会にもなるのです。
お金持ちに共通していることは、節約を心がけている点です。
それは「必要、不必要」のラインをしっかり引き、衝動買いや見栄や周りに流されるといった買い方をしないということです。
節約が癖になると、お金が不要に流れ出ることはなく、有効活用ができるのです。
しかし、節約とはいえ、お金の出し惜しみをする点としない点の区別をしておかなければなりません。
お金を費やすべき点で、出し惜しみをすると、お金がうまく活用されません。
それが「人との関係」です。
人との関係とは「友人関係」「家族関係」「親戚関係」「職場の人間関係」などです。
人間関係にお金を出し惜しみすると、あとから悔いる思いをするでしょう。
人間関係にお金を出し惜しみすると、人との関係にひびが入ってしまうことがあります。
ひびが入ってからでは遅いです。
普段から、人間関係には十分配慮する必要があります。
もちろんすべての人に力を入れるわけではなく、特にお世話になっている人には、しっかりとお金を使いましょう。
年賀状やお歳暮、はがき、電話代には、ある程度のお金をかけるほうがむしろいいのです。
私の母の年賀状は必ず手書きであり、お礼の電話は遠方でも電話代を気にせずかけるようにしています。
年末は年賀状を書くのに必死になって書いています。
お礼や感謝を忘れると、良い年明けが迎えられません。
「今年もよろしくお願いします」と一筆書くことは、人との関係をよくし、人に対して投資をしているということになるのです。
世の中には、お金の出し惜しみしてはいけないことがあることを知っておきましょう。