あなたは今、奇跡を体験しています。
90代を生きていることです。
90代まで生きることは、人生最大の奇跡の1つです。
90代は、自分の生き方に誇りを持ちましょう。
堂々と胸を張ってください。
今までの生き方が正しかった証明だからです。
「足腰が弱くなった」
「物覚えも悪くなった」
「自分は何もできない」
「今日も朝、目が覚めた」
これだけで、ラッキーです。
朝に目が覚めるのは当たり前のことと思いますが、違います。
あなたが朝起きて、最初にすることは何ですか。
顔を洗ったりトイレに行ったりしますが、ぜひ心がけてほしいことがあります。
窓を開けることです。
人生で最も素晴らしい道具は何でしょうか。
あなたの手です。
道具を使うのは手ですが、そんな手もまた、道具の1つです。
1日には、幸せな瞬間がたくさんあります。
いつ幸せなのかというと「常に」です。
朝起きた瞬間から、幸せの始まりです。
いくら90代とはいえ、寝ているばかりは良くありません。
「もうゆっくりさせてほしい」と思いますが、ゆっくりしすぎるのも疲れます。
生きがいを感じられず、ただ食べて寝るだけの生活になります。
90代は、体の衰えが目立ちます。
なんとか、歩くことができる。
なんとか、立つことができる。
今日は、何か歌を歌いましたか。
「歌を歌う元気もない」
そう思うなら、なおさら歌を歌いましょう。
お風呂の時間が、もっと楽しくなる工夫があります。
歌を歌うことです。
お風呂場で、お気に入りの歌を歌いましょう。
90代の仕事は、何でしょうか。
90代の仕事は、歩くことです。
歩くだけで、素晴らしいことです。
最近、プレゼントをしていますか。
90代は、プレゼントをされる姿勢になりがちですが、受け身ばかりでは良くありません。
与える姿勢を続けましょう。
年を取ると、聴力が弱くなります。
一般的に聴力が弱くなることは、よくないことと考えられていますが、本当にそうでしょうか。
たしかに相手の声が聞こえにくくなれば、会話もしづらくなりますが、悪いことばかりではありません。
記憶力がよすぎるのも、考えものです。
覚えすぎていると、嫌なことをずっと引きずってしまいます。
記憶力が悪い人は、努力しだいで強化できますが、記憶力が良い人は、忘れる手段がありません。
白髪はどのくらいありますか。
年を取るにつれて、黒い髪の毛が減り、白髪が増えます。
もしかすると、すでに髪の毛のすべてが真っ白、という人もいるのではないでしょうか。
風景は、どのような見方をしていますか。
見ていますか。
それとも、見つめていますか。
窓から外を眺めていると、いろいろな風景を楽しめます。
青い大空に浮かぶ雲。
雲の中を、さんさんと輝く太陽。
一人で、ぶつぶつ話をすることといえば、独り言です。
誰に話しかけるわけでもなく、無意識に口から出る言葉です。
独り言を言っても意味がないと思いますが、違います。
美しい風景を見て、感動を楽しみましょう。
感動の喜びを、自分だけが楽しむのはもったいないです。
感動した風景は、無地のはがきにスケッチしましょう。
「今さら楽しい思い出がつくれない」と思うのは、誤解です。
90代になっても、楽しい思い出をつくれます。
楽しいことを思い出すことです。
人は、何かを育てるときに、生きる喜びを感じます。
子どもを育てたり、ペットを育てたりです。
熱心に育てれば育てるほど、ぐいぐい成長して、結果が目に見えます。
「病気が憎い」
病気を恨んでいませんか。
たしかに痛みや苦しみを伴う病気は、気に入らない存在と考えることでしょう。
「本当に効くのかな」
薬を飲むとき、そう思っていませんか。
痛みや苦しみが伴う病気が、単なる錠剤や粉末くらいで治るのが、疑わしく思うのも当然です。
あなたの人生は、どんな人生でしたか。
これほど長く生きていると、今まで多くの経験をしてきたことでしょう。
もし自伝を書くなら、膨大な量になるはずです。
毎日、お祈りしましょう。
宗派やタイミングは問いません。
この世を創造した偉大なる存在に向かって、神聖な気持ちを伝えることが大切です。
テレビや新聞を見ていると、驚くべき行動をする年配者を目にしました。
生きているうちに、自分のお墓をつくる光景です。
まだ死んでいないのに、先に自分のお墓をつくってしまうのです。
死は、怖がることではありません。
誰もが一度は経験することだからです。
車の免許を取らないで一生を終える人はいますが、死を経験しないで一生を終える人はいません。
人生には、たくさんの差があります。
仕事の差、人脈の差、収入の差。
人生は、いろいろなところで差がつきます。
いずれ、亡くなった父に会えます。
いずれ、亡くなった母に会えます。
そればかりではありません。
あなたは今、奇跡を体験しています。
90代を生きていることです。
90代まで生きることは、人生最大の奇跡の1つです。
医療技術がまだ発達していなかった時代では、90代はあり得ない年齢でした。
「人間がそんな年齢まで生きられるわけがない」ということです。
