アメリカの漫画『ポパイ』の主人公ポパイは、パワーアップフードがあります。
大好物のホウレンソウです。
ポパイはピンチになると、缶詰のホウレンソウを食べます。
手段と目的があります。
手段は、目的を達成するための具体的な方法です。
手段が正しければ、やればやるほど目的に近づけ、いずれ達成となります。
「お金のためなら何でもする」と言う人がいます。
たしかにお金は大切です。
お金がないと生きてはいけません。
休憩を入れながら勉強する人がいます。
一方、休憩を挟まず、だらだら勉強する人がいます。
結果を出せるのはどちらでしょうか。
有名人に会ったことを嬉しそうに話す人がいます。
「この前、有名人の○○と会ってきた! 握手してきた! ツーショットの写真も撮った!」
本人はご満悦の様子です。
日常生活では、気づきが得られることがあります。
海外旅行をして、文化の違いに気づかされることがあります。
子どもと話していると、子どもの視点に気づかされることがあります。
サプライズがあったとき、無反応を貫く人がいます。
家族や友人が企画して、何日も前からサプライズを準備します。
面白いプレゼントだったり、意表を突いたパーティーだったりです。
試験に向けた勉強は、時間との勝負です。
限られた時間で、いかに結果を出せるかです。
ここで大切なのは「隙間時間の活用」です。
ゲームに負けそうになってから「やり直そう」と言う人がいます。
終了直前にぐだぐだ言い始めます。
決着がつく前にリセットボタンを押そうとします。
「○○はいちばん」という表現があります。
ときどき聞かれる表現ですが、使い方に気をつけましょう。
使い方を誤ると、思わぬ誤解を招くことがあります。
近道のはずが近道ではなかったときがあります。
行き止まりで引き返すことになりました。
思っていたのと違っていて、遠回りをすることになりました。
ポップコーンの入れ物の底を見てください。
はじけていないトウモロコシが少し残っています。
ポップコーンになれなかった、トウモロコシです。
「話し上手だね」と言われたら、どう感じるでしょうか。
「話し上手」という言葉は、ポジティブな意味として受け止められるのが一般的です。
たしかに世の中には話し上手な人がいます。
嘘泣きをする人がいます。
嘘泣きといえば、子どものすることと思われがちですが、大人でもする人がいます。
嘘泣きをする人には、必ず狙いがあります。
「名前を間違えられた!」
「名前を間違えるなんてあり得ない。なんて失礼なのだろう!」
「ふりがなを付けているのに見ていないのかな?」
美容院でカットをお願いしたとき、イメージと違う髪型にされることがあります。
初めて行く美容院や、初めての美容師さんに担当してもらったときにありがちです。
違うところをカットされたり、思った以上に短くカットされたり、重めのボブでお願いしたのにおかっぱみたいにされたり。
「ばかだなあ」「頭、悪いなあ」と言う人がいます。
恥ずかしいミスした人を見て「ばかだなあ」とつぶやきます。
簡単な問題に間違えた人を見て「頭、悪いなあ」とつぶやきます。
美術館内で鑑賞していると、マナーの悪い人を見かけることがあります。
作品に触れている人、大きな声で会話しながら鑑賞する人、休憩スペース以外のところで飲食をしている人。
マナーの悪い人がいると、なかなか鑑賞に集中できません。
オリンピックのプロスポーツ選手は、強い精神力を持った人ばかりです。
気合、集中力、忍耐力などがあります。
負けん気が強く、我慢強くて、積極的な姿勢があります。
「○○の映画を見ました」と話すと、相手から「どんな映画だった?」と聞かれます。
このとき「つまらなかった」と答える人がいます。
正直な感想なのかもしれませんが、ここは言葉に注意したいところです。
私たちは、けんかの原因を大げさに捉えているところがあります。
もちろん重大なこともありますが、それはごく一部にすぎません。
実際のところ私たちのけんかの原因は、ささいなことがほとんどです。
日本人だからといって、日本の魅力に詳しいとは限りません。
日本人なら日本の魅力に詳しいと思われがちですが、そうとは言い切れないところがあります。
意外なことに、日本人より外国人のほうが、日本の魅力に詳しいことが多いのです。
お盆や年末年始の時期になると、多くの人が実家に帰省するか迷います。
「帰省する」と言うのは簡単ですが、実際に行動に移すとなるとなかなか大変です。
帰省にはお金がかかります。
ときどききれいな字を書く人を見かけることはありませんか。
お店で領収書をお願いすると、きれいな字で書いてくれる人がいます。
書類に必要事項の記入をお願いすると、驚くほどきれいな字の人がいます。
赤ちゃんの歩行は、ハイハイから始まります。
最初は立って歩けないので、四つん這いになってよちよち歩きます。
四つん這いなのに、つまずいて転ぶことも少なくありません。
上司から「ちょっといいかな」と呼ばれたとき、メモ帳を持参しない人がいます。
たしかに軽い呼ばれ方です。
数分で終わる話なのだろうと思われます。
「何もない」と言う人がいます。
「田舎には何もない」
「○○市には何もない」
人生では、誘惑に惑わされることがあります。
特に都会では、誘惑が至る所にたくさんあって大変です。
誘惑は、悪魔のささやきです。
真夏日に犬を散歩させないことです。
お天気がいいと犬との散歩日和に思うかもしれませんが、実際は逆です。
地面が熱すぎるのです。
誰も見ていないからといって、トイレの後、手を洗わない人がいます。
人が見ているときはきちんと手を洗うのですが、誰も見ていないときは手を洗わないのです。
手洗いを面倒くさがる人によく見られます。
アメリカの漫画『ポパイ』の主人公ポパイは、パワーアップフードがあります。
大好物のホウレンソウです。
ポパイはピンチになると、缶詰のホウレンソウを食べます。
すると、瞬く間にパワーアップします。
筋肉がむきむきになって力持ちになります。
速く走れるようになったり、高くジャンプできるようになったりするのです。
ポパイは恋人のオリーブを巡り、いつも宿敵ブルートとトラブルを起こします。
オリーブがブルートに捕まり「ポパイ、助けて!」と叫ぶと、ポパイはホウレンソウを食べてパワーアップするのが定番です。
高い塀を乗り越え、分厚い壁を打ち砕き、次から次へと敵を粉砕します。
そして、ブルートから見事オリーブを救い出すのです。
漫画の話だからといって侮れません。
ポパイの話は、私たちに大切なことを教えてくれます。
私たちも、ポパイのように、パワーアップフードを決めておきましょう。
あなたのパワーアップフードは何ですか。
パワーアップフードは、元気の源、活力の源です。
心も体も元気にさせてくれる、素晴らしい食べ物です。
ピンチのときに食べるものを決めておきましょう。
ポパイにとってホウレンソウがそうであったように、あなたもパワーアップフードを決めておくのです。
大好物や栄養満点の食べ物など、パワーアップできるものなら何でもかまいません。
ピンチのときにパワーアップフードを食べれば、一瞬で復活できます。
みるみるうちに力がみなぎってきて、心も体も元気になります。
120%を発揮でき、見事ピンチを切り抜けられるでしょう。
ピンチのときに食べるものが決まっていれば、物事がスムーズに運ぶのです。
手段と目的があります。
手段は、目的を達成するための具体的な方法です。
手段が正しければ、やればやるほど目的に近づけ、いずれ達成となります。
ところが、目的達成のための手段が、いつの間にか目的からずれていることがあります。
