これまでの幸せの基準は、お金でした。
「お金持ちほど幸せ」ということです。
たしかに物がなかった時代は、それでも良かったのです。
嫌いなことをしてお金を稼いでも、本当の幸せにはなれません。
ある程度の幸せにはなれますが、本当の幸せになれません。
好きなことをするために、一時的に嫌いなこともする生き方なら、まだいいのです。
もちろん誰も、死にたくないです。
死にたくないから食べる必要があり、食べる必要があるから仕事をします。
しかし、ただ死にたくない理由だけで、人生を生きるのでしょうか。
好きなことをするためには、お金はかかります。
ただし、大金は不要です。
もちろんお金があるに超したことはありませんが、必須ではありません。
これまでの時代は「いかに仕事をしたか」が、収入の差になっていました。
朝から夜まで、汗を流して働いた人ほど、よく稼いでいました。
少し知恵を働かせれば、もう少し稼げるようになります。
これまでの勉強は、知識の蓄積が中心でした。
机の前に座り、教科書を穴があくほど見つめて、たくさんの知識を吸収しました。
もちろん知識は、重要です。
「自分の好きなことがわからない」
そういう人は、難しく考えすぎです。
自分の好きなことですから、実は、すでに日常のどこかでやっています。
好きなことをやっている人に、自殺する人はいません。
冷蔵庫にケーキがあるのに、自殺しようとは思いません。
明日、好きな人とデートがあるとき、自殺しようとは思いません。
好きなことをするときに、必要な心構えがあります。
お金持ちになる夢を、忘れることです。
最初からお金持ちになることを目指すのは、良くありません。
「もっとチャンスがあればいいのにな」
夢を叶える何らかのチャンスは、ある日、いきなりやってきます。
流れ星に似ています。
多くの人が、老後をベースにした生き方をしています。
いちばんよく聞かれる言葉は「老後のために貯金しています」です。
たしかに老後を考えると、不安もあります。
みんなに理解してもらおうと思うと、必ず、破綻します。
全員の意見をまとめると、ばらばらになります。
何をしていいのかわからなくなり、道に迷います。
競争をするだけで、お金、体力、時間を消費するのは、もったいないです。
人生は、有限です。
競争しているだけで、人生が終わってしまいます。
好きなことで食べていくためには、選択と集中が必要です。
好きなことを選択して、集中します。
集中するから能力がぐいぐい伸びるようになり、食べていけるようになります。
好きなことだけで生きようと思っても、現実的に難しいときがあります。
もちろん理想は、やはり「好きなことだけする人生」です。
余裕があれば、最初からそうすればいいでしょう。
なぜボウリングは、あれほど興奮してしまうのでしょうか。
ガターがあるからです。
レールの左右に深い溝があるから、投げるとき、はらはらどきどきとした興奮へと変わります。
器用である必要はありません。
不器用でも大丈夫です。
器用でないほうがいいです。
それは本当にリスクでしょうか。
リスクだと、思い込んでいるだけではありませんか。
私たちは無意識のうちに、リスクだと思い込んでしまうことがあります。
ピンチに直面したとき、どんな言葉を口にするかで、成り行きが変わります。
追い詰められた苦しい状況ですから、おそらく苦しい言葉を口にするでしょう。
「大変なことになった」
好きなことにつながるなら、遊びも勉強になります。
名前にとらわれないことです。
「遊び」という名前でも、自分の好きなことにつながることなら、立派な勉強です。
勉強と言えば、どのようなイメージをしますか。
机に座っている形にとらわれてはいませんか。
机に座ってするだけが勉強ではありません。
嫌いなことをしていると、現実を見ても、何も思いません。
人が歩いていたり、店があったり、車が走っていたりするでしょう。
ぼうっと見るだけで終わりです。
好きなことをすると、営業が楽になります。
好きなことをしていると、自分が明るくなります。
自分が発光体になります。
好きなことをやり始めると、精神的に強くなります。
初めから強いのではなく、強くなるのです。
たとえば、クレームに強くなります。
スポーツの審判は、他人です。
第三者から見て、善しあしを判断します。
ルールは、教科書など、ある程度最初から決まっています。
好きなことをするとき、自分が審判をします。
善しあしは、自分が判断します。
自分の価値観は、他人には理解できないため、自分が判断します。
嫌いな仕事をしていると、定年退職が嬉しくて仕方ありません。
毎週の休日が待ち遠しいように、仕事の定年退職が待ち遠しいのです。
定年退職を迎えたとき、第2の人生が始まると思います。
社会人にとって心配なのは、年金です。
普通に仕事をすると、定年退職をした後は、年金で慎ましく暮らすことになるでしょう。
強制的に会社から退職になれば、稼ぎがなくなり、少ない年金だけが頼りになります。
好きなことをしていると「こんなに遊んでばかりでいいのか」と思うようになります。
勉強や仕事をしている感覚が、まったくありません。
遊んでいる感覚です。
好きな仕事をするか、嫌いな仕事をするか。
そこが、問題です。
嫌いな仕事でも、お金のために我慢しながら続けることもあるでしょう。
これまでの幸せの基準は、お金でした。
「お金持ちほど幸せ」ということです。
たしかに物がなかった時代は、それでも良かったのです。
お金があるほど、ものが手に入ります。
衣食住は充実し、買いたい物を買えます。
自由が手に入ります。
しかし、時代は変わりました。
今はもはや、物があふれる時代です。
しかも、物が安いです。
高品質の物を、低価格で手に入れられるようになりました。
生きるのに必要な物は、安く手に入れられる時代です。
いまや誰でも、携帯電話やパソコンを持つ時代です。
インターネットが充実して、あらゆる情報が、ただで手に入るようになりました。
大金を持たなくても、生活必需品はそろってしまう時代です。
ほんのわずかなお金で、本も音楽も映画も、楽しめます。
お金が幸せに直結する時代は、終わったのです。
では、次に何の時代が来るか。
心を満たす時代です。
お金の満足より、心の満足です。
「これだけお金を持っているんだよ。わはは」と笑う人は、もう古いです。
物質的豊かさにとらわれています。