不可能だった年齢が、今、可能になっています。
今は医療技術が進歩して、長生きできるようになりました。
医学の進歩に感謝です。
さらに交通事故にも遭わず、大きな病に苦しむこともありませんでした。
素晴らしい偶然に感謝です。
医学の進歩と偶然によって「90代を生きる」という奇跡が起こっています。
素晴らしい人生です。
90代という年齢は、神秘的な出来事です。
1日1日が、奇跡の連続です。
どのくらい奇跡を大きくできるかは、自分しだいです。
少しでも長く生きて、もっと大きな奇跡を目指しましょう。
90代は、自分の生き方に誇りを持ちましょう。
堂々と胸を張ってください。
今までの生き方が正しかった証明だからです。
90代まで生きられた現実を振り返ってみましょう。
90代は、誰でも簡単に生きられる年齢ではありません。
これまでの自分の行いが正しくなければ、生きられない年齢です。
第一に、これまでの食生活のバランスが整っていたことです。
食生活が正しくなければ、90代まで生きられません。
バランスの良い食生活を続けることができていたから、健康を維持できました。
第2に、適度な運動ができていたことです。
適度な運動がなければ、90代まで生きられません。
生きる目標を持ち、定期的に適度な運動を心がけていたからこそ、健康を維持できました。
第3に、たくさんの愛情があったことです。
愛情がなければ、90代まで生きられません。
あなたがたくさんの愛情を周りに与え、たくさんの人から愛されました。
おかげで、たくさんの人の協力や支えがあり、今こうして生きることができています。
「食生活」「運動」「愛情」すべてが正しく整っていたからこそ、今生きることができています。
だから、生き方に誇りを持ってほしいのです。
天という偉大な存在から、褒められているのと同じです。
90代まで生きられたということが、素晴らしい実績です。
年齢そのものが、勲章なのです。
「足腰が弱くなった」
「物覚えも悪くなった」
「自分は何もできない」
衰えばかり考えるのは、良くありません。
誰でも年を取れば、体が衰えるのは自然です。
自然な状態なのですから、自分を責める必要もないのです。
90代が心がけることは何か。
ただ、前向きに生きることです。
90代は前向きに生きるだけで、偉業です。
人に勇気を与えられるからです。
「こんなに長生きできるなんてすごいな」
「まだまだ長生きをしようと頑張っているなあ」
多くの人を驚かせることができます。
人が秘めている生命力を、身をもって証明しています。
できればじっとするより、活動する姿を見せましょう。
仕事をしたり、趣味を楽しんだりするのがいちばんです。
「90代にもなって、向上心があるなあ」
「元気な90代で、自分も負けていられないなあ」
明るい雰囲気を出しましょう。
生き生きしている様子を見せれば、さらに周りを驚かせることができます。
「私もあんなふうに長生きしたいな」と思うでしょう。
90代は、高齢だからこそ、周りの人を簡単に驚かせられます。
周りの人に、長生きする希望を与えられるのです。
長生きしている人の使命は、長生きすることの素晴らしさを伝えることです。
生きる見本です。
90代は、前向きに生きるだけで、偉業なのです。
「今日も朝、目が覚めた」
これだけで、ラッキーです。
朝に目が覚めるのは当たり前のことと思いますが、違います。
90代にとって、普通に朝を迎えられることは、喜びです。
夜に目を閉じて、そのまま亡くなっていたかもしれません。
老衰して、二度と目を開けることがなかったかもしれません。
寝ている最中に、何らかの発作で、亡くなっていたかもしれません。
しかし、今日も無事、朝を迎えることができました。
偶然ではありません。
普通に朝を迎えるだけで、幸運です。
「今日も頑張りなさい」という神様からのメッセージです。
あなたにはまだ、この世ですべき仕事が残っているから、今日という1日を与えられました。
90代まで生きることができています。
朝起きた後は、まず天に向かって「ありがとうございます」と、感謝しましょう。
与えられた1日は無駄にせず、有意義に使いましょう。
畑仕事や部屋の掃除です。
趣味を楽しんだり、ウォーキングをしたりです。
仕事は、与えられるのではなく、自分でつくりましょう。
まだまだ、命は続きます。
命が続くかぎり、神様から期待されています。
長生きしている人の使命は、長生きすることの素晴らしさを伝えることです。
一生懸命、人生を楽しみましょう。
朝を無事に迎えられたのは、幸せなことなのです。
あなたが朝起きて、最初にすることは何ですか。
顔を洗ったりトイレに行ったりしますが、ぜひ心がけてほしいことがあります。
窓を開けることです。
窓を全開にしましょう。
誰かに窓を開けてもらうより、できるだけ自分で窓を開けましょう。
体を動かす機会になり、いい目覚め方ができるからです。
窓を全開にすると、美しい自然の風景が目に飛び込みます。
晴れの日であろうと、曇りの日であろうと、雨の日であろうと、素晴らしい自然の営みです。