目的からずれたらすぐ気づきそうですが、そうとも限りません。
手段にこだわっていると近視眼的になり、目的からずれていても気づけないことがあります。
家族の幸せを願って、郊外に家を買います。
ところが多額のローン返済と長時間の通勤が必要になりました。
家族との時間が減って家庭崩壊につながっては、本末転倒です。
貯蓄を増やすために、節約を心がけます。
安いからといって、財布のひもが緩むと、余計なものを買いすぎてしまうことがあります。
かえって出費が増えてしまえば、安物買いの銭失いとなります。
美容と健康のために、きちんと毎日お風呂に入ります。
入浴は必須だと信じて、どんなに夜遅くても必ず湯船に浸かります。
一見良さそうに思えますが、睡眠時間を削ってまで入浴にこだわるのは、美容にも健康にも悪影響といえます。
自由を手に入れるため、仕事を頑張ってお金を稼ぎます。
お金はたくさん稼げても、毎日多忙の極みで遊ぶ暇がなくなっては意味がありません。
体を壊してしまい、多額の治療費がかかれば、貯金はすぐ底をつきます。
勉強のリフレッシュをしたくてゲームをやります。
ところがゲームにのめりこんでしまい、勉強に手が着けられなってしまっては本末転倒です。
成績の低下だけでなく、視力の低下を招くことも少なくありません。
モテるために痩せようとします。
ダイエットを頑張りすぎると、痩せすぎたり表情が悪くなったりします。
悲壮感が漂うことになれば、かえって魅力を失うことになり、モテなくなってしまうのです。
手段と目的の不一致はまだまだたくさんあり、数を上げれば切りがありません。
自分のやっていることに対して、手段と目的がきちんと一致しているか振り返ってみましょう。
頑張っているのにうまくいかないという悩みは、手段と目的の不一致が原因というケースが少なくありません。
手段と目的がずれていると、いくら頑張っても空回りになります。
時間・労力・お金を消耗するだけになる。
目的に近づくどころか、逆に遠ざかることも少なくなくありません。
手段と目的がずれているなら、早めに軌道修正しましょう。
最初は手段と目的が一致していても、知らず知らずのうちにずれていくこともあるので、定期的なチェックが欠かせません。
手段と目的が一致してこそ、夢や成功に近づけるのです。
「お金のためなら何でもする」と言う人がいます。
たしかにお金は大切です。
お金がないと生きてはいけません。
お金は自由を獲得するためのツールです。
お金があればあるほど、できることが増えます。
お金のためなら何でもするという人は、一見すると働く意欲が強く、大きな野心を持っている印象を受けるでしょう。
しかし、お金のために何でもするという考え方には、危険な落とし穴が潜んでいます。
お金のためなら何でもするということは、犯罪に手を染める可能性があるということです。
ハイリターンには、ハイリスクがつきものです。
詐欺、違法な仕事、グレーゾーンの仕事。
強盗や窃盗を行う選択肢もゼロではないことになります。
お金のためなら何でもするという人は、お金第一主義になります。
法律順守の意識が希薄になり、楽に大金を稼ぐ方法を選ぶ傾向があります。
これほど危険なことはありません。
犯罪で警察に捕まっている人たちを見てください。
「お金のためなら何でもする」という人たちばかりです。
たしかにお金を稼ぐことは大切ですが、規則や法律など、最低限守らなければいけないことがあるのも事実です。
いくらお金を稼ぐためとはいえ、犯罪者になってしまってはいけません。
お金がなくて、ぎりぎりの生活を送っている人もいるでしょう。
経済的に余裕がないときは、冷静な思考が失われ「お金のためなら何でもする」という考えになりがちです。
本当にお金がなくて困っているなら、生活保護を申請するほうが正しい選択です。
生活保護であれば、医療費も無料になります。
どれだけお金に余裕がなくても、犯罪に手を染めてはいけないのです。
休憩を入れながら勉強する人がいます。
一方、休憩を挟まず、だらだら勉強する人がいます。
結果を出せるのはどちらでしょうか。
一般的には「休憩を入れながら勉強する」が正解に思われます。
ところが、現実を見ると、そうとは限りません。
結論から言うと「人による」です。
一般的には休憩を入れながら勉強するほうが効率的とされています。
疲れて集中力が落ちると、スピードが落ちて、だらだらしてしまいます。
ぼうっとしている時間が増えてしまい、勉強効率が悪くなります。
こういうときは、いったん休憩を入れたほうが心身のリフレッシュとなり、効率良く勉強できるのです。
こまめに休憩を入れながら勉強するタイプがいます。
ところが世の中には、休憩が不都合という人も少なからずいます。
いったん休憩を挟むとスイッチが切れてしまい、なかなか勉強を再開できない人もいます。
重い腰を上げるのは大変です。
エンジンをかけるのに時間がかかり、これはこれで時間のロスになります。
そんなときは、休憩を挟まないで勉強するほうが向いています。
「だらだらしていても、長時間で量を稼ぐ」ということです。
集中力が切れているため、カメのようにのろのろになりますが、長時間によって、最終的に結果を出せることがあります。
難関大学の合格体験記を読んでいると、必ず2つのパターンが登場します。
休憩を入れながら集中的な勉強で合格する人もいれば、休憩を挟まずだらだらしながら長時間の勉強で合格する人もいます。
「結局どちらがいいの?」と困惑しますが、人によってはどちらもOKなのです。
どちらのパターンでも結果を出している人がいるので、どちらも正解といえます。
大切なことは「自分のタイプを見極める」ということです。
どちらのパターンが良いのかは、人それぞれです。
休憩を入れないで、だらだら勉強するのが悪いとは限りません。
こまめに休憩を入れて勉強するより、休憩を入れないでだらだら勉強するほうが、性に合っている人もいるのです。
有名人に会ったことを嬉しそうに話す人がいます。
「この前、有名人の○○と会ってきた! 握手してきた! ツーショットの写真も撮った!」
本人はご満悦の様子です。
喜々とした表情を浮かべながら「すごいだろ」と言わんばかりで話す人がいるものです。
もちろんちょっとしたネタで話すくらいならいいのです。
有名人に会った経験は貴重です。
偶然有名人に会う機会があり、握手したりサインをもらったりすることがあるでしょう。
憧れの人であれば、舞い上がるのも当然です。
有名人に会った話は人の関心を引きつけるネタになるので、これはこれで面白くて、聞いているほうも楽しめます。
日常ネタの1つとして「こんなことがあったよ」と話す程度なら、普通に盛り上がるはずです。
しかし「自分を大きく見せるため」という目的で話しているなら、要注意です。
自分を大きく見せるために有名人と会った話をする人がいます。
上から目線で話していたり、有名人と握手している写真を次々見せてきたり、今まで会った有名人の数を自慢げに語っていたり。
こういう人は、聞かれてもいないのにずけずけ話すのが特徴です。
有名人に会った話は、あまりしつこくなると、空回りになります。
最初は関心を持って聞いてくれるかもしれませんが、あまりしつこいと「だから何?」とげんなりされるでしょう。
有名人に会ったことを自慢すればするほど「虎の威を借る狐」のように見られます。
話せば話すほど本人が小粒に見えてしまい、鼻で笑われるのがオチになるのです。
有名人に会ったからといって、自分がすごくなったわけでも偉くなったわけでもありません。