これからの時代は、精神的豊かさの時代です。
「こんなに好きなことができて、幸せだよ。わはは」と笑う人です。
好きなことができる人は、うらやましく思われます。
「いいなあ。あんなふうに自由に生きたいな。でも自分にはお金がないから無理だ」と思うでしょう。
ちょっと待ってください。
先ほども言いましたが、今はもう大金を持たなくても、いい時代です。
わずかなお金で、たいていのことができる時代です。
お金がないと手に入らないと思っていた自由は、お金がかからないことに気づくことです。
今ほど恵まれた時代はありません。
お金はなくても、すでに自由なのです。
幸せになるために必要なのは「物質的豊かさ」ではありません。
精神的豊かさです。
いかに好きなことをして、精神的に満たされるかの時代にきているのです。
嫌いなことをしてお金を稼いでも、本当の幸せにはなれません。
ある程度の幸せにはなれますが、本当の幸せになれません。
好きなことをするために、一時的に嫌いなこともする生き方なら、まだいいのです。
自分の夢につながる道ですから、未来があります。
我慢も、前向きに受け止めることができます。
しかし、将来の展望もなく、ただ食べていくために嫌いな仕事を我慢して稼いでも、本当の幸せにはなれません。
もちろん明るい未来がある面も、たしかにあります。
食べていくことができたり、家族が養えたり、老後の蓄えを増やしたりできるでしょう。
ただし、何か不満があります。
心底、喜べないものがあります。
いちばん大切な、自分の満足感が、足りないのです。
食べていくためとはいえ、嫌いな仕事を延々と我慢し続けている自分に、しっくりこないのです。
お金は稼げるかもしれませんが「何か違うんだよな」と思います。
しかも年々、その考えが強くなるから、怖いです。
年を追うことに、心の穴が大きくなる感じがします。
「自分の人生は我慢ばかりでいいのか」と自覚が、強くなるからです。
30代に入ったくらいから、多いです。
人生に、迷いが生じ始める時期です。
30代は、仕事も覚え、落ち着き、先の人生がわかり始める時期です。
「子どものころは夢を持っていたけれど、自分の人生は、やりたいこともできない、我慢ばかりの人生なのか」と思い始めます。
思うより、ふと、気づくのです。
たっぷりある貯金通帳を見て喜ぶはずが、なぜか、ため息が出るのです。
もちろん誰も、死にたくないです。
死にたくないから食べる必要があり、食べる必要があるから仕事をします。
しかし、ただ死にたくない理由だけで、人生を生きるのでしょうか。
死にたくないとはいえ、誰でもみんな、最後は死ぬのです。
延命のためだけに生きるのは、生きることはできても、苦しいです。
生きがいのない人生は、つまらないです。
私たちは、子どものころの教育で「我慢はいいこと」と教えられました。
「もう大きくなったんだから我慢しなさい」「我慢できて、偉いね」などと、親や先生などから言われます。
そういうことをよく言われた影響で「そうか。我慢するのはいいことなのか」と思い込みます。
我慢をする場面があると、大人を見せるチャンスだと思います。
「泣くのを我慢するのもいいこと」
「睡眠不足になるのもいいこと」
「無理をするのもいいこと」
そのまま大人になってしまうと「仕事も我慢をしながらするものだ」と思うようになります。
「食べていくために、嫌いな仕事を我慢しながらこなす自分は、偉い」と勘違いするようになります。
「我慢をすることが偉い」という考えがあるため、我慢ができる人間ほど、社会人らしいと思います。
しかし、違うのです。
言い方は悪くなりますが、嫌いな仕事をしている人間は、結局、お金の奴隷です。
お金という主人に「私(お金)が欲しいなら、言うことを聞きなさい」と言われて「はい。何でもやります」の状態です。
お金に人生を、踊らされています。
「お金が欲しい、欲しい」と目の前にある餌のために、体力の限界まで走り続けています。
一応お金は稼げますが、疲れやすくなり、人生に満足できません。
休日だけが、生きがいになってしまうのです。
好きなことをするためには、お金はかかります。
ただし、大金は不要です。
もちろんお金があるに超したことはありませんが、必須ではありません。
贅沢さえしなければ、好きなことに、あまりお金はかかりません。
お金がかかるというのは、妄想です。
思い込んでいるだけです。
本を読むのが好きなら、図書館にいけば、無料で楽しめます。
絵を描くのが好きなら、紙と鉛筆でできます。
旅行が好きな人ですら、近所を歩けば、風景や文化などを味わえます。
贅沢さえしなければ、お金はかかりません。
「ほとんど必要ない」と言って、差し支えないです。
お金が必要だと思うのは、思い込みです。
贅沢を希望しているだけです。
華やかな世界に身を置いて、スポットライトが当たる自分に、憧れを抱いているだけです。
雑誌などに掲載されて、テレビ出演をして、大人気になっているところばかりを考えています。
テレビの見すぎです。
テレビを消して、現実に目を向けましょう。
華やかな幸せが、すべてではありません。
地味な幸せもあります。
そもそも幸せは心で感じるものですから、外見では判断できません。
本を読んでいるだけでも、深く感動して、涙を流すこともできます。
紙と鉛筆で絵を描くだけでも、十分な喜びを得ることもできます。
地味に散歩をしている人でも、世界一周に匹敵するほど、楽しみを感じていることもできます。
自分が好きなことほど、ささいなことに、感動しやすくなるからです。
外見にとらわれないことです。
心が、いかに充実するかです。
これまでの時代は「いかに仕事をしたか」が、収入の差になっていました。
朝から夜まで、汗を流して働いた人ほど、よく稼いでいました。
少し知恵を働かせれば、もう少し稼げるようになります。
たしかにお金をもらうには、それだけたくさんの仕事をこなす必要があります。
仕事をするから、お金がもらえます。
しかし、その考え方は、もう古くなりました。
「仕事をする」という言い方が、少し暗いです。
堅苦しいです。
奴隷のようなイメージがあります。
これからは、いかに遊んだかが、収入の差になる時代です。
好きなことをしていると、仕事への意識が変わります。
仕事をしている感覚が薄れます。
仕事をする感覚ではなく、遊んでいる感覚になります。
仕事の質を深めようとするとき、遊び方を深める意識になります。