外の景色を視界いっぱいに眺めながら、深呼吸をしましょう。
大きく息を吸い込むと、新鮮な空気が肺に取り込まれ、元気が出てきます。
部屋の空気も入れ替わり、雰囲気もよくなります。
これだけで、気持ちのいい1日の始まりです。
窓は、気持ちよく1日を始めるためのスイッチです。
窓は、開けるためにあります。
さあ、今日も1日が始まりました。
窓を全開にして、気持ちのいい1日を始めましょう。
人生で最も素晴らしい道具は何でしょうか。
あなたの手です。
道具を使うのは手ですが、そんな手もまた、道具の1つです。
これまで数え切れないほど、手のお世話になりました。
ドアを開けたり閉めたりしました。
食事のときは、お箸、ナイフ、フォークを使いました。
晴れの日にはバッグを持ち、雨の日には傘を持ちました。
勉強のときには、鉛筆を握り、教科書をめくりました。
仕事では、机の引き出しを開けたり、キーボードを打ったりしました。
自転車や車の運転では、ハンドルを握りました。
子どもができたときは、手をつないだり、抱っこしたりしました。
人と出会ったときには、握手をしました。
手という道具があるおかげで、これまでの長い人生を歩んでくることができました。
だから、手はありがたい。
手があるおかげで、山あり谷ありの人生を、無事に乗り越えることができました。
手を使うとは、人生を切り開くことです。
手を使えば使うほど、人生が切り開けます。
しかし、まだ終わりではありません。
手のひらを、動かしてみましょう。
閉じたり開いたりです。
まだ動きますね。
だいぶ古くなった手ですが、まだ使えます。
手が動くかぎり、まだまだ人生を切り開く可能性があるということです。
つえをついて、歩くことができるでしょう。
お箸を使って、食事もできるでしょう。
本のページをめくることもできます。
自分の手に向かって「ありがとう」と言いましょう。
もっともっと、手を使いましょう。
まだ使えるのですから、使えるだけ使いましょう。
1日には、幸せな瞬間がたくさんあります。
いつ幸せなのかというと「常に」です。
朝起きた瞬間から、幸せの始まりです。
素晴らしい1日を楽しみましょう。
朝、起きれば、美しい朝日が見られます。
おいしい朝食が食べられます。
きれいな空気を吸えます。
昼には、趣味が楽しめます。
友人とおしゃべりをして大笑いができます。
ウォーキングをしながら、美しい街並みや風景に感動できます。
夜には、美しい星空が見られます。
気持ちのいいお風呂に入って、ほっとできます。
そして、心地よい睡眠が待っています。
明日もまた、いい1日になりそうです。
そう思いながら眠ると、楽しい夢が見られるでしょう。
生きるということは、素晴らしい。
命があるだけで、幸せです。
1日中、幸せなことで埋め尽くされているのです。
いくら90代とはいえ、寝ているばかりは良くありません。
「もうゆっくりさせてほしい」と思いますが、ゆっくりしすぎるのも疲れます。
生きがいを感じられず、ただ食べて寝るだけの生活になります。
命が死んでしまう前に、心が死んでしまうのです。
役立つようなことをしましょう。
仕事です。
できる範囲でかまいません。
元気に長生きをしている人は、毎日何か仕事をしています。
畑仕事をしたり、趣味をしたりです。
仕事の内容は人それぞれですが、長生きしている人は必ず、何かをしています。
元気だから、何かをしているのではありません。
何かをしているから、元気なのです。
仕事の大小は関係ありません。
仕事をしているかどうかです。
ささいなことでもいいのです。
たとえば、家の掃除や畑仕事などです。
もちろん力仕事は難しいですが、できる範囲で仕事をしましょう。
庭の草むしりでも、立派な仕事です。
前向きに生きる姿を見せるのです。
家族が喜んでくれます。
喜んでくれると、もっと力も出てきます。
仕事を通して、やりがいや達成感が生まれ、生きている実感が得られます。
仕事が、頭や体の衰えの防止にもつながるのです。
90代は、体の衰えが目立ちます。
なんとか、歩くことができる。
なんとか、立つことができる。
話すことすらできない人も、いるかもしれません。
大丈夫です。
話せなくても、会話はできます。
手を使いましょう。
相手の手を、優しく握ります。
手に触れるのは、会話するのと同じです。
お互いの気持ちを、やりとりできるからです。
強く握りしめるだけで、気持ちが伝わります。
家族と会話するときは、手を握りましょう。
手を通して、家族にぬくもりを伝えることができます。
逆に、家族の手から、思いやりも伝わってくるでしょう。
孫の手を握るだけで、会話ができます。
手を通してひい孫に希望を与えることができます。
逆に、ひい孫の手から、明るく生きている様子も伝わってくるでしょう。
手は素晴らしい。
手の感触は、言葉以上に物語ります。
肌の感覚を通して、相手とのやりとりができるのです。
今日は、誰かの手を握りましたか。
まだ握っていなければ、握りに行きましょう。