連絡先を交換したり一緒に出かけたりしたなら別ですが、会うこと自体は何でもありません。
会っただけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
有名人は日頃からいろいろな一般人と会っていて、自分もその大多数の1人になっただけです。
自分を大きく見せるために有名人に会った話をしているなら、やめておくのがいいでしょう。
ちょっとしたネタで話す程度にしておくのが賢明なのです。
日常生活では、気づきが得られることがあります。
海外旅行をして、文化の違いに気づかされることがあります。
子どもと話していると、子どもの視点に気づかされることがあります。
戦争を体験した人から戦争の話を聞いて、命の重さに気づかされることがあります。
気づきは、学びと比べて、軽く扱われがちです。
「気づいた。だから何?」と思われて終わりとなることが多い。
しかし、気づきを軽く考えないことです。
気づきを軽く考えているなら、それは大きな誤解です。
気づきも、れっきとした勉強の1つです。
たしかに新しい知識や知恵を得たわけではありません。
今まで解けなかった計算問題が解けるようになったわけでもありません。
気づいただけのことであり、それ以上でもそれ以下でもないように思われます。
それでも、しっかり勉強できているのです。
気づいただけのことに思うかもしれませんが、そうではありません。
自分の中では「変化」が起こっています。
気づきが得られると、考え方や価値観が変化します。
新しい考え方ができるようになったり、物事の捉え方が変わったり、今までとは違った視点で見られるようになったりします。
人生では気づきが大切です。
学校の勉強は暗記が中心ですが、社会の勉強では気づきが中心です。
1つの気づきによって、人生が一変することもあります。
がらっと180度変わることも珍しくありません。
大きな気づきだけではありません。
小さな気づきも大切にしましょう。
小さな気づきも、積み重ねていくと、大きな変化になり、そして自己改革につながります。
気づきによって行動が変われば、人生も変わるのです。
気づきも勉強の1つとしてカウントしてください。
十分勉強に値します。
小さなことかもしれませんが、必ず自分の成長につながっています。
小さな気づきを大切にする人は、どんどん成長できます。
読書でも日常でも、何か1つでも気づきが得られたら「良い勉強ができた」と考えましょう。
サプライズがあったとき、無反応を貫く人がいます。
家族や友人が企画して、何日も前からサプライズを準備します。
面白いプレゼントだったり、意表を突いたパーティーだったりです。
本番当日、みんなでタイミングを合わせて、いざサプライズの演出です。
ところが本人に、これといった反応はありません。
平然としています。
サプライズが平凡だからではありません。
サプライズに動じない自分を見せようとしているのです。
「驚いたら負け」という変な意地を張っています。
「うすうす気づいていた」「あるだろうと思っていた」「別にたいしたことない」と思っています。
これほどつまらないことはありません。
手間暇かけて準備した努力が報われないのです。
たしかにサプライズは、事前に気づくことがあります。
誕生日前にこそこそしている人が「おや?!」と思います。
普段と違った様子が少しでもあると、鋭い人や勘のいい人であれば「サプライズがあるかもしれない」とぴんとくるでしょう。
サプライズを企画する人は、驚いた表情を見たがっているのです。
本人に喜んでほしくて、わざわざ手間暇をかけてサプライズの準備をしています。
無反応・無表情ほどつまらないものはありません。
せっかくサプライズをしても、反応が薄いと白けます。
企画した人たちは「ハズレだったかな」と不安になるのです。
毎回初めてであるかのように驚きましょう。
たとえサプライズが毎年の恒例行事になっていたとしても、やはり驚く顔を見せたい。
演技でもいいのです。
実際は驚いていなくても、驚いている様子を見せるほうが盛り上がります。
ありきたりなサプライズやインパクトの弱いサプライズもあるかもしれません。
そうだとしても、素直に驚くのがいい。
素直に驚くほうが好印象です。
サプライズをした人も「手間暇かけて準備したかいがあった!」と喜びます。
サプライズをしてもらえるのはありがたいことです。
それだけ期待されている証拠です。
サプライズがあったとき、素直に驚く人が愛されるのです。
試験に向けた勉強は、時間との勝負です。
限られた時間で、いかに結果を出せるかです。
ここで大切なのは「隙間時間の活用」です。
しっかり勉強したいなら、隙間時間の活用が欠かせません。
勉強で結果を出す人は、必ず隙間時間を活用しています。
普通の隙間時間ではありません。
「そこまでするか」というくらい徹底的に活用しているのが特徴です。
隙間時間といえば、バスや電車の待ち時間・移動時間などが挙げられます。
5分や10分の隙間時間があります。
まとまった時間ではありませんが、5分なら5分なりに、10分なら10分なりに、できることがあります。
しかし、隙間時間はまだまだたくさんあります。
分単位の隙間時間で満足してはいけません。
少しでも勉強したいなら、秒単位の隙間時間にも目を向け、きちんと生かしていきましょう。
ファストフード店で注文したときにも、隙間時間があります。
注文してすぐ料理が出てきます。
早いときは1分もしないうちに提供されることもありますが、そんな短い待ち時間でもできることがあります。
教科書や参考書の1ページや2ページくらいなら読み進められるでしょう。
トイレに入っているときにも、隙間時間があります。
用を足すのはせいぜい数十秒ですが、これもれっきとした隙間時間です。
トイレの壁に英単語が書かれた紙を貼っておけば、単語の勉強になります。
数十秒あれば、単語をいくつかチェックできるでしょう。
レストランのドリンクバーにも隙間時間があります。
ホットコーヒーのボタンを押すと、マシンが動き始め、コーヒーの抽出が始まります。
ホットコーヒーが出来上がるまでの数十秒を利用することです。
一問一答のようなシンプルな問題なら、1問2問くらいはチェックできるでしょう。
1分未満も、れっきとした隙間時間です。
30秒なら、30秒なりにできることがあります。
10秒でも、10秒なりにできる勉強があります。
計算が必要な問題には向きませんが、読み物や暗記系の勉強なら可能です。
こうした隙間時間を活用すれば、勉強ははかどります。
一瞬の隙間時間だからこそ、集中力を発揮できることもある。
「塵も積もれば山となる」という言葉があるように、秒単位のような小さな隙間時間も積み上がると、山のように大きくなるのです。
「なにもそこまでしなくても」と思うかもしれません。
やりすぎに思われるかもしれませんが、試験や受験のように、限られた時間で結果を出すためには徹底する必要があります。
人生を左右する試験であればなおさらです。
私たちの身の回りには、小さな隙間時間が点在しています。
しかもあちこち無数に点在しています。
分単位の隙間時間はもちろん、秒単位の隙間時間も活用しましょう。
ゲームに負けそうになってから「やり直そう」と言う人がいます。
終了直前にぐだぐだ言い始めます。
決着がつく前にリセットボタンを押そうとします。
それはNGです。
負けるのが嫌とはいえ、やり直しをお願いするのはルール違反です。
腹黒な負けず嫌いさんが、ときどきいるものです。
負けそうなときはどうするか。
いざ逆転勝ちを狙いましょう!