「もっと楽しく遊ぶには、どうすればいいのか」という感覚です。
「遊びを学ぶ」ということです。
たとえば、営業の仕事なら、心理学の本を読んで、人の心について学びます。
お客さんの心をつかむ方法を学んで売り上げが上がれば、遊びのように楽しくなるでしょう。
販売の仕事なら、繁盛している店にお客さんとして行って、陳列方法をよく観察します。
学んだ点を自分の店にも生かして、お客さんが注目してくれれば、遊びのように楽しく感じるでしょう。
遊び方がわかると、遊びがもっと楽しくなります。
遊びによって得たお金を、また遊びに投資して、遊び方を磨くのです。
もはや、道楽です。
実際は仕事をしていますが、好きなことをしているため、仕事より遊びという感覚になります。
「遊びを深める」とは、自分の未来への投資です。
遊びを深めるほど、小さな努力で大きな効果を生むことができるようになります。
遊び方が磨かれるほど、仕事の質が上がり、収入にもつながります。
遊んだ人が、勝つ時代なのです。
これまでの勉強は、知識の蓄積が中心でした。
机の前に座り、教科書を穴があくほど見つめて、たくさんの知識を吸収しました。
もちろん知識は、重要です。
たくさんの知識を頭に入れることで、世の中のことがわかるようになるでしょう。
ただし、知識の吸収がすべてではありません。
知識の吸収には、重大な欠点があります。
時間がたてば、忘れてしまうことです。
一生懸命に勉強しても、忘れてしまうのでは、役立ちません。
いくら本でアメリカの勉強をしても、文章や写真を見るだけでは、物足りないです。
雰囲気の説明を求められれば、抽象的なことしか言えません。
本に書いてあることを、そのまま口にする程度です。
忘れやすく中途半端な吸収では、応用も利きません。
一生懸命に勉強したことも、気づけば、忘れてしまっているのです。
勉強とは、知識の蓄積だけではありません。
本当の勉強とは、体験の蓄積です。
これからの時代は、体験の蓄積が中心になります。
いかに遊びながら、体で吸収するかです。
世の中が便利になり、さまざまな体験ができるようになりました。
体験の蓄積は、忘れることがありません。
体が、動きを覚えています。
体と知識は、一体になります。
体験が伴っている知識は、一生涯、忘れないのです。
アメリカのことを知るなら、アメリカへ旅行すると、早いです。
五感を通して、アメリカという国のことが、よくわかります。
本だけでは得られないことが、たくさん得られます。
雰囲気の説明を求められても、自分の体験を口にするだけです。
体験ですから、説得力もあります。
たしかにアメリカ旅行にはお金がかかりますが、たくさんの体験が得られることを考えれば、正当な値段です。
好きなことに関する体験を、どんどん増やすことです。
これからは、知識の蓄積より、体験の蓄積です。
体験をするために、お金を払うことです。
無駄のないお金の使い方です。
体験があってこそ、現実に生かすことができるのです。
「自分の好きなことがわからない」
そういう人は、難しく考えすぎです。
自分の好きなことですから、実は、すでに日常のどこかでやっています。
ずばり、趣味です。
趣味の中に、好きなことが隠されています。
もしくは、趣味そのものが、好きなことです。
そう言うと、ほとんどの人が「信じられない」と思います。
無理はないでしょう。
趣味といえば、少し時間が空いたとき、気分転換にする程度です。
趣味というネーミングも、弱々しく、軽い印象があります。
「趣味なんて仕事にならない」と思います。
誤解です。
突き詰めていないからです。
どんな趣味でも、突き詰めれば、仕事になります。
自分が好きでやっていることですから、夢中になれるはずです。
そのパワーを、もっと好きなことへとぶつければ、遊びでも、本格的になります。
もっともっと、趣味に夢中になるべきです。
人生は一度しかないのですから、趣味を単なる娯楽で終わらせるのは、もったいないです。
「趣味が仕事になるなんて夢のようだ」と思います。
偉大な夢なのです。
夢を叶えるかどうかは、あなたしだいです。
「趣味なんて仕事にならない」と思えば、そうなるでしょう。
しかし「趣味を突き詰めて、仕事にしよう」と思えば、そうなります。
「趣味を仕事にするなんて、世間体が悪い」と思いますが、誤解です。
嫌いな仕事をいやいやしているほうが、世間体が悪いです。
お金の奴隷になっている姿は、誰からもうらやましいと思われません。
これからは好きなことをして、食べていく時代です。
趣味を突き詰めて、稼ぎにつなげるのです。
好きなことをやっている人に、自殺する人はいません。
冷蔵庫にケーキがあるのに、自殺しようとは思いません。
明日、好きな人とデートがあるとき、自殺しようとは思いません。
嫌なことばかりだから、自殺しようと思います。
お金があるかどうかは、関係ありません。
どんなに貧乏でも、好きなことをやっていれば、楽しみがあります。
「お金がないよ。でも好きなことができているから、まあいいか」と思います。
死んでしまうと、もう好きなことができなくなります。
苦しくても、死のうとは思わないのです。
「貧乏だけど、まあいいか」と思えるから、不思議です。
好きなことそのものが、生きる希望です。
「死んだら、もう好きなことができなくなる。死んでたまるか。絶対に生きてやるぞ」と、炎炎と生きる力が湧いてきます。
経済的に苦しいかもしれませんが、精神的には充実しています。
精神的な充実があると、人は強くなります。
そもそも人は、無一文で生まれ、無一文で死んでいきます。
お金に関する苦労は、あってないようなものです。
妄想です。
人が希望を失うのは、経済的に折れたときではなく、精神的に折れたときです。
好きなことをするのは、生きる力、そのものです。
好きに生きるほど、力がみなぎります。
嫌いなことをしてお金持ちになっている人を、うらやましいとは思いません。
「本当に好きなことばかりやって、申し訳ない」という気持ちになります。
貧乏人にもかかわらず、裕福な気分になるのです。
自分の人生を、自分のために、1秒の無駄もなく生きている感覚です。
好きなことをしているかぎり、精神的に折れることはありません。
自殺することもないのです。
好きなことをするときに、必要な心構えがあります。
お金持ちになる夢を、忘れることです。