手に触れるだけで、コミュニケーションなのです。
今日は、何か歌を歌いましたか。
「歌を歌う元気もない」
そう思うなら、なおさら歌を歌いましょう。
歌を聞くだけでもいいのですが、歌うほうが効果的です。
聞くのは、受け身です。
歌うことは、積極的です。
元気がなくてもいいのです。
気が進まなくてもいいのです。
元気がないときこそ、歌の力です。
声を出すと、力が出ます。
リズムを打てば、活力と緊張感があふれます。
テンポを楽しめば、感情が高ぶります。
歌には、人を元気にさせる力があるのです。
元気がないときこそ歌を歌って、元気を出しましょう。
歌の前向きな言葉に触れるうちに、気持ちが明るくなり、脳も生き生きし始めます。
元気には、無限の可能性があります。
自分が明るく気持ちを持つことで、いくらでも無限に出せます。
人間には、そうした無限の可能性を秘めているのです。
目標は、1日に3回です。
朝・昼・晩に歌えば、3回達成できます。
昼にまとめて3回でもかまいません。
1日3回、歌を歌えば、幸せが3倍になります。
簡単ですね。
では、さっそく歌いましょう。
大きな声で、はきはきです。
今日は、どんな歌を歌いますか。
お風呂の時間が、もっと楽しくなる工夫があります。
歌を歌うことです。
お風呂場で、お気に入りの歌を歌いましょう。
湯船に浸かりながら歌うのもいいでしょう。
シャワーを浴びながら歌うのもいいでしょう。
お風呂の時間が、もっと豊かになります。
浴室は、カラオケボックスです。
浴室は狭いからいいのです。
狭いおかげで、声がよく響き渡ります。
自分の声が、より美しく聞こえるのです。
立ち込める湯気も、いい雰囲気を出します。
もやもやした湯気の中を歌えば、アイドルさながらです。
幻想的な雰囲気をつくり出し、歌う気分を盛り上げてくれます。
たくさん歌を歌えば歌うほど、気分も明るくなります。
これが幸せです。
今日のお風呂は、どんな歌を歌いますか。
お風呂の時間は、カラオケタイムです。
もっともっと、お風呂の時間を楽しみましょう。
90代の仕事は、何でしょうか。
90代の仕事は、歩くことです。
歩くだけで、素晴らしいことです。
歩くと、楽しいことに出会えるからです。
歩くとは、人生を前進させる行動です。
たくさんの人に、会えます。
知り合いに会えば、挨拶をしたり、立ち話をしたりしましょう。
美しい風景を楽しむこともできます。
歩くにつれて、見える風景がどんどん変化して、いい刺激になります。
歩いた分だけ、楽しみに出会えるのです。
「歩くと疲れる」「移動は車椅子を使いたい」と思いますが、事情がないかぎり、できるだけ自分の足で歩きましょう。
90代にも、向上心は必要です。
いつも上を向き、前に進み続けることで、人生も上向きになります。
できるだけ気持ちを奮い立たせ、自分の足で、1歩でも歩くようにしましょう。
90代になると、運動の習慣がますます大切です。
歩きにくければ、手すりを使ってもいいです。
つえをついてもいいです。
誰かに手を引いてもらってもいいです。
自分の足で歩くと、刺激を肌で感じることができるようになります。
ゆっくりでいい。
疲れたときは、休んでもいい。
歩くことを楽しみましょう。
歩くことそのものが、素晴らしい健康習慣なのです。
最近、プレゼントをしていますか。
90代は、プレゼントをされる姿勢になりがちですが、受け身ばかりでは良くありません。
与える姿勢を続けましょう。
身近な人の記念日には、ぜひプレゼントです。
たとえば、家族の誕生日です。
息子、娘、孫、ひい孫の誕生日は、いつですか。
ちょっとしたものでもいいですから、誕生日にはお祝いのプレゼントを贈りましょう。
好みがよくわからなければ、お菓子がおすすめです。
お菓子が嫌いな人はいません。
勉強・仕事・子育てなどに疲れた子どもたちは、甘いお菓子を食べて、元気を出すでしょう。
なにより、感動します。
誕生日にプレゼントをされる嬉しさだけではありません。
90代という高齢者からプレゼントされることに、驚くのです。
90代が贈るプレゼントは、何でも感動させられます。
年を取っても誕生日のプレゼントをする姿勢は、素晴らしいです。
90代だからできる、感動です。
自分一人でプレゼントを買いに行くのが難しければ、誰かに協力してもらいましょう。
どうしても動きにくければ、通信カタログを使えば、部屋にいてもプレゼントを考えることができます。
自分から積極的に与える側になり、プレゼントをしましょう。
遠慮しないで、どんどんプレゼントをしましょう。
一言メッセージを添えておけば、さらに喜んでもらえます。
プレゼントをすると、優しい子どもたちへと育ちます。
その子が高齢になったときも、きっとプレゼントができる人へと育つでしょう。
年を取ると、聴力が弱くなります。
一般的に聴力が弱くなることは、よくないことと考えられていますが、本当にそうでしょうか。
たしかに相手の声が聞こえにくくなれば、会話もしづらくなりますが、悪いことばかりではありません。
