恥ずかしいことだと感じるのは、自分にまだ足りない点があるからです。
対応の仕方や心の整理がつかず、あたふたして、照れくさい気持ちになります。
理想は、恥ずかしいことが1つもない状態です。
いわば、何でもできる状態です。
何でも知っているし、何でもできるし、強い精神力がある証拠です。
しかし、無理です。
神様しかいません。
どんなに勉強したり経験を積んだりしても、人間、完璧にはなれません。
ただし、完璧にはなれませんが、恥ずかしい経験を少なくすることならできます。
恥ずかしいことがあるのは、恥ずかしいことではありません。
恥ずかしい経験を、1つでも、減らしていくことが大切です。
恥ずかしいことに立ち向かうことで、貴重な学びや精神力が得られます。
人として成長できます。
恥ずかしいことがあるのはいいのです。
問題なのは、恥ずかしいことを避けることです。
人間、恥ずかしいことから避けるようになったら、終わりです。
完全に試合放棄です。
成長うんぬんという話ではありません。
成長しようとする機会を捨てるようになれば、もはや成長はありません。
学びがなくなれば、成長どころか、下降線のみです。
心に張りがなくなり、だらだらするのです。
恥ずかしいことがある状態を、人間として恥だと思う人がいます。
まったく恥ではありません。
「そこに貴重な学びがありますよ」という、天の声です。
誰にでも恥ずかしいことはあります。
恥ずかしいことがあるのは、まだ成長できる余地がある証拠です。
その気持ちと行動ができるかぎり、死ぬまで成長できるのです。