まだ勝負が決まったわけではありません。
ゲームは続いているのですから、逆転を狙うことです。
野球では9回裏で逆転することがあるように、ゲームでも、終了間際に逆転することがあります。
可能性は低いかもしれませんが、ゼロではありません。
0%なら「あり得ない」ですが、1%なら「あり得る」です。
逆転勝ちができれば、普通に勝つより嬉しくて、特別な感動が味わえます。
負けそうなときは、逆転勝ちを狙うチャンスだけでなく、特別な感動ができるチャンスでもあります。
なにより諦めない力を鍛えるチャンスでもあります。
ゲームに負けそうになったとき「やり直そう」と言う人ではなく「ここから本番!」と言う人になりましょう。
奇跡の神様は、終了直前にやってくるのです。
「○○はいちばん」という表現があります。
ときどき聞かれる表現ですが、使い方に気をつけましょう。
使い方を誤ると、思わぬ誤解を招くことがあります。
それは「優劣をつけることがある」ということです。
称賛のつもりが、誤解を招いて悪口になることがあるのです。
たとえば、次のような表現を聞いたとき、どう感じるでしょうか。
「ミカンは和歌山がいちばん」
「ギョーザは浜松がいちばん」
「お好み焼きは広島がいちばん」
本人は普通に感想を述べたつもりかもしれません。
「とても良い」「本当に素晴らしい」という意味で「いちばん」という言葉を使うこともあります。
しかし、これは誤解を招きやすい発言です。
本当にいちばんかどうかはわかりません。
ミカンは、和歌山だけでなく、愛媛も有名です。
「ミカンは和歌山がいちばん」と言ってしまうと、愛媛の人はいい顔をしないでしょう。
ギョーザは、浜松だけでなく、宇都宮も有名です。
「ギョーザは浜松がいちばん」と言ってしまうと、宇都宮の人は「そうとは限らない」とツッコミたくなるでしょう。
お好み焼きは、広島風もあれば、大阪風もあります。
「お好み焼きは広島がいちばん」と言ってしまうと、大阪の人は心証を害するかもしれません。
何気なく口にした一言が、思わぬ誤解を招くことがあります。
知らず知らずのうちに「比較」を生み出します。
称賛のつもりで言った言葉が、かえって悪口になることがあるのです。
禁句ではありませんが、使い方には注意しましょう。
感想と言うときは「おいしい」「素晴らしい」「気に入りました」というシンプルな表現のほうが誤解がありません。
「○○はいちばん」という表現を使いたいなら「個人の感想」という一言を付け加えればOKです。
インターネットのような、不特定多数の人に触れる場面では特に注意したいところです。
近道のはずが近道ではなかったときがあります。
行き止まりで引き返すことになりました。
思っていたのと違っていて、遠回りをすることになりました。
時間を短縮するどころか、余計に時間がかかってしまいます。
近道のつもりが、逆に回り道になってしまうことがあるもの。
今まで通ったことがない道を通るときに起こりがちです。
ここで大切なことが2つあります。
1つ目は「初めての道にチャレンジができた」という事実です。
近道を見つけるには、初めての道を通る必要があります。
いつも同じ道を通ってばかりでは、近道を見つけることはできません。
近道ではありませんでしたが、少なくとも初めての道にチャレンジしたのは事実です。
チャレンジした自分を褒めましょう。
勇気を出しました。
チャレンジすることは大事なことです。
2つ目は「遠回りを楽しむ」ということです。
いらいらしません。
近道でなかったのなら、思考を切り替え、楽しんでしまいましょう。
「たまには遠回りをしてみるのもいいね」と思えばいいのです。
遠回りになったからといって、人生が終わるわけではありません。
大したことではないのですから、いらいらいするより楽しむほうがいい。
近道のつもりが遠回りになるのも、それはそれで楽しいものです。
初めての道には、初めての景色が広がっています。
初めて歩く道があったり、おしゃれなお店と出会えたり、すてきな公園を見つけたりします。
「こういう道なのか」「おしゃれなお店を発見」「ここに公園があるね」と、探検気分でわくわく楽しめばいいのです。
たくさん歩くと、それだけ良い運動にもなります。
いろいろな景色を楽しめるうえ、良い運動にもなるので、一石二鳥です。
遠回りをすることになったらなったで、楽しんだほうが幸せです。
チャレンジに失敗しても、楽しめれば、OKなのです。
ポップコーンの入れ物の底を見てください。
はじけていないトウモロコシが少し残っています。
ポップコーンになれなかった、トウモロコシです。
ほとんどの人は見向きもしません。
残りかすのように不要なものとして見ていることが多いものです。
そのまま捨ててしまうのもいいですが、良かったら、ぜひ食べてみてください。
「食べられるの?」と思いますが、もちろんです。
はじけていないだけであって、トウモロコシに変わりはありません。
かりかりした歯ごたえがあって、これはこれでおいしい。
これぞまさに「特別な食感」です。
小粒でかわいくて、きちんと塩味も効いています。
トウモロコシですから、体をつくるのに大切なタンパク質や、整腸作用のある食物繊維も含まれています。
入れ物の底は、多くの人がスルーしているポイントです。
はじけていないトウモロコシも、ポップコーンの醍醐味なのです。
「話し上手だね」と言われたら、どう感じるでしょうか。
「話し上手」という言葉は、ポジティブな意味として受け止められるのが一般的です。
たしかに世の中には話し上手な人がいます。
話し上手な人は人を退屈させません。
いろいろなネタを持っていて、面白い話や抑揚のついた話し方で人を楽しませてくれます。
もともとおしゃべり好きな人は、日頃のコミュニケーションのおかげで、高いトークスキルを持ち合わせていることが多い。
話し上手な人がいると、場がぱっと明るくなるものです。
「話し上手だね」と言われたら「褒められた」と感じて、素直に喜ぶ人が多いのではないでしょうか。
そんな「話し上手だね」というセリフですが、素直に喜んでいいとは限らないケースもあります。
人から「話し上手だね」と言われたとき、別の意味が隠れている可能性に注意してください。
「話し上手だね」という言葉の裏には「聞き下手だね」と意味が隠れている可能性があるからです。
一方的に自分ばかりがぺらぺらしゃべっているとき「話し上手だね」と言われることがあります。
「話し上手だね」は「自分ばかりしゃべっているよ。もっと私の話も聞いてよ」という意味が込められている。
つまり「遠回しの優しい注意」です。
褒め言葉ではなく、実際は注意されている可能性があります。
自分ばかり一方的に話しているのは、コミュニケーションが上手とは言えません。
「話し上手だね」は、一般的に褒め言葉とされていますが、時と場合によって、そうでないケースがあることも知ってください。
鈍感な人は、裏の意味に気づかず、素直に喜んで終わりになりがちです。
「話し上手だね」と言われたら、自分ばかりぺらぺらしゃべっていないか振り返ってみてください。
一方的な話し方になっていないでしょうか。
マシンガントークになっていないでしょうか。
心当たりがあれば、もう少し「聞くこと」にも力を入れましょう。
嘘泣きをする人がいます。
嘘泣きといえば、子どものすることと思われがちですが、大人でもする人がいます。
嘘泣きをする人には、必ず狙いがあります。
注意を向けてもらったり、周囲の同情を引こうとしたりです。
つまり、かまったほしいのです。
嘘泣きの効果があるのは、最初だけです。
周りの人は心配して「どうしたの?」「大丈夫?」「何でも話を聞くよ」と優しく声をかけてくれます。
