学ぼうという気持ちのある人が本を読めば、本は宝のように感じます。
自分のためになることがたくさん書かれていて、本が読めるだけでも幸せだと感じます。
目的以外の文章でも、勉強したいという前向きな気持ちがあれば、わずかな文章の中から大きな価値を見いだせます。
初めから知識を目的というのが前提ですから、価値を引き出す力が強いです。
しかし、勉強する気のない人が価値のある本を読んでも「字が並んでいる紙」にしか見えません。
学ぼうという気がないと、ためになる良書も、面白くない愚書になります。
キーポイントは、あなたに「学ぼう」という気持ちがあるかどうかです。
「実りのない無駄な毎日だ」
「つまらない人生だ」
そういう日々を送っていませんか。
実りのない日は、1日たりともありません。
つまらない日もありません。
そう感じるのは、学ぼうとする気がないからです。
先の例と同じように、学ぼうとする気持ちがなければ、素晴らしい日々もつまらない日々になります。
そもそも、学ぼうという気がまったくないからです。
しかし、学ぼうという気持ちがあれば、平々凡々な日々の中からためになる価値を見いだせます。
意味を求めて出来事を探すのではなく、起こった出来事から意味を探せばいい。
「人とすれ違う」
こんなありふれた瞬間も、学ぼうとする姿勢があれば「なるほど。この人のファッションセンスは鋭い」という学びに変わります。
「大笑いする」
こんな当たり前の日常も、笑いのセンスを学ぶ瞬間になります。
「いい毎日」「悪い毎日」があるのではありません。
あなたに、学ぼうとする気持ちがあるかどうかです。
その気持ちがあれば、あらゆる瞬間は授業になるのです。