最初からお金持ちになることを目指すのは、良くありません。
お金を稼ぐことが目的になってしまうからです。
そもそも、お金持ちにならなくても、幸せになれます。
今は、お金がなくても、ほとんどのことができる時代です。
もちろんお金を否定しているわけではありません。
お金は、生活に必要です。
ゆくゆくはお金を稼ぐ必要があります。
しかし、最初からお金持ちになる夢を考えていると、道を誤ります。
お金持ちになれるかもしれませんが、精神的に充実するとは限りません。
今すぐお金持ちになろうとすると、嫌なことをしなければいけない状況になります。
嫌いなことをしてお金を稼いでも、経済的に充実しても、精神的には充実しません。
不満、我慢、妬み、空虚感ばかりが蓄積されます。
世の中に、お金持ちでも自殺をする人がいるのは、そのためです。
お金はあっても、生きるのが楽しくないのです。
生きるために、お金を稼ぐことになります。
お金の奴隷です。
お金のために生きると、道を誤ります。
稼ぐことばかり考えると、お金をよりたくさん稼げることが良いことで、稼げないことが悪いことになります。
アルバイトの情報誌を見るときに、時給ばかりを気にするようになるのです。
いいように見えるから、みんな、間違えます。
本当に大切なのは「時給」ではなく「好きなこと」です。
「何をやりたいか」です。
何をすれば、心が躍り、楽しむことができるかです。
好きなことをする目的は、自分の心が豊かになることです。
最初は、お金のことを忘れましょう。
お金を忘れるからいいのです。
お金がないから「お金がなくても楽しめる方法」を考えるようになります。
すると、気づくのです。
「おや。お金がかかると思っていたけど、意外にお金はかからないな」と。
反骨精神も強くなり、努力をするようになります。
好きなことへの集中力が高まり、より、精神的に強くなります。
お金がないことで、かえって心が充実する知恵が働くようになるのです。
いつしか、好きな道で、お金が稼げるようになっています。
「もっとチャンスがあればいいのにな」
夢を叶える何らかのチャンスは、ある日、いきなりやってきます。
流れ星に似ています。
前触れもなく急に現れて、さっと消えます。
一瞬です。
流れ星がよく見られる人もいれば、あまり見られない人もいます。
チャンスが多い人もいれば、少ない人もいます。
チャンスが少ない人は、自分の不運に嘆きます。
おや、大事なことを忘れているようです。
すでにチャンスがあるではありませんか。
「チャンスが足りない」というのが、すでにチャンスです。
もしチャンスがたくさんありすぎると、実力を磨くより、チャンスをつかむことに体力や時間を奪われます。
たとえうまくチャンスをつかめたとしても、実力がなければ、うまく生かされません。
チャンスは、実力があってこそ、生かされます。
何もない平凡な今は、実力を磨く時期です。
神様が、実力を磨く時期を与えてくれています。
チャンスが足りない今の時期こそ、チャンスです。
実力を磨くことに専念していれば、ある日、チャンスが訪れます。
つかんだチャンスを、十二分に生かせます。
人生のターニングポイントになるのです。
多くの人が、老後をベースにした生き方をしています。
いちばんよく聞かれる言葉は「老後のために貯金しています」です。
たしかに老後を考えると、不安もあります。
老後は仕事を失い、今より体力は衰えて、記憶力も弱くなるでしょう。
老後のために、ある程度の貯金が必要になるのも、たしかです。
一見すると、もっともな考え方ですが、実は危険が隠されています。
老後をベースにすると、必ず、保守的な生き方になることです。
まれなケースのことを考えることが多くなり、貯金をするようになります。
危険を冒さない代わりに、貯金には必死になります。
冒険をしなくなります。
冒険をしなくなるため、同じ毎日の繰り返しになり、刺激も感動も少なくなります。
出無精になり、無難な選択ばかりを選ぶようになります。
より、老化が加速するのです。
長く生きることはできるかもしれませんが、後悔の多い人生になりやすいです。
むやみに長く生きるのも、苦痛です。
後悔のない人生を送ることです。
老後をベースにするからいけないのです。
老後というベースは、まだ中途半端です。
老後とはいえ、まだ人生の途中です。
本当にベースにすべきは、死です。
死は、私たちの本当の終着地点です。
「自分は、いつか最後には、死ぬ」
これを考えながら生きると、今この瞬間から、生き方が変わります。
後悔しないように生きようと思います。
やりたいことをやり、悔いのない人生を送ろうと思います。
「今がチャンスだ。やれるだけのことをやっておこう」と思います。
私たち全員、最後には死ぬのです。
遅かれ早かれ、どうせ死ぬのです。
死ぬことをベースにして考えることで、人間の底力が湧いてきます。
チャレンジ精神が強くなり、気力が燃え上がって、人生を思いきり生きようと思います。
老後になったときも「悔いのないように生きる」という思いが続いているでしょう。
これが、いちばんの老化防止です。
元気な老人になれます。
死をベースにすることで、人生全体に活力がみなぎるのです。
みんなに理解してもらおうと思うと、必ず、破綻します。
全員の意見をまとめると、ばらばらになります。
何をしていいのかわからなくなり、道に迷います。
みんなにいい顔をしようとすると、どんな顔をしていいのか、わからなくなります。
八方美人は、自分の個性を見失うのです。
中途半端な魅力は、誰からも必要とされません。
「本当に素晴らしい」とは思われないのです。
中途半端になることで、軽く見られることもあります。
やるべきことは、好きなことを突き詰めることです。
好きなことを突き詰めると、必ず、独自の魅力へと変わります。
自分だけの世界観です。
少しマニアックな世界です。
自分が、より自分らしくなる状態です。
自分にとっても、気持ちいいです。
自分にしか理解できないことになりますが、不安定にはなりません。
ほとんどの人に理解されないことでも、わかる人には、わかります。
不思議ですが、必ず、そういう人が現れます。
本当の魅力になると「本当に素晴らしい」と思われるようになります。
需要は少ないかもしれませんが「これはいいね」と喜んでくれる、ファンが現れます。
大勢の人が無視する一方で、一部の人に熱狂されます。