「元気出して」「無理しないでね」と励ましてくれたり、時には助けてくれたりします。
しかし、それが演技だとわかると、声をかけてくれた人は「えっ?!」と思います。
「なんだ、同情を引こうとしていただけだったんだね」となるのです。
何度も繰り返していくうちにだんだん見向きもされなくなります。
「今回も嘘泣きだろう」「どうせ演技だろう」と見抜かれます。
最終的には誰も相手をしてくれなくなるのです。
これが「信用を失う」ということです。
嘘泣きなんてしないことです。
嘘泣きで同情を誘えても、最初だけです。
嘘泣きで親友はつくれません。
親友どころか、普通の友人まで失います。
嘘泣きをすればするほど、人間関係が良くなるどころか、かえって悪くなります。
人間関係に深いひびを入れてしまいます。
安易に嘘泣きをしていると、誰もまともに相手をしてくれなくなります。
信用を大切にしたいなら、嘘泣きはしないことです。
嘘泣きが得意になったところで自分の首を絞めるだけです。
「嘘泣き上手」のレッテルを貼られると、後が大変です。
一度失ってしまった信用を取り戻すのは簡単なことではありません。
一度信用を失ったら、取り戻すのに、何倍もの時間・労力がかかるのです。
「名前を間違えられた!」
「名前を間違えるなんてあり得ない。なんて失礼なのだろう!」
「ふりがなを付けているのに見ていないのかな?」
名前を間違えられたことに腹を立てる人がいます。
たしかに名前を間違えられることは、気持ちのいいものではありません。
少し失礼な印象があります。
名前は誰にとっても特別なものであり、大事なアイデンティティーです。
名前を間違えられると、個人を尊重されていないように感じることもあるかもしれません。
微妙に名前を間違えられると、心に不満の雲が漂い、もやもやするところではあるでしょう。
しかし、名前を間違えられても、腹を立てないことです。
名前の間違えは、誰にでもあることだからです。
相手は悪気があって間違えたわけではありません。
不注意があっただけです。
記憶違いがあっただけです。
人間ですから、うっかりすることがあります。
ただそれだけのことです。
ふりがなが付けていても、名前を間違えられることはよくあります。
ふりがなは小さな字で書かれていることが多いので、見づらかったり見落としたりするのです。
あなたも今まで何度も、人の名前を間違えたことがあるのではないでしょうか。
うっかり人の名前を間違えてしまうことは、すべての人が必ず一度は経験することです。
だから腹を立てません。
名前を間違えられても、ここはひとつ、心を大にしたい。
「よくあること。自分もときどき人の名前を間違えることがある。人のことは言えない」と思えばいいのです。
名前を間違えられても、深く気にしません。
腹を立てず、にこにこしているのいちばんです。
そうすれば、コミュニケーションもスムーズに進みます。
名前の間違いが気になるなら、正しい情報を伝えればいいことです。
言い方には注意して、丁寧な口調で伝えましょう。
相手はすぐ修正に応じてくれます。
心を大きくしておくほうが、穏やかな気持ちでいられるのです。
美容院でカットをお願いしたとき、イメージと違う髪型にされることがあります。
初めて行く美容院や、初めての美容師さんに担当してもらったときにありがちです。
違うところをカットされたり、思った以上に短くカットされたり、重めのボブでお願いしたのにおかっぱみたいにされたり。
「違う、そうじゃない!」と叫びたくなることがあるものですね。
美容師さんにむっとすることもあるかもしれません。
「自分の言い方が悪かったのかな」と思い、自分を責めることもあるでしょう。
「こんな髪型では外を歩けない。職場に行けない」と落ち込むことがあるものですね。
しかし、こういうときこそ発想の転換です。
イメージと違う髪型にされたら、それはそれで楽しみましょう。
「イメージチェンジをした」と思えばいいのです。
自意識過剰になっているだけです。
自分では変な髪型に感じても、周りから見ると、意外と普通に見えるもの。
最初は違和感があっても、しばらくすると、だんだん普通に見えてくるでしょう。
しばらくすると「これはこれで悪くない。意外といいかも!」と思えてくるでしょう。
少なくともプロの美容師さんがカットしたのですから、下手ではないはずです。
思いのほか気に入って、その後のお気に入りの髪型になる可能性もあります。
「いつもと違う髪型」は、見方を変えれば「今までにない新しい髪型」と言えます。
人から「どうしたの?!」と驚かれたとしても「イメチェンしてみた!」で通せばいいのです。
意味は後付けでOK。
イメージと違う髪型にされたら、イメージチェンジを楽しむチャンスです。
イメージチェンジをしたことにすれば、心の折り合いがつきます。
新鮮な雰囲気を楽しめます。
新しい自分を発見するチャンスでもあります。
本当は恥ずかしくても、堂々と胸を張り、自信を見せましょう。
いらいらしたり落ち込んだりしません。
美容師さんも恨みません。
「ありがとうございます。新しい自分に出会えました」と感謝するくらいでちょうどいいのです。
これが発想の転換です。
普段と違った髪型にされたら、普段と違った髪型を楽しめばいいのです。
髪は二度と生えてこないわけではありません。
しばらくすればまた髪が伸びるのですから、くよくよする必要はなし。
イメージと違う髪型にされても、イメージチェンジをしたと思えば、明るい気持ちが広がるのです。
「ばかだなあ」「頭、悪いなあ」と言う人がいます。
恥ずかしいミスした人を見て「ばかだなあ」とつぶやきます。
簡単な問題に間違えた人を見て「頭、悪いなあ」とつぶやきます。
独り言のようにぼそっと言うのです。
心の声が口から出た状態です。
簡単な問題に答えられなかったり、誰でもできることができなかったりする人がいると、一言ツッコミを入れたくなる。
ときどき見受けられますが、ここには意外な悪影響が潜んでいます。
人に向かって言っていますが、実際は違います。
実際は自分に向かって言っているのです。
自分の口から発した言葉は、自分の耳で聞くことになります。
「ばかだなあ」と言うと、自分に向かって「ばかだなあ」と言うことになります。
「頭、悪いなあ」と言うと、自分に向かって「頭、悪いなあ」と言うことになります。
主語は関係ありません。
自分に言っているつもりはなくても、自分に言っている状態になっています。
自分の口から発した言葉は、すべて自分に跳ね返ってくるのです。
独り言でも要注意です。
「人に向かって言っている言葉だから大丈夫」ということはありません。
自分に関係ないどころか、自分に関係しています。
しかも相手の耳には届いておらず、自分の耳にだけ届いているのです。
これほど損な話はありません。
習慣になっている人は、ボディーブローのようにじわじわダメージが効いてきます。
知らず知らずのうちに自分にストレスを与えたり、元気ややる気が奪われたりします。
少しずつ潜在意識に刷り込まれ、心の健康にマイナスの影響を与えるのです。
ネガティブな言葉を口に出すのは気をつけましょう。
ぼそっと口にする一言とはいえ、心の健康に関係しています。
小声で言っているとしても、自分の耳で聞いていることに変わりはありません。
人に向けた言葉とはいえ、ネガティブな言葉を口に出すのは要注意なのです。
美術館内で鑑賞していると、マナーの悪い人を見かけることがあります。
作品に触れている人、大きな声で会話しながら鑑賞する人、休憩スペース以外のところで飲食をしている人。