聴力が弱くなることで得られる幸せがあります。
耳がよく聞こえるのも、大変です。
人の声がよく聞こえます。
人の悪口、妬み、噂など、ささいな言葉ばかりがよく聞こえます。
聞きたくない声まで聞こえるのでは、疲れます。
物音がよく聞こえます。
足音、怒鳴り声など、聞こえすぎると、夜の睡眠の妨げになります。
小さな物音で生活リズムを崩されるのは、迷惑です。
音が聞こえすぎると、そのたびに心の平穏が乱されます。
耳がよく聞こえすぎるのも、考えものです。
「聴力が弱くなって、ちょうどよくなった」と思うことです。
年を取れば、誰でも聴力が弱くなります。
あなたに伝えたいメッセージがあれば、相手は大きな声で語りかけてくれます。
必要な言葉だけが、耳に入ります。
だから、ちょうどいいのです。
より穏やかな気持ちで、人生を歩めます。
90代だから、手に入れられる世界です。
一切の騒がしさから解き放たれ、静寂の境地を歩めます。
聴力が弱くなったおかげで、穏やかになれたのです。
「聴力が弱くなるのも、悪くないなあ」
そう思いながら、今日もにこにこしましょう。
記憶力がよすぎるのも、考えものです。
覚えすぎていると、嫌なことをずっと引きずってしまいます。
記憶力が悪い人は、努力しだいで強化できますが、記憶力が良い人は、忘れる手段がありません。
嫌なことがあれば、むかむかした気持ちが続くでしょう。
悲しいことがあれば、ずるずる引きずるでしょう。
いらいらすることがあれば、長引くでしょう。
「忘れよう」と思えば思うほど、かえって印象に残り、余計に忘れられなくなります。
「忘れたい」という悩みが出てくるのです。
だから、ぼけるのも、悪くはない。
嫌なことがあっても、すぐ忘れられます。
悲しいことがあっても、すぐ立ち直れるでしょう。
いらいらすることがあっても、すぐ落ち着けるでしょう。
すぐ忘れることで、穏やかな人生を歩むことができるのです。
いいことは、ノートに書きとめておきましょう。
ノートを見返すたびに、いい思い出だけを思い出せます。
嫌なことはさっさと忘れ、いいことだけを覚えておきましょう。
白髪はどのくらいありますか。
年を取るにつれて、黒い髪の毛が減り、白髪が増えます。
もしかすると、すでに髪の毛のすべてが真っ白、という人もいるのではないでしょうか。
昔は白髪が増えることを「頭に雪が積もる」なんて表現したものです。
「白髪になるのは嫌だな」と思っても、年を取れば誰でもなるものです。
仕方ありません。
白髪が増えたときは、こう考えましょう。
明るい髪の毛の色を楽しんでいると。
黒い髪もいいですが、白い髪も悪くありません。
白髪が増えるほど、雰囲気が明るくなるからです。
まず、顔全体が明るくなります。
白髪が増えれば増えるほど、明るい色が増えるわけですから、顔全体も明るくなります。
白髪の明るさによって、柔らかい雰囲気も出てきます。
白髪の多い人に、悪そうな人はいません。
顔が明るくなったり柔らかい雰囲気が出たりなど、白髪だからこそ演出できる雰囲気があるのです。
だからこそ、白髪も1つの味わいです。
「白髪が増えた。顔が老けて見える」ではありません。
「白髪が増えた。雰囲気が明るくなった」です。
新しい髪の色を楽しみましょう。
白髪もまた、素晴らしいのです。
風景は、どのような見方をしていますか。
見ていますか。
それとも、見つめていますか。
「見る」と「見つめる」は、似ていますが、違います。
見るとは、ざっと全体を眺めることです。
集中力が小さな見方です。
全体の様子を把握するだけであり、細かいところまでよく見ようとする姿勢がありません。
見るのではなく、見つめるのです。
見つめるとは、集中して、じっと見ることです。
細かなところまでよく見ようと、積極的になることです。
見つめると、見るだけでは見えなかったことが、見えるようになります。
細かな動き、変化、違いがわかるようになるからです。
大空は、見るのではなく、見つめましょう。
雲の動き、色、形の奥深さに気づきます。
「今日は雲の動きが速いな」と思うこともあれば「雲が、花の形に似ている」と気づくこともあるでしょう。
「雲が分厚くて暗いな」と思えば「もしかしたら明日は雨かな」と予感することもあるでしょう。
雲は一瞬として、止まっていることはありません。
ゆっくりではありますが、刻一刻と、形が変化しています。
だからこそ、見飽きません。
見つめれば見つめるほど、発見が増えるのです。
植物も、見るのではなく、見つめましょう。
植物を見つめると、不思議な枝のわかれ方に気づいたり、枝の先にある花房を見つけたりできます。
花もよく見つめれば、美しい花びらや色合いにも気づくでしょう。
つぼみに気づけば「どんな花が咲くのだろう」と、想像が膨らむでしょう。
見つめるのは、感動を増やす方法です。
細かいところまで注意が行き届き、風景の奥深さに気づけます。
見つめれば見つめるほど、発見と感動が無限に増えるのです。
窓から外を眺めていると、いろいろな風景を楽しめます。
