世の中でかっこいいと言われる人には、共通点があります。
存在感があることです。
これはどのジャンルにも、どんな国にも、物でも、会社でも言えることです。
本当の存在感とは、物より、心です。
モテる人になるためには、かっこいい服を着ればいいと、考えがちです。
たしかにそのとおりです。
大きく見せて、自分の存在感を出そうとすることは、新人のやることです。
テレビに出てくる新人のお笑い芸人は、少しでも目立とうとしゃべりに話します。
新人のころは、なんとかして前に出ていかないといけませんから、自分の存在感を出すために必要なことです。
存在感を出すためには、また聞きの話をするのではなく、自分の体験を話すことが大切です。
また聞きの話では、途中で話が行き詰まります。
Aさん「A君は、この前アメリカに旅行に行ってきたんだって」。
存在感を出そうとする人は、決まって「俺がやった」と言って、威張ります。
威張りすぎてしまうと、存在感が空回りしてしまいます。
自分がやったことを自分でアピールしてしまうと、存在感が半減してしまいます。
存在感には、2種類あります。
良い存在感と悪い存在感です。
存在感を求めるならば、ここをしっかり見極めておく必要があります。
存在感は、背筋からもにじみ出てきます。
背筋がぴんと伸びているだけで、モデルのようです。
つまり「姿勢が良い」ということです。
存在感を出すために、我慢はしないことです。
我慢をすればするほど、素直さがなくなり、本当の自分を出せなくなります。
「我慢をしない」とは、言い換えれば「素直さ」のことです。
日本在住のアメリカ人の話を聞いていると、日本人は曖昧な表現が多くていらいらしてしまうと言います。
「~するんじゃない?」
「~かもしれない……」
大人と子どもの大きな違いに「自分の価値観を持っているかどうか」があげられます。
あなたは自分の価値観を持っていますか。
自分の価値観で行動していますか。
人は誰でも「自分のことを理解してほしい」という欲求があります。
特におしゃべりな人は、その気持ちが出ています。
「自分のことを理解してほしい、もっと話を聞いてほしい。認めてほしい」という気持ちから、どんどん話してしまうのです。
存在感を出すうえでやってはいけないことなのに、皆さんがやりがちになっていることがあります。
大声です。
存在感を出すことが下手な人は、大声を出してアピールしようとします。
大事な場面で失敗をしてしまい、落ち込むことがあります。
当然のことながら、普通はとても落ち込んでしまうものです。
しかし、こんなときにこそ笑っている人には、強さを感じます。
私には、コンプレックスがあります。
私には何でもかんでも気にしすぎてしまうという欠点があります。
いわゆる「気にしすぎ」というやつです。
存在感の出し方を間違えている人がいます。
「存在感を出すには、偉そうにすればいい」と思っている人です。
存在感を出すとは、偉そうにすることではありません。
「忙しい、忙しい」が口癖になっている人がいます。
「自分はそんなに暇じゃない。それだけ必要とされているんだ。それだけすごい人間なんだ」
と思っているのでは、まだまだ小粒です。
今、メジャーリーグで大活躍している松井秀樹さんは、いまや日本国内だけでなく、世界的にも有名な野球選手になっています。
松井選手の強さは、力強いホームランにあります。
読売巨人軍にいたころから、力強いホームランを打っていました。
日本人の相手を傷つけたくないという風習から「ノー」と言えない人がいます。
日本人は、何でもかんでも「イエス」とばかり答えてしまう民族と思われています。
何でもかんでも「イエス」とばかり答えていると、たしかにいい人だとは思われますが、存在感はありません。
存在感は「余裕」から出てきます。
余裕を持っている人は、一見何もしていませんが、逆に強さを醸し出しています。
特に学校のテスト直前には、存在感のある人とない人の光景を目にできます。
異性の要素を取り入れてみませんか。
男性なら、女性らしい雰囲気を含みます。
女性なら、男性らしい雰囲気を含みます。
存在感は、豊かな表情から生まれます。
表情が豊かな人は、それだけで存在感があります。
私がアメリカに留学していたときに感じたことは、アメリカ人は表情が豊かだなと思ったことです。
自分の両親には、大きな存在感があります。
生まれていちばんにお世話になっているからでもあり、自分のことを最も理解しているからでもあります。
理解のある親には、大きな存在感があるのです。
日本のことわざに「不言実行」という言葉があります。
「不言実行」とは「口では何も言わないが、行動はしっかりしている」という意味です。
その人の本当の考えや気持ちは、口からではなく、行動からわかるということです。