熱狂ファンが固定ファンになり、リピーターになります。
それだけで食べていけるようになります。
競争をするだけで、お金、体力、時間を消費するのは、もったいないです。
人生は、有限です。
競争しているだけで、人生が終わってしまいます。
大企業ならいいのです。
大企業は、人もいて、資金もあり、物もそろっています。
大勢を相手にするため、マスを意識すればいいだけです。
マーケティングを行い、できるだけ大勢の人が喜ぶであろう商品を開発すればいいでしょう。
結果として、多くの人が喜び、売り上げも向上します。
しかし、体力のある大企業だからできるのです。
個人にはできません。
個人1人の体力は、知れています。
人も、資金も、物も、十分ではありません。
個人が生きていくためには、別の戦略が必要です。
目指すべきは、オンリーワンです。
名付けて「オンリーワン作戦」です。
自分の好きなことを突き詰めると、オンリーワンになります。
自分しかできないこと、自分にしか出せない魅力を発揮できるようになります。
地球に、ただ1人だけです。
それができるのは、地球上で、自分だけになります。
求められたとき、その1人に注文が殺到します。
しかも嬉しいことに、オンリーワンには、競争はありません。
競争相手を気にすることなく、自分のペースで、気楽に進んでいけるようになります。
本当に楽です。
のびのび、マイペースで仕事ができます。
好きなことをして、お金までもらえるのは、最高です。
自分の好きなことを突き詰めるほど、固定ファンも喜んでくれます。
喜んでいる固定ファンが、次のお客さんを呼んでくれるようになるのです。
好きなことで食べていくためには、選択と集中が必要です。
好きなことを選択して、集中します。
集中するから能力がぐいぐい伸びるようになり、食べていけるようになります。
限りある、人や資金や物など、有効に活用できるようになります。
ただし、よく聞かれる「選択と集中」には、大切な言葉が抜けています。
「徹底」が抜けています。
本当は「徹底した選択と集中」です。
選択と集中は、中途半端では、うまくいきません。
「まあ、これくらいならいいだろう」という生半可な気持ちでは、結果も曖昧です。
選択と集中はできても、徹底されていないのでは、中途半端になるのです。
私たちの記憶に残るのは、1番だけです。
たとえば、世界で最も高い山と言えば、何でしょうか。
そうです、エベレスト山ですね。
では、世界で2番目に高い山は何でしょうか。
すると、ほとんどの人が、言葉に詰まります。
次に、世界で最も長い川と言えば、何でしょうか。
そうです、アマゾン川ですね。
では、世界で2番目に長い川は何でしょうか。
やはり、ほとんどの人が、言葉に詰まります。
私たちの記憶に残るのは、1番だけです。
2番や3番は、もはや、存在しないも同然です。
1番になるために「徹底した選択と集中」が必要です。
徹底して自分の好きなことを選択し、徹底して集中することです。
虫メガネのように、光を一点に集めることができれば、自分でも信じられないような力を発揮できます。
好きなことだけで生きようと思っても、現実的に難しいときがあります。
もちろん理想は、やはり「好きなことだけする人生」です。
余裕があれば、最初からそうすればいいでしょう。
ただし、いきなり最初からそこへ向かうのは、危険です。
最初は、お金がありません。
信用も人脈もありません。
成長も未熟であり、最初から高品質の仕事を仕上げるのは、難しいのです。
そこでおすすめするのは「好きなことをするために、嫌いなことをする方法」です。
修行の時期を設けるのです。
たとえば、しばらくの間、尊敬する人の工房で働かせてもらいます。
あるいは、好きなことに関係する企業に勤めるのもいいでしょう。
仕事ですから、好きなことだけでなく、嫌いなこともしなければなりません。
好きなことをするために、嫌いなことをする状況です。
好きなことだけでなく、嫌いなこともすべて「修行」という意味で、吸収しましょう。
修行だと思えば、あらゆることが前向きに受け止められます。
吸収する意欲が強いほど、結果として、仕事もうまくいきます。
社会マナーも、社会の常識も、身につきます。
修行をさせてもらい、お金までもらえるなんて、最高です。
修行を重ねながら、お金・信用・人脈などを、少しずつ増やしていきましょう。
一定水準を超えたとき、独立するなどして、好きなことだけする生き方へと移行すればいいのです。
遠回りに見えますが、結果として、近道でもあります。
夢が実現しやすい道なのです。
なぜボウリングは、あれほど興奮してしまうのでしょうか。
ガターがあるからです。
レールの左右に深い溝があるから、投げるとき、はらはらどきどきとした興奮へと変わります。
「落ちないでくれ」と思いながら球を投げるとき、最高の瞬間です。
ボウリングは、ガターがあるからこそ、面白いのです。
なぜ、ゴルフはあれほど興奮してしまうのでしょうか。
バンカーがあるからです。
バンカーがあるから、ゴルフボールを打つときに、わくわくとした興奮につながります。
ゴルフも、バンカーがあるからこそ、面白いのです。
しかし、人生の話になると、急にガターやバンカーのない人生を探そうとする人がいます。
それは変です。
失敗のない人生なんて、面白くありません。
穴や溝に落ちない心配がなければ、白けた毎日になるでしょう。
緊張感が緩み、生きる楽しみが半減します。
人生では、ところどころに落とし穴があるから、面白いのです。
「落ちないように気をつけよう」と思うから、心身が引き締まります。
落とし穴の存在が、人生を引き締めます。
ときどき落とし穴に落ちるから、泣くこともあります。
失敗がある人生で、ちょうどいいのです。
失敗があるのは、よく行動できている証拠です。
心が躍ります。
おかげで、人生が面白くなるのです。
器用である必要はありません。
不器用でも大丈夫です。
器用でないほうがいいです。
初めからうまくできると、慢心してしまいます。
うぬぼれた結果、発言も態度も、悪くなります。
車の運転は「自分はうまい」と思った人ほど事故をしやすいのと、同じです。
器用だと思い込むと、運転を甘く見てしまい、かえって事故を起こしやすくなるのです。
油断は、事故の原因です。
不器用の人にも、成功のチャンスがあります。
不器用のほうが、気合が入ります。
