「何を断り、何を受け入れればいいのか」
こうした悩みを持っている人ほど、本当のところ自分は何がしたいのかがわかっていません。
何のために何をすればいいのかがわかっていないから「何を断り、何を受け入れればいいのか」で苦しんでしまいます。
私が学生だったころ、特に就職を考える20歳前後のころは、いつも悩んでばかりいました。
今でこそ、このようにやりたいことが見つけられていますが、ここに至るまでにはいろいろとありました。
英語に手をつけたり、パソコンに手をつけたり、韓国語に手をつけたり、中国語に手をつけたりしていました。
読書にしても、いろいろな分野の本を読みあさっては、次の分野へ手をつけていました。
結局何をしていいのかわからなかっただけです。
目的がなかったから、ただやみくもに手をつけていただけなのでした。
もがいていたのです。
「これをすれば何かが変わるかも」
「これが自分に合っているかもしれない」
そういう小さな希望を元に、次から次へと試しては諦め、試しては諦め、いろいろなことに手をつけていました。
迷子になっていたから、手当たり次第の道に進み、無駄なエネルギーをたくさん使っていたわけです。
しかし、そうして、いろいろなことを手当たり次第に試していくと、なかには「自分の肌に合っているな」ということに出会います。
それが今の本当の私を見つける手がかりとなりました。
たくさんの三日坊主を繰り返し、ようやく宝物を見つけたのでした。
断ることは三日坊主を実行するときに必要です。
「やってみた。でも合わないことがわかったから断る」
これを何度も何度も繰り返して、だんだんわかり、本当の自分へと近づいていきます。
頭の中で想像するだけではわからず、実際に肌身を通して経験して初めて「わかり」ます。
受け入れては断り、受け入れては断りを何度も繰り返していくことは、自分を見つけるためにはなくてはならない方法です。
痛みの小さな若いうちに、こうした「無駄なもがき」をしておいて、今はよかったなと思っています。
社会人になると、もう親の援助には頼れません。
仕事だけで、1日の大半が過ぎていきます。
お金も時間もなく、もう自分探しどころではなくなります。
断ることは、若いうちにたくさんこなしておかなければなりません。
若いうちのほうが小さな痛みで済み、自分には何が強いのか弱いのか、得意なのか不得意なのかが、少しずつわかっていくのです。
断ることから逃げるのではなく、積極的に行動しては断るという繰り返しによって、だんだん本来の自分に近づいてゆくのです。
むしろ断り上手になっておかないといけないのです。