誤解されたときに必要以上に説明していると、言い訳に聞こえます。
たとえ本当のことでも、必要以上というのは、それだけで説得力をなくしてしまうのです。
説得力をつけるために、必要以上は避けることです。
新しい出会いを求めるなら、行動するに尽きます。
出会いは、行動から始まります。
出会いがあってから、初めて行動するのではありません。
「かっこいいね」と言う人は、かっこいいです。
普通は自分が「かっこいいね」と言われたいと思います。
しかし、自分より他人のことを「かっこいい」と言える人は、相手を明るくさせる「サービス精神」を持った人なのです。
本当に優しい人は、自分で自分のことを優しいとは言いません。
本当に優しい人は、困っている人を助けるときにわかります。
「私は優しいんですよ」と自分で言っている人は、たいてい困っている人を見ても、見ているだけです。
朝のニュースほど、必ず元気な顔のアナウンサーが登場しています。
昼や夕方は、落ち着いた表情のアナウンサーが出ていることに対して、朝は明るい表情が持ち味のアナウンサーがよく見られます。
いつも目がぱっちり開いていて、元気があふれている人です。
どんな分野でも一生懸命になっている人には、ひときわ輝く存在感があります。
どんな分野でもかまいません。
存在感を手に入れたいと思うとき、自分の行っていることに本当に一生懸命になっているのか、振り返って見ることが大切です。
世の中でかっこいいと言われる人には、共通点があります。
存在感があることです。
これはどのジャンルにも、どんな国にも、物でも、会社でも言えることです。
テレビに出るタレントは存在感があるほど、人気のあるタレントということになります。
学校の人気者といえば、決まって存在感のある人です。
スーパーにはたくさんの商品が並んでいますが、お客さんが購入していく商品は決まって存在感のある商品です。
たくさんある日本の企業でも存在感がある会社は、それだけで人気のある会社です。
良い印象という存在感を出すことで、会社のイメージアップになり、結果として売り上げを伸ばしていけます。
多くの会社では、CMや広告宣伝などに大金まで出して、存在感を出しているくらいです。
存在感があるほど、人気者になれるのです。
幸せな人生を送るために、まず自分の存在感を少しでも出していきましょう。
存在感を出せば、それだけで多くの人から注目され、モテモテになれるのです。
本当の存在感とは、物より、心です。
モテる人になるためには、かっこいい服を着ればいいと、考えがちです。
たしかにそのとおりです。
かっこいい服を着れば、かっこよくなれます。
ただし、かっこいい人ではなく「かっこいい服を着た人」になります。
かっこいいのは、人ではなく、服なのです。
力を入れるのが服ばかりに偏ると「自己アピールは、かっこいい服を着る方法しかないのかな」と思います。
かっこいい服を着ることでしか、自分のかっこよさをアピールできないのでは、元はかっこよくないように思われてしまうのです。
やけにかっこよすぎる服を着た人が薄い人間に見えてしまうのは、物が人と釣り合っていないからです。
本当の存在感とは、物ではなく、心なのです。
貧者・孤児・病人の救済に献身を尽くしたマザー・テレサは、世界の平和にその一生を捧げた偉人です。
彼女は「世界の母」と言われるほど、世界的な存在感があります。
マザー・テレサは、何も持っていません。
持っているのは、世界を平和にしたい優しい「心」だけです。
生きるために最低限必要な服と食料だけで、ほかには何も「物」は持っていませんでしたが、世界的な存在感がありました。
マザー・テレサの心が、世界的な存在感を出していたのです。
すべての人が平和で暮らせるようにという「愛」が、彼女の正真正銘の存在感を出していったのです。
1979年、テレサはノーベル平和賞を受賞しました。
「私は受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました」と、言っています。
ノーベル平和賞を政治家や活動家が受賞する際には、委員会の中でも誰がふさわしいのかと意見がわかれることが多いようです。
しかし、マザー・テレサの受賞の際は、満場一致だったそうです。
ノーベル賞で受賞した賞金を、彼女は全額寄付しました。
「マザー・テレサの平和賞受賞は、私たちが大きな喜びと満足感を持って振り返ることのできる受賞だった」
とノーベル賞委員会の委員長は語っています。
マザー・テレサは、1997年に亡くなりました。
テレサの葬式は、異例の国葬でした。
国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。