「自分は下手だ」と思った人のほうが、安全に意識を向けるため、事故も少なくなります。
気をつけようと意識するため、地味ですが、安全に人生を歩めます。
「なかなかうまくいかない」と考える時間すら、贅沢な時間です。
好きなことに接している時間の1つです。
下手だと思うから、何度も丁寧に練習しようとします。
結果として、よく上達します。
うまくいかないほど、好きなことに接する時間も長くなります。
うまくいかない時間が長くなるにつれて、できたときの喜びも大きくなります。
悩んでいるときも幸せを感じ、できたときの喜びも、人一倍大きくなります。
これが、幸せです。
不器用でも、やる気があれば、成功できるのです。
それは本当にリスクでしょうか。
リスクだと、思い込んでいるだけではありませんか。
私たちは無意識のうちに、リスクだと思い込んでしまうことがあります。
思い込みとは、怖いものです。
一度思い込んでしまうと、考えることなく、固く信じて疑わなくなります。
もちろん命に関わることは重大ですが、それ以外は、なんとかなるものです。
なんとかなることに、悪い妄想を働かせ、必要以上に恐れていることがあります。
よく見てみると、大げさに見えるだけであり、本質はささいなことである場合が多いものです。
本当に、リスクと呼べるほどのことなのか、よく考えてみることが大切です。
いま一度、抱えているリスクを評価し直してみましょう。
テストで悪い点を取れば大変だと思いますが、人生のすべてが決まるわけではありません。
「仕事で失敗すれば一大事」と思いますが、誰かが死ぬわけでも、借金を負うわけでもありません。
あらためて考えると「なんだ。大したことないじゃないか」と気づく場合がほとんどです。
あなたは、少し真面目すぎます。
考えすぎは良くありません。
肩の力を抜いて、リラックスしましょう。
ピンチに直面したとき、どんな言葉を口にするかで、成り行きが変わります。
追い詰められた苦しい状況ですから、おそらく苦しい言葉を口にするでしょう。
「大変なことになった」
「つらいなあ」
「面倒だ」
たしかに大変ですが、ネガティブな言葉を言うほど「大変だ」という自覚が強くなり、余計に重く感じるようになります。
こういうときに、心と体が軽くなる、魔法の言葉があります。
「楽しくなってきた」です。
ピンチは、自分を高めるチャンスです。
楽しくなってきたと思えば、楽しくなります。
「はらはらどきどき」を「苦しい」ではなく「楽しもう」と思えばいいのです。
追い詰められた状況そのものを、楽しむ姿勢が大切です。
命に関わることでないかぎり、世の中のあらゆることは、大したことではありません。
底力が湧いてきて、ピンチを楽しく切り抜けられるようになります。
ピンチでなくても楽しいですが、ピンチでも楽しい。
最高の人生ですね。
さあ、ピンチがやってきました。
楽しもうではありませんか。
好きなことにつながるなら、遊びも勉強になります。
名前にとらわれないことです。
「遊び」という名前でも、自分の好きなことにつながることなら、立派な勉強です。
映画監督を目指す人にとって、映画鑑賞は、勉強になります。
漫画家を目指す人にとって、漫画を読むのは、勉強になります。
歌手を目指す人にとって、歌番組を見るのは、勉強になります。
人生を懸命に生きる人にとって、旅行をするのは、見識を広める勉強になります。
遊びが勉強になるのは、最高です。
周りの人は「そんなに遊んでどうするの」と、説教してきます。
「ばかだねえ」
「い良いよ頭がおかしくなったね」
「遊んでばかりで、大丈夫なの」
外野からの声が強くなります。
友人、親、先生など、四方八方から集中砲火を浴びます。
勉強としての遊びなら、無視して大丈夫です。
自分の好きの価値観は、自分にしかわかりません。
他人にわかるわけがないのですから、他人の意見なんて、気にする必要はないのです。
「遊びに見えるかもしれないけど、勉強なんです」と言い返しておけば、OKです。
わかる人は、わかってくれます。
むしろ、たくさん遊んだほうがいいのです。
勉強としての遊びなら「遊び人」という名の勉強家です。
これからは「いかに遊んだか」が、収入の差になる時代です。
遊び人で、ぼける人はいません。
好きなことに接していると、脳は「もっともっと、楽しみたい」と必死になり、頭の回転が良くなります。
心も生き生きしてきます。
周りの人から「よく遊んでいるね」と侮辱されれば、その調子です。
「よく勉強できているね」という証拠なのです。
勉強と言えば、どのようなイメージをしますか。
机に座っている形にとらわれてはいませんか。
机に座ってするだけが勉強ではありません。
勉強は机に向かってするものだというのは、古いイメージです。
これからは、遊んでいる姿が、新しい勉強のイメージです。
楽しみに魅了され、時間を忘れて楽しんでいる姿です。
好きな本を読んだり、映画を見たり、旅行に出かけたり、デートをしたりなどです。
夢につながる条件を満たしている遊びなら、すべて勉強です。
遊んで遊んで、遊びまくるのです。
できるだけ若いうちに、できるだけたくさんのお金を遊びに投資することで、人生が変わります。
自分の好きなことを深めることは、自分磨きです。
見えない蓄積に、いかにお金をかけるかです。
早く始めるほうが、よく身につきます。
見えない蓄積があり、その瞬間を楽しめます。
一瞬一瞬を楽しむことは、人生全体を楽しむ第一歩です。
もしあなたが学生なら、ぼうっとしている場合ではありません。
もっともっと、遊びましょう。
もしあなたが社会人なら、会社の奴隷になっている場合ではありません。
仕事が終われば、遊びに出かけましょう。
好きなことにつながるなら、遊びも勉強です。
道楽の限りを尽くすのが、勉強です。
まだまだあなたは、遊び足りません。
真面目になるなら、周りに対して真面目になるのではなく、自分に対して真面目になることです。
たくさん遊んで、人生を楽しんだ人が、幸せになります。
遊びによる蓄積が一定水準を超えたとき、ビジネスになります。
嫌いなことをしていると、現実を見ても、何も思いません。
人が歩いていたり、店があったり、車が走っていたりするでしょう。
ぼうっと見るだけで終わりです。
「つまらないなあ。何か楽しいことはないかなあ」と、ため息が出ます。
まだ、これくらいなら、いいほうです。