青い大空に浮かぶ雲。
雲の中を、さんさんと輝く太陽。
太陽の下で、ぱっと咲き乱れる自然の植物。
植物の中を楽しそうに歩く人々。
それぞれが、絶妙なバランスで、うまく関わり合いを持っています。
風景とは、ジグソーパズルのようです。
自然、人、植物などが組み合って、1つの風景ができています。
それぞれが、なかなかいい味を出しているではありませんか。
ところで1つ、大切なことを見落としていませんか。
あなたもまた、風景の一部です。
風景を眺めるあなたも、パズルのピースの一部です。
相手から見れば「風景を眺める人」として映っているでしょう。
自分では何もしていないように見えますが、他人から見れば、風景を構成する大切な一部です。
あなたもまた、いい味を出しているのです。
モデルらしく、まっすぐ背筋を伸ばしましょう。
生き生き歩きましょう。
にっこりしましょう。
あなたもまた、素晴らしい風景の一部なのです。
一人で、ぶつぶつ話をすることといえば、独り言です。
誰に話しかけるわけでもなく、無意識に口から出る言葉です。
独り言を言っても意味がないと思いますが、違います。
独り言は、自分に話しかけているのです。
自分が思ったことを自分に話しかけて、自分が反応しています。
会話は、複数人でなければ成立しないとは限りません。
会話は、一人でも成立します。
意識的であろうと無意識であろうと、独り言を言うとき、会話が成立しているのです。
話し相手がいないときは、独り言です。
育てている植物があれば「早く大きくなってね」と話しかけます。
美しい大空を見上げて「いい天気だ」と、大きく息を吸います。
独り言を言えば、自分の気持ちが、よりはっきり感じられます。
友人と話をすればするほど、相手のことがよくわかるように、自分と話をすればするほど、自分のことがよくわかります。
人がいないときは、自分にたくさん話しかけて、楽しさを倍増させましょう。
独り言も、立派な会話なのです。
美しい風景を見て、感動を楽しみましょう。
感動の喜びを、自分だけが楽しむのはもったいないです。
感動した風景は、無地のはがきにスケッチしましょう。
絵の完成度は関係ありません。
自分が感じたありのままを、スケッチしましょう。
絵はがきの完成です。
さて、スケッチした絵はがきは、身近な人に送りましょう。
「美しい風景をお届けします」というメッセージです。
これで、感動を人に届けられます。
世界でいちばん、心のこもった絵はがきの完成です。
1日1回を日課にすれば、1年で365枚のはがきを送れます。
絵をスケッチすることで、自分が楽しめます。
絵はがきを送ることで、感動を人に伝えられます。
「感動」「絵描き」「執筆」の3つを、同時に楽しめる方法です。
この習慣があれば、脳も活性化されます。
日課として、いかがでしょうか。
「今さら楽しい思い出がつくれない」と思うのは、誤解です。
90代になっても、楽しい思い出をつくれます。
楽しいことを思い出すことです。
人生を振り返り、楽しかった出来事を思い出してください。
愛する人と生活する、新婚時代。
学問と自由を満喫していた、学生時期。
社会人として初々しかった、新人時代。
人それぞれ、楽しかった時期があるでしょう。
できるだけ鮮明に、思い出しましょう。
「楽しいことを思い出す」というのが、楽しいことです。
「あのときは楽しかったなあ」と思い出す時間が、楽しい思い出になります。
楽しかった出来事を思い出すのも、思い出の1つです。
90代になっても、楽しい思い出をつくることができるのです。
人は、何かを育てるときに、生きる喜びを感じます。
子どもを育てたり、ペットを育てたりです。
熱心に育てれば育てるほど、ぐいぐい成長して、結果が目に見えます。
成長という結果があると「育てたかいがあった」と思い、自分の存在に自信を持つのです。
しかし、90代になると、育てるものがほとんどなくなります。
わが子は巣立った。
孫も大きくなった。
ペットを飼うこともできない。
育てるものは、何もない。
育てる喜びを味わえなくなるのです。
大丈夫です。
どんな状況でも、育てるものが1つあります。
植物なのです。
どんなに狭い部屋でも、植物は場所を取りません。
ペットが禁止されている病院でも、植物の禁止はされていないはずです。
育てるために、お金はほとんどかかりません。
必要なのは、水と日光だけです。
植物を、タネの状態から育てていきましょう。
植物は正直です。
愛情を持って育てると、すくすく育ちます。
日に日に大きくなっていく植物を見ていると、心に張り合いが出て、育てる喜びを味わえます。
再び、育てる喜びを思い出すのです。
美しい植物があれば、緑が増え、部屋の雰囲気もよくなります。
美しく育つ植物が、部屋に来る人たちの心も癒やしてくれるでしょう。
立派な社会貢献の1つにもなるのです。
「病気が憎い」
病気を恨んでいませんか。
たしかに痛みや苦しみを伴う病気は、気に入らない存在と考えることでしょう。
「この病気さえなければ、どれだけ楽になるだろうか」