テレサがどれほどインドの人々に愛されていたかが、わかります。
テレサの葬式には、世界中からたくさんの人がやってきました。
たくさんの人がマザー・テレサの心に、心を打たれ、彼女を愛していたのです。
本当の存在感は、物からではなく、心から出てくるのです。
大きく見せて、自分の存在感を出そうとすることは、新人のやることです。
テレビに出てくる新人のお笑い芸人は、少しでも目立とうとしゃべりに話します。
新人のころは、なんとかして前に出ていかないといけませんから、自分の存在感を出すために必要なことです。
しかし、売れて人気が出るようになったら、いつまでも新人のような存在感の出し方では、プロでは通用しなくなります。
新人は、大きく見せて存在感を出すのに対して、ベテランは小さく見せて存在感を出します。
小さく見せて存在感をアピールするところに、細やかな気遣いが感じられます。
レストランで友人同士が騒いでいるグループより、1人で読書しながら食事を楽しむ人のほうが、大人らしい雰囲気があります。
レストランの中で、大きな声を出して騒いでいると、レストランの人に嫌われます。
レストランには雰囲気がありますから、それを壊してしまうお客さまは早く出ていってほしいと思われてしまうのです。
レストランにとって喜ばしいお客さまは、レストランの雰囲気を壊さないお客さまです。
1人で静かに読書を楽しんで、食事をしているお客さまは、レストランの雰囲気を壊しません。
むしろその姿が、店内の1つの「絵」になっていて、良い雰囲気づくりに貢献しています。
子どもは、大きく見せて存在感を出すのに対して、大人は小さく見せて存在感を出します。
何も大きいことだけが存在感ではないのです。
大きいより、小さいほうが「気遣い」という「心」が感じられるのです。
存在感を出すためには、また聞きの話をするのではなく、自分の体験を話すことが大切です。
また聞きの話では、途中で話が行き詰まります。
Aさん「A君は、この前アメリカに旅行に行ってきたんだって」。
Bさん「へ~、いいな。それで、どうだったって?」。
Aさん「海がきれいだったらしいよ」。
このように、話の最後が推定で終わります。
「~らしい」という表現で話が終わると、面白みが欠けます。
もう一歩、真実味が欠けるのです。
「~らしい」は、100%正しい意味ではなく、曖昧な表現なのです。
存在感のある人は、また聞きの話はできるだけ避けます。
その代わり、自分が体験したエピソードを話します。
自分の体験は「~らしい」で終わることはありません。
必ず最後が「~だった。~でした」となります。
話をしっかり言い切ることができるのです。
言い切った話こそ、人を引き付ける力があります。
テレビのニュースキャスターが、ニュース番組で「今日の午後、交差点で事故があったらしいです」では、説得力がありません。
「~らしい」という話では、本当か嘘かわからないのです。
ニュースでは「事故がありました」としっかり言い切るからこそ、視聴者は話をきちんと聞くことができるのです。
あなたの話し方を振り返ってみましょう。
「~らしい」を使いすぎてはいませんか。
「~らしい」を使ってはいけないと言うわけではありません。
「使いすぎてはいけない」のです。
使いすぎればすぎるほど、あなたの話を誰も信用してくれなくなります。
できるだけ「~らしい」という表現は、避けて話しましょう。
実際に自分が体験したことなら「~らしい」がつくことはありません。
学校での人気者も「~らしい」という話し方ではありません。
「俺は~だった」と、言い切っているから話が面白いのです。
だから人気が出るのです。
存在感を出そうとする人は、決まって「俺がやった」と言って、威張ります。
威張りすぎてしまうと、存在感が空回りしてしまいます。
自分がやったことを自分でアピールしてしまうと、存在感が半減してしまいます。
それどころか、時には逆効果になることさえあります。
「あれは俺がやった。これも俺がやった。それも俺がやった」
と仕事で成功を収めたときに言ってしまうと存在感より「威張っている」という印象のほうが強くなり、逆効果になるのです。
存在感を出すために「あれは俺がやった」とは言わないようにしましょう。
「それじゃあ、自分の存在に誰も気づいてくれなくなる」
そうした声が聞こえそうですが、立派な功績を残した人は必ず注目されます。
会社にとって必要な人材は、周りからどんどん引っ張り出してくれます。
何も言わなくても、会社から「ぜひ、感謝したい」と探しに来てくれるのです。
存在感には、2種類あります。
良い存在感と悪い存在感です。
存在感を求めるならば、ここをしっかり見極めておく必要があります。
モテる人になるために必要なのは、良い存在感です。