さらに悪化すると、悪いほうへ考えてしまうことがあります。
幸せそうな人、人気の店、高級車などを見て、いらいらしてしまうのです。
自分が我慢しながら生きているため、幸せそうな人を見ると、むかむかします。
嫌いなことをしていると、性格が悪くなります。
世の中も、暗いように見えてくるのです。
しかし、好きなことをすると、現実を見る目が変わります。
好きなことに没頭すると、接するすべて「自分の好きなことにつながるのではないか」と考えるようになります。
人、店、車を見ているうちに、はっとアイデアが浮かぶことがあります。
現実にあるものすべてが、ネタになります。
意識を持って現実を見るようになるので、現実が変わって見えるのです。
人、店、車が、元気よく動いているようにも見えてきます。
自分が好きなことをして生きているから、世の中も、明るいように見えてくるのです。
「生きているのが楽しいな」と思います。
現実が楽しくて、仕方ないのです。
好きなことをすると、営業が楽になります。
好きなことをしていると、自分が明るくなります。
自分が発光体になります。
太陽になるイメージです。
幸せのオーラが、体中から出るようになります。
すると次第に、周りに人が集まり始めます。
にこにこして幸せなそうな人のところに、人が集まります。
「おや、楽しそうにしているな。自分も仲間に入れてほしいな」と思い、人が近づきます。
「なぜ楽しそうにしているのかな」
「この人と知り合いになりたい」
「ぜひ、お手伝いさせてもらいたい」
近づいている人を見て、さらに人が近づくのです。
お客さんがお客さんを呼び、人だかりができます。
結果として、営業が楽になります。
場合によっては、営業さえいらなくなります。
好きなことをすることそのものが、営業活動です。
お金持ちでも、不幸そうにしていると、うらやましく思われません。
むしろ「かわいそう」と思われます。
お金を使って、ようやく営業活動ができます。
うらやましがられるのは、幸せそうな人です。
貧乏でも、人からうらやましがられることができます。
商売になっていなくても、幸せそうにしていると、人から「素晴らしい」と思われるでしょう。
自分の存在そのものが、営業活動になります。
幸せそうにしている時点で、人生の目的を達成できているのです。
好きなことをやり始めると、精神的に強くなります。
初めから強いのではなく、強くなるのです。
たとえば、クレームに強くなります。
もちろんクレームは、よくないことです。
仕事の品質が悪く、迷惑をかけたから、クレームがきます。
迷惑をかけたことに、しばらく落ち込みますが、立ち直りは早いです。
自分の悪い点が見つかったからです。
品質向上の糸口を発見できたのです。
クレームを言われたとき「申し訳ございませんでした」と言いながら、心の中で「人生が良くなるぞ」とガッツポーズをしています。
涙がわんわんと流れます。
迷惑をかけた悲しさの涙と、改善できる喜びの涙が一緒にこぼれるため、たくさん涙が流れます。
好きなことを深められるのは、喜びの1つです。
自分がほんの少し傷ついた分、仕事の品質が高くなり、これからはお客さんにもっと喜んでもらえます。
素晴らしいことです。
嬉しくて、たまらなくなります。
好きなことをしていると、クレームすら、喜びになってしまいます。
するとです。
この考えを発展させて、一風変わったことを始めるようになります。
クレームを頂くために、わざわざお金をかけ始めるのです。
たとえば、お客さんからの感想が届くように、意見箱やメールフォームなどを設置するようになります。
「改善案を募集しています」「悪いところがあれば、ご指摘ください」などです。
クレームは、ラブレターです。
ラブレターをもらって「へへ」と、ほほ笑むのです。
スポーツの審判は、他人です。
第三者から見て、善しあしを判断します。
ルールは、教科書など、ある程度最初から決まっています。
厄介なことに、審判によって、まれに判断基準が異なることがあります。
気分で判断されることが、まれにあるのです。
その一方で、好きなことの審判は、自分になります。
誰かが判断できません。
自分の価値観は、他人には理解できないため、自分が審判をします。
自分は、選手であると同時に、審判でもある意識を持つことです。
善しあしの判断は、自分が決めます。
自分がいいと思えば、いいです。
自分が悪いと思えば、悪いです。
徹底的に、自分がいいと思う道を、進むことです。
自分が審判になり、自分が「これだ」と思う道を信じて、進むことです。
自分が「正しい」と思うなら、すべて正解です。
堂々と、その道に進めばいいのです。
好きなことをするとき、自分が審判をします。
善しあしは、自分が判断します。
自分の価値観は、他人には理解できないため、自分が判断します。
「自分が決めるなら簡単だね」と思うなら、勘違いです。
逆です。
むしろ、厳しいです。
たとえば、作家を目指す人がいるとします。
普段から、本を読むのが大好きです。
たくさん本を読んで吸収したことを活用して、文章を書きました。
ほかの人に見せると「いいね」と褒めてくれます。
しかし、自分では納得できません。
「まだ表現が乏しい」
「きれいにまとまっていない」
「言いたいことを、言い切れていない」
自分という審判が、なかなかOKを出してくれません。
好きなこととは、自分が最もこだわりを持っていることです。
最もこだわりを持っていることですから、合格ラインも、最も厳しくなるのです。
好きであるほど、合格ラインも厳しくなります。
本当に満足することは、めったにありません。
学校では、あらかじめ正解が存在しています。
回答を見れば、正解がはっきりわかります。
同時に、なぜ間違えたのかがわかり、次からどうすればいいのかも、わかります。
しかし、好きなことの正解は、自分が決めなければいけません。
たいていの場合、満足できないものです。
にもかかわらず、どうすればもっとよくなるのかは、はっきりわからないのです。
どこかにあるのですが、わからないから、苦しいです。
より良い品質を、いつまでも追い求める旅です。
「より良い正解に近づく」というイメージです。
なかなかOKしてくれない自分という審判に、鍛えられるのです。
嫌いな仕事をしていると、定年退職が嬉しくて仕方ありません。
毎週の休日が待ち遠しいように、仕事の定年退職が待ち遠しいのです。
