世の中に存在する人は、すべて先生です。
自分にとってどうでもいいと言う人は、自分のこともどうでもいいということです。
私は、小さな子どもと話すことが好きです。
子どもは何でも感動します。
子どもは「うんこ」で10分は笑います。
それは自分より受ける刺激が大きいからです。
子どもだからと、なめてはいけません。
50歳の大人の学習量と5歳の子どもの学習量とでは、子どものほうが圧倒しています。
受ける刺激の皿が大きいからです。
大人はこの受け皿が小さい。
常識があるからです。
受け皿を小さくさせているのは、常識という固い考えです。
「そんなの常識だろ」と怒鳴り散らす人がいますが、常識なんて何なのでしょうか。
「当たり前のことに決まっているだろ」と言うでしょうが、当たり前とかいうのはどこで習ったことでしょうか。
学校です。
私たちは学校でみんなと同じになるように強制されました。
みんなと同じようにできない人は「落ちこぼれ」と呼ばれます。
学校は、みんな1つの答えを出せるようになるための強制の現場なのです。
「教育」という字は「教え育む」と書きますが、私たちは教えこまれています。
全然育まれていません。
答えは1つではなく、無限にあるということに早く気づきましょう。
答えは無限にあるという人は、頭が柔らかい人です。
子どもは、みんな天才であることにも気づきましょう。
せっかくの天才を学校が凡才にしてしまうのは本当にもったいないことです。
子どもほど可能性を持った人はいないのです。