良い存在感には「良い印象」が付加しています。
良い印象があるからこそ、モテる人になることができるのです。
テレビのCMで起用されるタレントは、今が旬のタレントばかりです。
CMに出るタレントは、決まって好印象のタレントばかりです。
「明るく元気」という良い印象があるからこそ、CMによって商品のイメージアップにつなげようとしているのです。
逆に悪い存在感には、悪い印象がくっついています。
悪い印象では、嫌われます。
どれだけ名前が知れわたっていても、悪い印象があるのでは、モテることができないのです。
悪い印象のある世界的に有名な人と言えば、ドイツナチスのヒトラーです。
ヒトラーは、独裁政治のため、失敗してしまいます。
多くの人が犠牲になり、苦しみ、人々に悪い印象となり、最後には誰もついてこなくなったのです。
人々の人望があってのリーダーです。
人々の関心を集めるとき、悪い印象で存在感を出してしまっては、ただの悪人になってしまうだけです。
存在感は、背筋からもにじみ出てきます。
背筋がぴんと伸びているだけで、モデルのようです。
つまり「姿勢が良い」ということです。
今は亡き映画界の名女優オードリー・ヘップバーンは、いつも背筋がぴんと伸びています。
背筋がぴんと伸びていることで、演技にも上品な存在感が出ています。
もし、彼女が猫背なら、名女優にはなれなかったでしょう。
猫背だと、見た目が一気に老けてしまいます。
腰が丸まっていると、それだけでなんだか老けて見えてしまうのです。
ときどき私は友人と話していると「もっと若返りたい」という話題になることがあります。
私はそのとき、決まって「姿勢が良くなれば、若く見えると思うよ」と言うことにしています。
姿勢が良くなるだけで、見た目が変わってきます。
見た目だけでなく、本人の気持ちまで引き締まってきます。
そのため結果として、見た目だけでなく、心まで引き締まってくる効果があるのです。
学校でいちばん前の席に座っている人ほど姿勢がよく、いちばん後ろに座っている人ほど姿勢が悪いものです。
いちばん前の人は「頑張って勉強しよう」という気持ちが姿勢に表れています。
いちばん後ろの人は「早く授業が終わらないかな」という気持ちが姿勢に表れています。
姿勢には、気持ちが表れているのです。
心を引き締めるには、背筋をぴんとするだけで良かったのです。
存在感を出すために、我慢はしないことです。
我慢をすればするほど、素直さがなくなり、本当の自分を出せなくなります。
「我慢をしない」とは、言い換えれば「素直さ」のことです。
自分に対して我慢をせず、素直になって行動する人は、自然と存在感が出てきます。
素直になって行動できる人は、自分の意志に従って行動している人です。
我慢をして行動している人は、何か自分を抑え込んでいます。
抑え込んでいるため、本当の自分を出すことができません。
本当の自分でない存在感が出たところで、せっかく出た存在感も偽りの存在感になります。
「本当の自分はこうではないんです」と愚痴を言っている人のほとんどは、自分に我慢をしている人です。
自分に我慢をしてしまうから「本当の自分」が出せなくなってしまうのです。
本当の個性を出すことは、簡単です。
素直になればいいのです。
素直になれば、本当の自分を出せます。
そこで初めて、本当の自分らしい存在感が出てくるのです。
我慢をして生きている人は、素直にならないかぎり、自分らしい存在感を出せない人なのです。
日本在住のアメリカ人の話を聞いていると、日本人は曖昧な表現が多くていらいらしてしまうと言います。
「~するんじゃない?」
「~かもしれない……」
「~だと思うんだけど……」
「って言うか……」
「微妙……」
とこのように、できるだけ曖昧な表現が多いのは、日本人である私も実は前から気になっていたところです。
会社の若い社員だけでなく、重役でも、遠回しの表現をよく耳にします。
「一応こういうものです」と言って、差し出された名刺には「取締役」とか書かれていたりします。
「一応」と言うのが、いやらしい。
役職のある人なら、自己紹介くらいはしっかりできるようにならなくてはなりません。
日本人には「できるだけ相手を傷つけたくない。だから遠回しな表現をする」という慣習があります。
それはそれで、日本人の優しい心が反映されていていいのです。
問題は、はっきり言わなければならないところでさえも、遠回しにくどくど言っている人です。
ここぞというときには、はっきり言える人にならなければなりません。
何でもかんでも曖昧な表現で逃げてしまっては、その人の本当の気持ちがわからなくなります。
曖昧な表現では、聞いているほうも印象に残りにくいです。
「話はしたけど、よく覚えてないな」となります。
はっきりした発言の人ほど、印象に残りやすいです。