病気への悔しさがこみ上げてきます。
しかし、病気が憎いと思うのは良くありません。
病気が憎いと思えば思うほど、病気は余計に悪化します。
「憎い」というマイナスのパワーが体に悪い影響を与え、余計に病気が悪化するのです。
病気は悪くない。
悪いのは、病気を憎む気持ちです。
では、どうすればいいのでしょうか。
「病気を治す」と考えましょう。
「治す」というプラスのパワーが、体にいい影響を与えます。
「病気を治そう」と思えば、明るくて優しい気持ちになれます。
「病気を治す、治す、治す」
あなたが明るく話しかけると、体の免疫力が向上します。
向上した免疫力によって、病気が退治され、体の具合もよくなります。
だんだん病気が緩和され、回復に向かうのです。
「本当に効くのかな」
薬を飲むとき、そう思っていませんか。
痛みや苦しみが伴う病気が、単なる錠剤や粉末くらいで治るのが、疑わしく思うのも当然です。
しかし「本当に効くのかなあ」と思って、薬を飲むのは良くありません。
薬の効果が半減するからです。
疑いは、マイナスのパワーです。
体に悪影響を与えます。
「本当に効くのかなあ」と思っていると、薬の効果も小さくなるのです。
薬は「効きそうだ」と思って、飲むことです。
「効きそうだ」と思うと、本当に効きます。
信じるというのは、ポジティブな考え方です。
信じる心によって、体全身の免疫力が高まることが確認されています。
さらにプラシーボ効果も高まります。
人は、効き目があると信じるとき、暗示によって、偽薬でも効果が現れることが確認されています。
信じることも、治療の1つです。
「効きそうだ」と思うと、暗示と薬の相乗効果によって、回復力が倍増するのです。
薬の効果は、疑うと半減し、信じると倍増するのです。
あなたの人生は、どんな人生でしたか。
これほど長く生きていると、今まで多くの経験をしてきたことでしょう。
もし自伝を書くなら、膨大な量になるはずです。
1冊では足りず、何冊にもなるでしょう。
さて、ここでひとつ、提案があります。
自分の人生を、一言で言い表して見てください。
「たくさん」ではなく「一言」です。
「一言では言い表せない」と思いますが、堅いことは考えず、ぜひやってみてほしいのです。
ちょっとした頭の体操です。
一言で言い表そうとすると、いちばん大切なことだけを考えようとします。
過去を振り返るとき、自分の生き方の全体的な様子に目を向けるようになれます。
すると、自分という存在の本質が見えてくるようになるのです。
人生は長いように思えますが、短いです。
一瞬にさえ思えます。
いろいろなことを経験したように思えますが、振り返ると、意外に同じことの繰り返しが目立ちます。
たくさんの人と出会いますが、親しい人は、ほんの数人です。
あなたの人生を、一言で言い表してみてください。
しみじみした思いになりつつも、心に深く感じるものがあるでしょう。
どんな人生でしたか。
それもまた、人生です。
毎日、お祈りしましょう。
宗派やタイミングは問いません。
この世を創造した偉大なる存在に向かって、神聖な気持ちを伝えることが大切です。
祈りたいのは、次の3つです。
1つ目は、過去への祈りです。
素晴らしい人生であったことに、感謝の祈りを捧げましょう。
「素晴らしい人生でした。ありがとうございます」
すると、幸せな気持ちになれます。
これまで受けた人生の恵みを、より強く自覚できるからです。
2つ目は、現在への祈りです。
今日も素晴らしい1日になることを、祈りましょう。
「今日もいい1日になりますように」
すると、やる気や元気が出てきます。
今日もいい1日になる予感がしてくるからです。
3つ目は、未来への祈りです。
これからの豊かな人生を祈りましょう。
「これからもよろしくお願いします」
すると、死に対する恐怖も薄れます。
いつまでも、偉大な存在による恵みに包まれる気がしてくるからです。
過去、現在、未来の3つを祈ることで、人生全体を前向きに受け入れられます。
目を閉じて祈ると、心を静まり、穏やかな気持ちになれるでしょう。
1分間でいいのです。
たった1分間の祈りが、人生を豊かにします。
祈れば祈るほど、心が幸せで満たされるのです。
テレビや新聞を見ていると、驚くべき行動をする年配者を目にしました。
生きているうちに、自分のお墓をつくる光景です。
まだ死んでいないのに、先に自分のお墓をつくってしまうのです。
縁起が悪く、滑稽に思えます。
なぜ、そんなことをするのでしょうか。
第1は、経済的な負担の削減です。
自分が亡くなれば、お墓の準備を残る家族にさせることになります。
お墓を建てるには、大きな費用が必要です。
お墓の規模によっては、車が買えるほどの値段になることもあります。
自分が生きているうちに、自分のお墓を自分の財布から出すことで、残された家族の経済的負担を軽くできます。
自分の墓ですから、自分のお金を使います。
自分が亡くなった後も、家族がお墓の準備に慌てることもありません。
第2の理由は、安心感です。
