「勉強をしている」と言っているうちは、まだまだです。
「勉強は特別なこと」だと、まだ思っているからです。
特別なことではなくて、当たり前にします。
生活の一部にします。
本当に英語に詳しい人は「英語を勉強しています」とは言いません。
「英語を勉強している」ということは「英語をまだ知らない」と言い換えられています。
英語に本当に詳しくなれば「英語を勉強している」という発言はしなくなります。
日本語をなめらかに話すあなたが「日本語を勉強しています」とは言わないはずです。
「日本語をどこで勉強したのか」と聞いても「いつの間にか話せるようになった」と思うでしょう。
しかし、実は毎日欠かさず日本語を勉強しています。
「いつの間にか」と思う時点で、日本語の勉強が日常になり、特別なことだという感覚がなくなっています。
毎日、日本語を読んだり書いたり話したり聞いたりなど、日本語のシャワーを浴びています。
日本語に触れることが生活の一部であり、驚くことでも何でもないからです。
それがもはや当たり前になり、勉強という感覚が感じられません。
「勉強」という単語さえ使うのが恥ずかしくなります。
そのくらいに勉強を、当たり前の習慣にしましょう。
本当に勉強している人は、勉強していますとは言いません。
完全に習慣になり、生活の一部になっています。
そのくらい当たり前になることです。