おすぎやピーコさんが人気を集めているのは、はっきり話しているからです。
「あんたのその服、かっこ悪いね」と、ためらわずに言います。
不思議なことに、はっきりしているからとはいえ嫌な気分にはなりません。
むしろはっきり言ってくれるから、何が言いたいのかがよくわかり、理解しやすいのです。
存在感を出すためには、はっきりものが言えるようになることです。
はっきり話せるようになるだけで、忘れられる会話から、心に残る会話になるのです。
大人と子どもの大きな違いに「自分の価値観を持っているかどうか」があげられます。
あなたは自分の価値観を持っていますか。
自分の価値観で行動していますか。
自分の価値を持っていない人は、往々にして周りに流されます。
「周りの人がしているから、私もやります」と言って、周りに流された行動をしています。
自分に合わせるより、周りに合わせて行動しているのです。
それは本当のあなたの行動ではありません。
周りに流された行動なのです。
大人になりたいと思うなら、もうそろそろ「自分の価値観」で行動することです。
グループから抜け出し、自分の価値観で行動していくのです。
「みんながやっているから」は卒業し「私がやりたいから」という自分の価値観で、行動することが大切です。
自分の価値観で行動するとき、人は一匹狼になります。
本当に自分のやりたいことを求めて行動するときには、必ず集団から抜け出す形となり、1人になってしまうのです。
1人になるのは、寂しいことです。
寂しさに弱い人は、特につらいことでしょう。
しかし、本当の自分の人生を生きるためには、この寂しさを乗り越えていかなければなりません。
こういうことを言うと大げさに聞こえてしまいますが、実際はそんなに大変なことではありません。
正直なところ、自分にとって本当に大切なもの(価値のあること)があるなら、むしろ1人になって行動するほうが楽なのです。
自分の価値観を大切にし、集団を抜け出し、自分のやりたいことを大切にするから、大人になれるのです。
もしあなたが周りに流されて行動しているなら、あなたは本当に自分のやりたいことをできないでいます。
「みんながやっているから」を卒業し「私がやりたいから」を大切にする人は、自分の人生を楽しんでいる人なのです。
人は誰でも「自分のことを理解してほしい」という欲求があります。
特におしゃべりな人は、その気持ちが出ています。
「自分のことを理解してほしい、もっと話を聞いてほしい。認めてほしい」という気持ちから、どんどん話してしまうのです。
無口な人も、同じく自分のことを理解してほしい欲求があります。
無口な人は、単に口に出して言わないだけです。
心のどこかでは「自分のことをわかってほしい、理解してほしい」という思いがあります。
これほど、みんなが自分のことを理解してほしいという中で、話を聞きたい人は不足しています。
話をしたい人はたくさんいるのにもかかわらず、話を聞いてあげたい人は大変な人手不足なのです。
実は、この人手不足は、今に限ったことではありません。
話を聞いてほしい欲求は、人類みな共通であり、いつの時代も変わらないため、話を聞いてあげたい人は常に不足しているのです。
話を聞いてあげる人の需要は、常に高いのです。
そうしたとき、あなたの出番です。
あなたが話を聞いてあげる側に回ると、相手からとても重宝がられます。
ただ話を聞いて、理解してあげるだけで、相手からとても感謝されるのです。
テレビに出演している癒やし系タレントは、いつも、話す側より聞く側になっています。
聞く側に立っているから、癒やし系になれたのです。
もし癒やし系タレントが、ずっと話してばかりでは、もはや癒やし系ではなくなります。
話をするのが大好きな芸人になるでしょう。
話すより聞く側に回って、相手を理解します。
理解して、相手を認めます。
これが話をする側にとっても、この上ない「癒やし」です。
自分の話を聞いて理解して認めてくれる人が少ないからこそ、余計に癒やし効果があります。
話を聞いてくれた相手は、最後にこう言うでしょう。
「話を聞いてくれてありがとう」と。
存在感を出すうえでやってはいけないことなのに、皆さんがやりがちになっていることがあります。
大声です。
存在感を出すことが下手な人は、大声を出してアピールしようとします。
実際、大声を出して存在感を出そうとすると、周りの迷惑になります。
レストランで大声を出してアピールしようとすると、ほかに食事をしている人に迷惑になります。
また電車の中にいると、大声を出して携帯電話で話をしている人を、ときどき見かけます。
大声を出すことで「自分は今、楽しんでいる」とアピールしているようです。
しかし、周りに迷惑をかけていることに気づいていません。