マナーの悪い人がいると、なかなか鑑賞に集中できません。
無視しようにも気になってしまい、いらいらが止まりません。
「せっかくの鑑賞が妨げられるなあ」と困ることがあるのではないでしょうか。
自分が迷惑に感じているということは、他のお客さんも同じように迷惑を感じている可能性があると考えられます。
そんなとき、本人に注意したいと思うところですが、これは控えておくのが賢明です。
直接注意すると、トラブルに発展する可能性があります。
お客さん同士のトラブルは少なくありません。
相手を怒らせたり、大きなお世話だと逆ギレされたりです。
良かれと思ってやったことが、裏目に出ることがあるのものです。
では、どうするのが良いのか。
近くにいるスタッフに声をかけ、注意してもらいましょう。
美術館内のスタッフは迅速に対処してくれます。
スタッフから注意されると、お客さんも従わざるを得ません。
あっさり問題が解決します。
直接注意したいところですが、ぐっとこらえて、スタッフを通して注意してもらうのがベストです。
お互いにとって気持ちのいい鑑賞を実現できるのです。
この対処法は、美術館に限ったことではありません。
隣の部屋がうるさいときも、直接苦情を言うのではなく、大家さんや管理会社を通して注意してもらいましょう。
駅構内で迷惑行為をする人がいたときも、直接注意するのではなく、駅員さんを通して注意してもらいましょう。
店内でマナー違反のお客さんを見かけたときも、直接注意するのではなく、店員さんを通して注意してもらいましょう。
少々遠回しに感じるかもしれませんが、できるだけ穏便に済ませるよう方法を心がけたい。
アプローチのちょっとした違いで、トラブルに発展するか、穏便に解決するかが決まります。
オリンピックのプロスポーツ選手は、強い精神力を持った人ばかりです。
気合、集中力、忍耐力などがあります。
負けん気が強く、我慢強くて、積極的な姿勢があります。
もちろん生まれつき精神力が強いから、優秀になった人もいるでしょう。
しかし、すべての人がそうではありません。
オリンピック選手でも「もともとは弱気で引っ込み思案だった」という人が、多くいます。
「スポーツを通して精神力を鍛えた」と、誰もが同じことを言います。
どういうでしょうか。
実は、スポーツそのものが、精神力のトレーニングでもあるのです。
たとえば、筋トレを思い出してみましょう。
ダンベルを上げ下げするときは、心の中で「苦しい。もう少し頑張ろう」を繰り返します。
筋力を鍛えるのは、苦しみをこらえることでもあります。
筋トレをするたびに、苦しみをこらえる経験になります。
やる気を出したり、集中したり、我慢したりしなければなりません。
その結果、精神力も強くなるのです。
筋トレだけではありません。
日頃のトレーニングから本番まで、スポーツはすべて、精神力を鍛える連続です。
スポーツは、体を鍛えると同時に、精神力を鍛えることでもあるのです。
精神力を鍛えるなら、スポーツをしましょう。
激しいスポーツが難しければ、軽い運動でもかまいません。
ウォーキングでも、ジョギングでも、筋トレでも大丈夫です。
精神力は、スポーツを通すと、鍛えやすくなるのです。
「○○の映画を見ました」と話すと、相手から「どんな映画だった?」と聞かれます。
このとき「つまらなかった」と答える人がいます。
正直な感想なのかもしれませんが、ここは言葉に注意したいところです。
悪いところは言わなくていいのです。
良いところだけ言えばいいのです。
「つまらない」と言わないことが大切です。
どんな映画でも、良いところが必ず1つはあります。
話はありきたりでも、俳優の演技が良いということがあるでしょう。
「俳優の演技が素晴らしかった」「鬼気迫るような演技力だった」と答えればいいのです。
あくびが出るほど退屈だとしても、映像が美しかったり、VFXに凝っていたりすることがあるでしょう。
「映像がきれいだった」「ビジュアルが素晴らしかった」と言えばいいのです。
「つまらなかった」と言いそうになっても、喉のところで止め、1つでいいので良いところを取り上げることです。
「カメラワークが凝っていて見応えがあった」
「アクションシーンは、見入ってしまう迫力があった」
「世界観がつくり込まれていて面白かった」
「中盤に出てきた天窓のある家が良かった。あんな家に住んでみたい」
どんな映画も、多くの人手と莫大な制作費をかけて制作されています。
映画監督や映画関係者が、隣で聞いていると思うことです。
つまらないと言ってしまうと、映画監督や関係者を否定することになります。
悲しませることになるのです。
プロの映画評論家は「つまらなかった」と絶対口にしません。
どんな映画にも必ず1つは良いところがあるので、そこをコメントします。
二十世紀屈指の映画評論家の1人に、淀川長治さんがいます。
テレビの映画番組解説で「さよならおじさん」として親しまれてきて、ご存じの方も多いでしょう。
淀川さんは「つまらない」と絶対言いません。
どんな映画でも必ず良いところがあるので、そこを見つけてたっぷり褒めちぎります。
しかもたいてい1つだけでなく、2つも3つも見つけ、その映画の魅力を熱く語るのです。
私たちも、彼の素晴らしいコメント力を見習う必要があります。
悪いところではなく良いところに注目しましょう。
悪いところがあったとしても、わざわざ口に出さなくていいのです。
どんな映画にも、必ず良いところがあります。
本音ではつまらなく感じたとしても、感想を求められたときは、良いところだけ述べるようにしたい。
そうすれば「つまらなかった」以外の感想を述べられます。
これは、映画に限ったことではありません。
オペラ・芝居・ミュージカルでも同じです。
難しいかもしれませんが、頭の体操のつもりでやってみてください。
必ず1つは良いところがあるので、そこを見つけてコメントするだけです。
どんな映画でも、どんな作品でも、褒めるようにしましょう。
私たちは、けんかの原因を大げさに捉えているところがあります。
もちろん重大なこともありますが、それはごく一部にすぎません。
実際のところ私たちのけんかの原因は、ささいなことがほとんどです。
「無視された」
「間違われた」
「邪魔された」
「割り込まれた」
「ばかにされた」
「嫌なことを言われた」
「プライドを傷つけられた」
そのときは「ひどいことをされた!」「許せない!」「こんなことはあり得ない!」と腸が煮えくりかえります。
正式な謝罪を求めたり「一生恨んでやる!」と呪いの言葉をまき散らしたりします。
しかし、いったん落ち着いて冷静に考えてみると、それほどひどいというわけではありません。
相手が悪意を持っているとは限りません。
ちょっとした誤解だったり、小さな間違いだったりなど、たわいないことがほとんどなのです。
いらいらがピークになっているときは、心拍数が上がっていて、いつの間にか視野が狭くなっています。
けんかをしているときや、しそうになったときは、一度冷静になったうえで自問してみてください。
「ささいなことで腹を立てているのではないか」と。
視野を広げ、客観的な視点から、あらためて現実を振り返ってみましょう。
何度も深呼吸をしたり、1人の時間を作ったりすることも効果的です。
落ち着いて振り返ると「私はなぜこんなことで腹を立てていたのだろう?」と不思議に思うことが少なくありません。
ささいなことで腹を立てている自分に気づいたら、自分からさっと身を引きましょう。
もういらいらしません。
被害があっても、ささいなことなら、あっさり許しましょう。
問題解決が早くなります。
余計なけんかも減ります。
つまらないことでけんかすることほど、つまらないことはありません。