定年退職を迎えたとき、第2の人生が始まると思います。
ようやく嫌いな仕事から、解放されます。
自由な時間ができ「これからは好きなことをしよう」と思うのです。
少ない年金を頼りに、慎ましく生きることになります。
気の長い話です。
好きなことをするまで、長く待ちすぎです。
楽しみを延期にする意味はありません。
そういう生き方もいいですが、せっかくの自分の可能性をつぶしています。
あまり長く待ちすぎると、生かせるチャンスも、生かせなくなります。
人生は、もっと早く楽しめます。
好きな仕事をしていると、定年退職はありません。
そもそも、定年退職という概念もないのです。
趣味に、定年退職はおかしいです。
自分の大好きなことは、一生、続けたいものです。
一生涯、続ける覚悟があるため、実力もぐいぐい伸びていきます。
時間はかかりますが、ゆっくり確実に伸びていきます。
社会人にとって心配なのは、年金です。
普通に仕事をすると、定年退職をした後は、年金で慎ましく暮らすことになるでしょう。
強制的に会社から退職になれば、稼ぎがなくなり、少ない年金だけが頼りになります。
しかし、好きな仕事をしていると、年金の心配がなくなります。
そもそも、定年退職という概念がないためです。
好きなことは、死ぬまで一生続けたいと思います。
好きなことをしているかぎり、仕事を辞める理由はありません。
もちろん病気などで、一時的に休まなければならない状況はありますが、治れば再開できます。
死ぬまでずっと仕事をするわけですから、一定の稼ぎが死ぬまでずっと続きます。
年金の心配もなくなるのです。
しかも、年を重ねるにつれて、信用・実力・人脈などのレバレッジが効くようになるため、稼ぐ力も強くなります。
年金の心配どころか、どうお金を使い切ろうかと困ってしまいます。
死ぬまで好きなことを続けられるのは、最高の幸せです。
好きなことをするのは、最高の健康維持法です。
人は、仕事を辞めると、一気に老化します。
やることがなくなるため、頭も体も、急に弱くなります。
長生きしている人は、みんな定年退職という概念にとらわれず、好きな仕事を続けています。
たとえ会社を退職しなければならない状況になっても、独立すればいいのです。
自営業には、定年はありません。
好きなことにも、定年はありません。
病気になりにくくなります。
死ぬまで好きな仕事を続けることで、退職、年金、健康など、さまざまな不安から解放されます。
好きなことをしていると「こんなに遊んでばかりでいいのか」と思うようになります。
勉強や仕事をしている感覚が、まったくありません。
遊んでいる感覚です。
あまりに人生が明るすぎて、怖くなります。
しかし「こんなに遊んでばかりでいいのか」と思ったときが大切です。
次にどんなアクションを起こすかで、2パターンの人生に別れます。
「ブレーキを踏む人」と「さらにアクセルを強く踏む人」です。
ブレーキを踏む人は、元に戻っていきます。
周りの人から「くだらないね。遊んでばかりで大人になりなさい」と言われて、落ち込みました。
「遊ぶことは悪いこと」という罪悪感がぬぐいきれず、ブレーキを踏んでしまいます。
他人に流されてしまったのです。
好きなことにつながるなら、遊びでも、立派な勉強です。
では、どうするか。
本当に幸せになるのは、アクセルを踏む人です。
「もっともっと、遊んでしまおう」と思うことです。
「まだまだだ」と思うとき、さらに好きなことを追求します。
自分が審判になり、より良い正解を追求するのです。
これが「自分の殻を破る」ということです。
自分の固定観念を変える瞬間です。
磨きがかかり、技術が向上して、運が蓄積されます。
信用が大きくなり、人脈が広がります。
自分にどんどん投資して、自分磨きに精を出すことです。
「こんなに遊んでばかりでいいのか」と思ったときが、分かれ道です。
ブレーキではなく、さらにアクセルを踏みましょう。
好きな仕事をするか、嫌いな仕事をするか。
そこが、問題です。
嫌いな仕事でも、お金のために我慢しながら続けることもあるでしょう。
好待遇に魅力を感じて、あえて嫌いな仕事を選ぶこともあるでしょう。
もちろんそういう生き方もありです。
本人が納得しているなら、嫌いな仕事を選ぶ生き方も悪くありません。
好きなことではないが、強みや得意を発揮できることもあるでしょう。
少なくとも社会の役に立っています。
定職に就いていれば、少なくとも社会参加ができていて、社会貢献もできています。
好きではないが、とにかく我慢しながら仕事を続ければ、最低限の収入も得られます。
社会人であれば、無職でいるより、嫌いなことでもいいから何か仕事をしていたほうがましです。
嫌いな仕事でも、事務的に淡々とこなせばいいだけ。
やる気がなくても、やる気があるふりくらいならできるでしょう。
大きなミスさえ避ければ、定年まで会社に居続けられるはずです。
嫌いな仕事で我慢する一生もあるでしょう。
しかし、好きな仕事をしても一生です。
好きな仕事を通して、人や社会の役に立つ生き方もあります。
好きな仕事なら、自然と積極的になれ、気合も集中力も発揮できるでしょう。
わざわざ気合を入れなくても、自然とやる気も出るでしょう。
なかなかうまくいかないことがあっても、好きな仕事なら、根気で乗り越えられるはずです。
嫌いな仕事も好きな仕事も「社会貢献ができる」という点は共通です。
違いがあるのは「好きな仕事か、嫌いな仕事か」という点です。
仕事は、人生の大半を決める要素です。
学校を卒業すれば、事情がないかぎり、定年まで仕事が続くことになります。
嫌いな仕事をしていると、人生の大半が嫌いなことで埋め尽くされます。
好きな仕事をすれば、人生の大半が好きなことで埋め尽くされます。
嫌いな仕事をしても一生。
好きな仕事をしても一生。
あなたはどちらの人生を選びますか。
どちらのほうが後悔しないか、よく考えてみてください。
人生は一度しかありません。
泣いても笑っても、人生は一度だけ。
どちらも同じ一生に変わりないなら、やはり好きな仕事を選ぶのが賢明です。
好きな仕事を通して、人生の大半が好きなことで埋め尽くしたほうが、幸福感も高まります。
なにより人生の後悔も減らせるでしょう。
「好きな仕事を選んで良かった」という人生を送ることです。
死ぬ間際になって「好きな仕事を選んでおけば良かった」と悔やんでも遅いのです。