そういう人に限って、集団で行動ができないのです。
大声を出して存在感をアピールしたところで「非常識な人」と思われてしまうだけです。
大声を出して、存在感を出そうとするのはやめましょう。
大事な場面で失敗をしてしまい、落ち込むことがあります。
当然のことながら、普通はとても落ち込んでしまうものです。
しかし、こんなときにこそ笑っている人には、強さを感じます。
特にこれはテレビタレントの人が得意なことです。
タレントさんが出演するクイズ番組では、大事な場面に限って、答えを間違えることがあります。
見ている視聴者であるこちらまで本人のがっかりした気持ちが伝わってくる瞬間さえあります。
「相当落ち込んでいるだろうな」と同情してしまいますが、そんなときにタレントさんはどういうわけか決まって笑っています。
普通は落ち込んでしまうところで、にっこり笑っているのです。
本当は落ち込んでいるものの、自分のテンションが下がってしまうと、視聴者やスタッフの気分までも下げてしまうからです。
その場の雰囲気を壊してしまうことさえあります。
だからこそ、自分のせいで雰囲気が壊れないように、にっこりしているのです。
これが、芸能人の強さです。
自分のことばかりだけでなく、周りのみんなのことをきちんとケアしながら行動していく人には、立派な人間性を感じます。
人間関係の多い芸能界はストレスに満ちている世界と、芸能人の裏話で聞くことがあります。
つらい場面こそ、にっこり笑っている芸能人には「これから大きくなりそうだな」という大きな存在感を期待してしまいます。
自分が落ち込むところで周りの雰囲気を大切にし、にっこり笑える人は、強い人なのです。
私には、コンプレックスがあります。
私には何でもかんでも気にしすぎてしまうという欠点があります。
いわゆる「気にしすぎ」というやつです。
ささいなことでも、疲れ果てるまで深く考え込んでしまう性格があります。
「なぜそんなに深く考えてしまうのですか。気にしなければいいだけなのに」
と言われてしまいそうですが、私だって好きでこの性格になったわけではありません。
私も、なんとかしたいのです。
これは、もともとあった私の性格です。
誰かの影響を受けたわけでもなく、何かの真似をしたわけでもなく、生まれたときからこの性格でした。
いちばん昔の記憶にさかのぼると、3歳にまでさかのぼります。
3歳のころに住んでいたマンションでの記憶ですが、そのころにはすでに考える性格であったのを記憶しています。
お母さんが私をあやそうとしたとき、私は心の中で「なぜ、僕を笑わせようとするのかな」と考え込んでいました。
この性格は、先天性なのです。
考えすぎて、ノイローゼになりかけたこともあるくらいです。
文学の大文豪といわれる芥川龍之介は、最後は自殺で亡くなりました。
芥川龍之介はノイローゼの生活を送っていたといいます。
その気持ちは、私もわかります。
思考が深くなると、歯止めが利かなくなり、どんどんうつのほうに傾きます。
底なしの谷を転げ落ちるかのようです。
私は初め、この性格にコンプレックスを持っていました。
考えすぎとは、本当に精神を消耗する性格です。
あっけらかんと生きている人たちを、うらやましく思っていました。
人生の転機は、21歳のときに訪れました。
出会ったある女の子のおかげで、この短所を長所に「考え変えること」ができました。
短所が大嫌いだと言っているのは本人だけで、周りから見れば長所に見えてしまうものです。
私は自分の考えすぎという短所を「文章を書く」という能力に生かすことで、今までの悩みのタネが武器になってくれました。
おかげで今では、ピアノを弾くようにすらすら文章が書けてしまいます。
ある人から「いろいろなことを知っているんですね」と言われたことがあります。
私には日常考えていることを文字にしているだけです。
昔から考えていることですから、自然体です。
むしろ、書けば書くほど、心の中にあるストレスを外に吐き出せます。
書き終わるとすっきりします。
書けば書くほど、元気になってしまうのです。
余計にやめられません。
いまやこれが、私の長所になりました。
案外自分の短所は、実は長所であったりします。
自分のコンプレックスを考え改めてみましょう。
あなたのコンプレックスは何ですか。
それがあなたの長所なのです。
信じられないかもしれませんが、今まで引っ込めていた短所を、押し出すようにして前に出していけば長所に早変わりします。
あなたのコンプレックスは、あなたにとって存在感をアピールできるいちばん長所になるのです。
存在感を出すために、上手にうまくこなすだけが手段ではありません。
思いきり下手な人でも、下手は存在感を出すことができる武器になるのです。