度量は、小さいより大きいほうがいいのです。
日本人だからといって、日本の魅力に詳しいとは限りません。
日本人なら日本の魅力に詳しいと思われがちですが、そうとは言い切れないところがあります。
意外なことに、日本人より外国人のほうが、日本の魅力に詳しいことが多いのです。
日本人として日本に住んでいると、それが「普通」「当たり前」と思ってしまいます。
文化も習慣も何もかも、生まれたときからずっと接していることは、特別に感じません。
普通に感じてしまうため、意識的に注目することがありません。
ところが、外国人に日本の魅力を聞いてみると、いろいろな回答が返ってきます。
「日本では、財布を落としたら戻ってくる」と、外国人は言います。
日本では当たり前のことですが、外国では財布を落としたら戻ってこないのが普通です。
戻ってくるとしたら、お金を抜かれた、空っぽの財布です。
「日本では、電車の運行が時刻表通り」と驚かれます。
日本の場合、電車が分単位で時刻表通りに運行されるのは普通ですが、外国の場合、時刻表は当てになりません。
電車が遅れるのは日常茶飯事であり、15分遅れ・30分遅れは珍しくありません。
外国人は「日本では、列をつくって並ぶのがすごい」と言います。
日本ではきれいな列をつくって順番に並ぶのが普通ですが、外国では列をつくらないことがよく見受けられます。
一斉に人が詰めかけ「われ先に」と力ずくで行くことが多いのです。
外国人は「日本は治安が良くて素晴らしい」と言います。
日本では夜間でも女性1人で歩くことが可能ですが、外国では女性が夜間に1人で歩くことは大変危険です。
うっかり歩こうものなら、被害に遭ってもおかしくありません。
外国人は「日本では、自販機がたくさんあって便利」と言います。
日本では自販機があちこちにありますが、外国では日本ほど自販機が数多く設置されていません。
しかも日本の自販機の場合、1台に温かい飲み物・冷たい飲み物の両方があり、外国の自販機では考えられないことです。
外国人は「日本はおもてなしの文化が素晴らしい」と言います。
きめ細やかなサービスや心のこもった接客が、施設の大小問わず普通にあり、当たり前に行われます。
一方、外国の場合、高級施設を除き、そこまでの待遇はありません。
日本に住んでいると、文化も習慣も当たり前に感じますが、外国人から見ると魅力的に移ります。
日本の魅力に詳しいのは、日本人より、意外と外国人です。
身近に来日外国人の知り合いがいれば、チャンスです。
「日本に来て感動したことは?」と聞いてみると、面白い話がたくさん聞けるでしょう。
外国人から日本の魅力をたくさん教えてもらいましょう。
お盆や年末年始の時期になると、多くの人が実家に帰省するか迷います。
「帰省する」と言うのは簡単ですが、実際に行動に移すとなるとなかなか大変です。
帰省にはお金がかかります。
飛行機にせよ新幹線にせよ、結構な交通費がかかります。
時間も労力もかかります。
仕事で忙しかったり経済的に余裕がなかったりすると、なかなか重い腰が上がりません。
実家に帰省したい気持ちもある一方、お金や手間暇がかかることもあり、なかなか悩ましいところ。
帰省するか迷うことがあるのではないでしょうか。
実家に帰省するか迷ったとき、思い出したい言葉があります。
「来年の今、親が生きているとは限らない」です。
人生では何が起こるかわかりません。
まだまだ親が元気そうに思えても、人生では「まさか」が起こり得ます。
大きな病が見つかって、1年後はもう亡くなっているかもしれません。
不慮の事故で突然命を落とすこともあるかもしれません。
「まさか」は、何の前触れもなく起こるのが特徴です。
不謹慎な話ではありますが、来年の今、何らかの事情で親が他界している可能性があるのです。
親が亡くなってからでは遅い。
「あのとき帰省していれば」「一度でも多く会っていれば」「少しでも長くいてあげたら」という後悔の声が後を絶ちません。
帰省にはお金も手間暇もかかりますが「来年の今、親が生きているとは限らない」と思えば、考えが変わるかもしれません。
親と会えるのは、親が生きているうちです。
親孝行ができるのも、親が生きているうちです。
帰省するのも親孝行の1つです。
帰省しようかどうか迷ったときは「来年の今、親が生きているとは限らない」という言葉を思い出しましょう。
ときどききれいな字を書く人を見かけることはありませんか。
お店で領収書をお願いすると、きれいな字で書いてくれる人がいます。
書類に必要事項の記入をお願いすると、驚くほどきれいな字の人がいます。
学校で友人にノートを見せてもらうと、きれいな字で書かれていることがあります。
ほれぼれ見とれてしまうほどの達筆です。
きれいな字は、見るだけで癒やされ、もはや目の保養になるレベルです。
見本のようにきれいな字を書く人がいて、感動することがありますね。
「書道を習っていたのかな?」「ペン字を習っていたのかな?」と思ってしまいます。
字がきれいだと、その人の性格まできれいに見えてくるから不思議です。
きれいな字を書く人を見かけたら、ぜひ次の言葉を伝えてください。
「きれいな字ですね」と一言です。
ためらう必要はありません。
女性に「きれいですね」と言えば、お世辞と思われたり本気にされなかったりすることがありますが、字にはそれがありません。
字を褒められて嫌な人はいません。
きれいな字を褒められるのは、誰にとっても嬉しいこと。
字を褒めることは、手先の器用さを褒めるのと同じことでもあります。
相手が知り合いでもそうでなくても、達筆であれば、ストレートに伝えるのが良い。
相手は「そんなことないですよ」と謙遜するかもしれませんが、心の中では嬉しく思っているはずです。
必ず笑顔で喜んでくれるのです。
赤ちゃんの歩行は、ハイハイから始まります。
最初は立って歩けないので、四つん這いになってよちよち歩きます。
四つん這いなのに、つまずいて転ぶことも少なくありません。
親としては、1日でも早く立って歩いてほしいと願うところではないでしょうか。
わが子がハイハイを始めたとき、気づいてほしいことがあります。
今のうちにハイハイをするわが子の姿を目に焼き付けておきましょう。
いったん立って歩けるようになると、二度とハイハイをしなくなるからです。
もう四つん這いで歩く姿を見せてくれません。
立って歩き始めるようになったら、今度は走り始めます。
「ハイハイが見られるのは今だけ」ということです。
「もう一度ハイハイをして」と言ってもしてくれなくなります。
ハイハイが見られるのは、20年あまりにわたる子育ての中で、ほんの一時期です。
ハイハイを始める時期は、だいたい生後8カ月から10カ月が一般的です。
一方、立って歩き始めるのは、1歳前後と言われます。
ハイハイが見られるのは、2カ月間から6カ月間しかないことになります。
なんて短いのでしょう。
本当に短期間です。
月日がたつのは早い。
一瞬と言っても過言ではありません。
世の中にはスーパー赤ちゃんもいます。
ハイハイを始めた思ったら、1週間後には立って歩けるようになっている赤ちゃんもいるから驚きです。
赤ちゃんの成長スピードは非常に早く、目を見張るものがあります。
写真や動画を撮影するなら早めがチャンスです。
撮れるだけ撮って記念に残しておきましょう。
もたもたしていると、ハイハイを卒業します。
来週・来月になると、もう立って歩けるようになっているかもしれません。
早く立って歩けるようになってほしいと願うところですが、ハイハイする時期も、これはこれで貴重です。
今のうちにハイハイするわが子を目に焼き付けて、楽しみましょう。