生きているうちにお墓をつくると、自分が死んだ後の様子がうかがえます。
「自分が死んだ後は、ここに入る」
死後の状態が目に見えてわかれば、安らかな死を迎える準備になるでしょう。
生きているうちにお墓をつくることは、肯定派と否定派があります。
どちらがいいとは、一概には言えません。
「早死にする」という声を耳にしますが、あくまで噂であり、科学的根拠はありません。
聞き慣れない風習に思えますが、歴史を振り返ると、実は古くから存在しています。
日本で見られる古墳は、有力者が生きている間に作ったお墓です。
エジプトで見られるピラミッドも、王が生きているうちに作ったお墓です。
人は、いずれ必ず死を迎えます。
自分の生き方を決めるのが自分なら、死に方を決めるのも自分です。
「自分の生き方に合っている」と思うなら、選択肢の1つとして、検討してもいいのではないでしょうか。
死は、怖がることではありません。
誰もが一度は経験することだからです。
車の免許を取らないで一生を終える人はいますが、死を経験しないで一生を終える人はいません。
この地球が誕生して以来、死を経験しなかった人は、一人もいません。
生きとし生ける存在のすべてが、必ず一度は経験することです。
死の瞬間から逃げるのは、不可能です。
逃げるから、余計に疲れます。
逃げるから、余計に怖くなります。
逆に考えてみてください。
「死ななかったらどうしようか」と。
死ななかったときのほうが、はるかに大変です。
生きる苦しみがあっても、死ねないため、人生から逃げられません。
老いがずっと続くため、あるときから人間の原形をとどめていないかもしれません。
病気による痛みや苦しみがあっても死ねず、苦痛が永遠に続きます。
これほどの地獄はありません。
死ねないほうが、本当ははるかに怖いことです。
フィニッシュのないマラソンを走り続けるようなものです。
一度始めれば、やめたくてもやめられないのは、地獄です。
希望というより、絶望です。
人生の終わりがあることもまた、幸せの1つです。
「適切な時期にお迎えがやってくる」と思えばいいのです。
死は、誰もが必ず経験することです。
自然に任せるのがいちばんです。
逃げることでも、怖がることでもないのです。
人生には、たくさんの差があります。
仕事の差、人脈の差、収入の差。
人生は、いろいろなところで差がつきます。
小さな差の積み重ねによって「あの人はこんな人だね」と思われたり、評価されたりします。
忘れていることが、1つあります。
死の瞬間です。
死の瞬間もまた、人生に差をつける点の1つです。
死に際の差は、人それぞれです。
もがきながら死ぬ人もいれば、安らかに死ぬ人もいます。
後悔しながら死ぬ人もいれば、満足しながら死ぬ人もいます。
「どうせ死ぬのだから、死に方なんてどうでもいいだろう」と思いますが、違います。
死に際は、一瞬です。
一瞬ですが、死をみとった人たちの心には、長く深く残ります。
パートナーや子どもたちは、一生覚えているでしょう。
死に方によって、その人の人生全体の印象が決まります。
最後の最後で決まる、人生の差なのです。
あなたは、どう人生を終えたいですか。
もがきながらより、安らかに死を迎えましょう。
後悔しながらより、満足しながら死を迎えましょう。
醜く人生を終えるより、美しく人生を終えましょう。
そのために、今できることは何でしょうか。
まだ時間があります。
やり残していることがあれば、今、挑戦しましょう。
心残りがあるなら、今がチャンスです。
安らかに、満足しながら迎える死が、いちばんです。
人生の最後を美しく飾ることができれば、人生全体も美しくなります。
死に際が美しい人の人生は、美しいのです。
いずれ、亡くなった父に会えます。
いずれ、亡くなった母に会えます。
そればかりではありません。
亡くなった恩師や友人にも、会えます。
亡くなったペットにも、会えます。
時期はわかりませんが「いずれ」です。
死ぬのは、消えることではありません。
別の世界に旅立つだけです。
姿を変えて、違うところに移動するだけです。
ちょっとした引っ越しです。
死ぬのは、怖いことではありません。
ほっと安心できることです。
苦しみを、もう味わうこともありません。
生きる困難、老いる恐怖、病の苦しみ、死の恐怖とは、お別れです。
現世で感じていたあらゆる苦しみがなくなり、軽やかな気分になれます。
死ぬとは、亡くなった人と、久しぶりに会えることです。
亡くなった人は、向こうの世界で、あくびをしながら待ちくたびれていることでしょう。
久しぶりに会ったときの話題を、今から考えておきましょう。
自分のところにも、いずれお迎えが来ますが、まだ少し時間があるようです。
お迎えの時期は考えません。
適切な時期に、お迎えが自然とやってきます。
与えられた時間は、楽しませてもらいましょう。
趣味を楽しみ、最後の最後まで、人生を存分に楽しみます。
「すごく遊んだぞ。楽しかったな」
遊ぶだけ遊んで、遊び疲れたとき、すっとお迎えがやってくるのです。