たとえばカラオケでも、ときどき天才的な音痴の人がいます。
音痴でいるにもかかわらず、音痴さんが1人いてくれるだけでカラオケはとても盛り上がります。
単純に面白いのです。
私の中学校時代にも、池内君という音痴がいました。
中学の文化際では、私は池内君の隣で歌を歌っていました。
案の定、歌の音程がずれていて、私を含めた周りにいる人たちを笑いの渦に巻き込みます。
池内君の間違った音程をずっと聞いていると、どれが正しい音程なのか途中でわからなくなってしまったくらいです。
池内君は学年では成績優秀というわけではありませんでしたが、音痴に関しては成績優秀で常にクラスでトップでした。
誰も池内君の音痴にはかないませんでした。
SMAPの中居君も、音痴で有名です。
音痴であることでしばしば注目を浴び、歌っているときもつい中居君の声に耳を傾けてしまいます。
ほかのメンバーのほうが、歌がうまいのに、下手な人のほうが、存在感があるのです。
しかし、下手だからとはいえ、不思議と悪い気はしません。
むしろ、ほほ笑ましい気持ちになれます。
もし中居君が歌を上手に歌ってしまえるようになったら、ファンはがっかりしてしまうのです。
存在感の出し方を間違えている人がいます。
「存在感を出すには、偉そうにすればいい」と思っている人です。
存在感を出すとは、偉そうにすることではありません。
むしろ腰を低くして、謙虚になることです。
正しい存在感の出し方は「志を高く、腰を低く」です。
できる人ほど志を高く持ち、相手の気分を害さないように腰を低くしているのです。
礼儀のある民族として知られるユダヤ人は、礼儀を大切にしています。
ユダヤの聖典には、こんな言葉があります。
「魚は水がなくなると死ぬが、人は礼儀がなくなると死ぬ」
成功するにつれて、腰を低くして生活しなければ、ある日突然財産を没収されることがありました。
迫害されて、自分の国を失った歴史を持つユダヤ人だからこそ、この言葉が生まれたのでしょう。
礼儀があってこそ、人間です。
礼儀を磨けば、より素晴らしい人間になれます。
世界な偉業を成し遂げた偉人には、ユダヤ人が目立ちます。
アインシュタイン(物理学者)、エジソン(発明王)、ルーズベルト(元アメリカ大統領)、チャップリン(喜劇王)。
マルクス(思想家)、ピカソ(画家)、シャガール(画家)、フロイト(心理学者)、スピルバーグ(映画監督)。
いまやユダヤ人は、優秀な民族の1つになりました。
世界から冷たい目で見られやすい条件だったからこそ、人一倍志を高くし、腰を低くしていたのです。
「忙しい、忙しい」が口癖になっている人がいます。
「自分はそんなに暇じゃない。それだけ必要とされているんだ。それだけすごい人間なんだ」
と思っているのでは、まだまだ小粒です。
自分はこんなに忙しいんだとアピールしても、かっこいいとは言えないのです。
品位も感じられないということに、気づいていないことは情けないことです。
本当に忙しいならいいのですが、人間そこまで忙しいということは、そうあることではありません。
人間、本当に忙しくなったら、人間として大変なことになります。
忙しいという漢字は「心」を「亡くす」と書きます。
つまり忙しいというのは、心を亡くしている状態なのです。
心を亡くしてしまうまで仕事をしている人は、偉い人ではなく、ただ自分の自己管理を怠っているだけです。
もう人間ではないのです。
忙しい人は、もう心をなくしてしまっているからです。
できるだけ「忙しい」と言わないことです。
忙しいと言わない人は、自己管理がきちんとできている人です。
自己管理がきちんとできているから、忙しくなって心を失うなんてことはないのです。
忙しいと言わない人間になることで、相手には「自己管理ができている人だな」という存在感をアピールできるのです。
今、メジャーリーグで大活躍している松井秀樹さんは、いまや日本国内だけでなく、世界的にも有名な野球選手になっています。
松井選手の強さは、力強いホームランにあります。
読売巨人軍にいたころから、力強いホームランを打っていました。
松井選手は、常にホームランを打つというわけではありません。
どちらかといえば「たまに」といった感じです。
この「たまに」が、松井選手の脅威でもあり、存在感でもあります。
常にホームランを打つなら、投手も心構えをしやすいです。
がしかし「たまに」大きくホームランを打ってしまうところに、注目が集まります。
「今回は打ってくれるかな」と、期待が膨らむのです。
ライバルも「さあ、次はどうだ」といった感じで安心できないのです。
存在感は、いつも勝ち続けている必要はありません。
「たまに」でいいのです。
たまにのほうが、アピールできるのです。
日本人の相手を傷つけたくないという風習から「ノー」と言えない人がいます。