上司から「ちょっといいかな」と呼ばれたとき、メモ帳を持参しない人がいます。
たしかに軽い呼ばれ方です。
数分で終わる話なのだろうと思われます。
雑談レベルの話ならメモ帳は必要ないように思われますが、実際はわかりません。
いざ話を聞いてみると、重たい話や重要な内容かもしれません。
上司の「ちょっといいかな」は、往々にしてちょっとではないケースが多い。
「ちょっといいかな」という呼ばれ方でも、実際はメモが必要な話というケースがあります。
上司から「ちょっといいかな」と呼ばれたときも、きちんとメモ帳を持参するのが安心です。
使わなかったら、それはそれでいいのです。
メモ帳1冊くらい大した荷物ではありません。
紙のメモ帳ではなく、スマホでメモを取るケースもあるでしょう。
そのときはスマホを持参します。
内密な話やメモができないような話を聞かされるかもしれません。
あるいは、上司からメモは厳禁と指示されることもあるでしょう。
そのときは、メモを取らなければいいだけの話です。
メモを取らなくても覚えられると思うこともあるかもしれません。
油断は禁物です。
人間は忘れるのが得意な生き物です。
ちょっとした話でも、うっかり忘れることはよくあることです。
あとから記憶が曖昧になって、上司にもう一度聞きに行くのもかっこ悪いのです。
「何もない」と言う人がいます。
「田舎には何もない」
「○○市には何もない」
「○○町には何もない」
その人にとっては何気なく思ったことかもしれません。
何もないなんて言わないことです。
「私は魅力を見つけられない人間です」と言っているのと同じです。
何もないというセリフを、その地域に住んでいる人が聞けば、むっとするのでしょう。
魅力がないところだと言っているように聞こえるのです。
どんな田舎でもどんな地域でも、必ず何か魅力があります。
田舎であれば「大自然がある」「澄み切った空気がある」「落ち着いた環境がある」と言えるでしょう。
市や町であれば「寺がある」「神社がある」「美術館がある」「商店街がある」と言えるでしょう。
自分にとってなじみがないところや、あまり知られていないところでもいいのです。
「銅像がある」「石碑がある」「モニュメントがある」ということもできるでしょう。
あるといえば、あります。
そこ魅力を感じている人は必ずいます。
「何もない」と言いそうになったら、喉のところでぐっと止め、代わりに「○○がある」と言い換えるようにしたい。
何もないと思ったら、たいていは自分の勉強不足です。
ぱっと浮かばなければ、積極的にそこの魅力を探せばいいのです。
ネットで「地名+観光」で検索すれば、たくさん出てきます。
「へえ、知らなかった。こういうところがあったんだね」と思うのです。
視点を変えてみるのもアイデアです。
これといった観光地や名所旧跡がないなら「落ち着いた雰囲気がある」「すっきりした景観がある」とも言えます。
どんな場所でも地域でも、必ず魅力があるのです。
人生では、誘惑に惑わされることがあります。
特に都会では、誘惑が至る所にたくさんあって大変です。
誘惑は、悪魔のささやきです。
誘惑に誘われるまま流されていると、どんどん出費が増え、お金がなくなってしまいます。
気づいたら借金をしていて、首が回らなくなっているのです。
誘惑に打ち勝つ力は、仕事でもプライベートでも重要です。
私たちの人生では、誘惑に打ち勝つことが欠かないのです。
誘惑に打ち勝つ力を鍛えるにはどうすればいいのでしょうか。
誰でも簡単にできる、誘惑に打ち勝つトレーニング法があるのでご紹介します。
「コンビニに入って、何も買わないで出ること」です。
気になる本や雑誌があっても、手に取りません。
おいしそうなお弁当やお菓子があっても、買いません。
そのほか欲しいものがあっても、何も買いません。
触れたり持ったりするのはOKですが、レジで会計しないのがルールです。
コンビニに入ったら、店内をぐるっと一周して、何も買わないで出るだけです。
「読みたい」「食べたい」「手に入れたい」という衝動に駆られても、すべて振り切るのです。
簡単そうに思えますが、やってみると意外と難しい。
コンビニほど誘惑の多い場所はありません。
だからこそ、コンビニで何も買わないで出ることは、誘惑に打ち勝つ力を鍛えることになります。
誘惑を我慢する指令は、脳の前頭葉から出ます。
脳の前頭葉の力が強化されるにつれて、誘惑に打ち勝つ力もアップします。
ときどき誘惑に負けてしまうこともありますが、大きなペナルティーはありません。
誘惑に負けたとしても、コンビニでの買い物なら金額は知れています。
コンビニは品ぞろえが良くて便利なお店ですが、誘惑に打ち勝つ力を鍛える意味でも便利なお店なのです。
真夏日に犬を散歩させないことです。
お天気がいいと犬との散歩日和に思うかもしれませんが、実際は逆です。
地面が熱すぎるのです。
たしかに犬の足には分厚い肉球があって、やけどをしにくい構造になっています。
肉球の分厚い角質層は強力なバリアーの役目を果たすため、多少熱い程度の地面であれば、犬は普通に歩けるでしょう。
しかし分厚い肉球があるとはいえ、限界があります。
真夏日の地面は驚くほどの高熱です。
特に熱を吸収しやすいアスファルトの場合、表面温度が60度を超えることは珍しくありません。
真夏日の昼間に犬を散歩させるのは、熱せられたフライパンの上を歩くようなもの。
犬にとって過酷な環境であるのは間違いありません。
犬も、人と同じように熱中症になることがあります。
犬の皮膚には汗腺がないため汗をかきませんが、代わりに口呼吸をすることで体温調整を行います。
真夏日はアスファルトからの赤外線や放射熱が強いため、表面付近は一段と高温になっています。
体温調整で大量の水分が失われ、脱水症状になるリスクが高まります。
やけどや熱中症のリスクを考えると、真夏日に犬を散歩させるのは控えておくのが無難です。
犬を飼っている人には常識のことかもしれませんが、再認識をしておくに越したことはありません。
暑い夏場に犬の散歩をするなら、昼間は避け、早朝や夕方に行うのがベターです。
散歩中は、できるだけアスファルトの道は避け、土の道、芝生の広場、河川敷などを選んだほうがいいでしょう。
犬の水分補給として給水ボトルを持参できればパーフェクトです。
犬の健康を守ることも飼い主としての責任です。
誰も見ていないからといって、トイレの後、手を洗わない人がいます。
人が見ているときはきちんと手を洗うのですが、誰も見ていないときは手を洗わないのです。
手洗いを面倒くさがる人によく見られます。
本人は「ばれないからOK」と思っています。
これはナンセンスです。
誰も見ていないからといって、手を洗っていないことに変わりありません。
そのまま手で食事をしたり目や鼻に触れたりすると、ウイルスが体内に侵入します。
病気や感染症を引き起こすリスクが高まるのです。
トイレの後は手が汚れています。
汚れていないように見えても、目に見えないばい菌が手に付着しています。
そのままドアノブを触れば、ドアノブに菌が付着します。
付着した菌は、時間とともにどんどん繁殖していくのです。
トイレの後の手洗いが面倒くさく感じるのは、習慣になっていないからです。
子どものころ、トイレの後の手洗いをしつけられてこなかった人に多く見られます。
大切なのは「習慣化」です。
いったん習慣になれば、面倒な気持ちは起こらず、何の抵抗もなく普通にできます。
トイレの後の手洗いが当たり前のことになり、勝手に体が動くようになります。
むしろ手を洗わないほうが違和感があり、強い抵抗を覚えるようになるのです。