日本人は、何でもかんでも「イエス」とばかり答えてしまう民族と思われています。
何でもかんでも「イエス」とばかり答えていると、たしかにいい人だとは思われますが、存在感はありません。
ただの「お人よし」と思われるだけです。
お人よしはたしかに悪い印象は与えませんが、その代わり存在感も出すことはできないのです。
存在感は「ノー」と言う人にあります。
いやなものは嫌だとはっきり断ることができる人は「おっ、自分の主張を持っているな」と一目置かれるのです。
存在感は「余裕」から出てきます。
余裕を持っている人は、一見何もしていませんが、逆に強さを醸し出しています。
特に学校のテスト直前には、存在感のある人とない人の光景を目にできます。
テスト試験の直前には、本番の直前まで必死に勉強しているものです。
そんな中、テスト直前でも、何も勉強しないで余裕を持っている人を見かけると「テスト対策は十分なんだな」と感じます。
やけにオーラが出ています。
「余裕」というオーラが出ているのです。
実際のところ、テスト対策を十分にしておけば、直前になって焦って勉強する必要はなくなります。
それが、テスト前の余裕という態度に表れるのです。
自分の力の持ちようを、逆に余裕という「空白」でアピールしてみると効果的です。
空白は何もありませんが、そこには余裕が感じられるのです。
異性の要素を取り入れてみませんか。
男性なら、女性らしい雰囲気を含みます。
女性なら、男性らしい雰囲気を含みます。
大部分ではなく、わずかに含めます。
世間のイメージと違う一面が見えると、魅力を感じます。
たとえば、筋肉質の男性が、ピアノを演奏できると「おや」と思います。
男らしいと思いきや、繊細なこともできると、色気があります。
男性に、女性のような繊細な一面が感じられるというギャップです。
逆に女性にも、男性のような一面があると、どきっとします。
いつもは落ち着いている女性が、恋愛になると度胸を出して大胆な行動に出ると、どきっとします。
女性に、男性のような一面が感じられるというギャップです。
男性と女性は、真逆です。
真逆というギャップが、より魅力を高めてくれます。
自分の中に、異性の一面をつくってみませんか。
魅力の1つになることでしょう。
存在感は、豊かな表情から生まれます。
表情が豊かな人は、それだけで存在感があります。
私がアメリカに留学していたときに感じたことは、アメリカ人は表情が豊かだなと思ったことです。
ささいなことでも、言葉より、表情で表現します。
私がバスで通学途中に、うっかりアメリカ人の足を踏んづけてしまったことがありました。
そのときは何も言ってきませんでしたが、嫌な顔をしていたのを今でも覚えています。
足を少し踏んでしまっただけですが、ひどく迷惑そうな表情を、今でもよく覚えています。
もう何年も前のほんの3秒くらいの出来事なのに、いまだに覚えているというのは、あらためて考えてみるとすごいことです。
それだけ表情には、人の心に訴えかける力があるのです。
テレビの中で感動的なシーンでは、感情移入して泣いてしまうことがあります。
よく泣くことで知られている徳光さんも、よく泣いています。
私も徳光さんを見ていると、つられて泣いてしまうことがあります。
いわゆる「もらい泣き」です。
泣いている表情を見ていると、言葉以上に感動が伝わってきます。
泣いているだけでなく笑っている顔や楽しそうな顔でも、同じです。
楽しそうな人といると、こちらまで楽しくなってくるのは、楽しそうな表情から楽しみが伝わってくるからです。
表情には、言葉以上に感動を伝える力があるのです。
表情が豊かな人には、それだけ感動を伝える力があるということです。
表情が豊かな人には、花があります。
芸能人でも、ポーカーフェイスの人より、泣いたり笑ったりと表情が豊かな人のほうが、人間味があふれています。
自然と存在感まで出ています。
存在感は、表情が豊かな人にあるのです。
自分の両親には、大きな存在感があります。
生まれていちばんにお世話になっているからでもあり、自分のことを最も理解しているからでもあります。
理解のある親には、大きな存在感があるのです。
私は中学時代、荒れている人間でした。
言葉遣いも態度も、ダメでした。
「うるさい」「ばかやろう」という言葉遣いが悪い時期がありました。
ごみ箱を蹴ったり、乱暴にドアを開け閉めしたりなどもありました。
問題児だったのです。
あるとき、私は複数人の先生からひどく叱られたことがありました。
しかも、親も呼ばれて、話し合いです。
何人もの先生に囲まれて、みっちり話し合ったことがありました。
「この際だ」と思い、今の自分の置かれている状況について、正直に話をしました。
何時間にも及ぶ、長い話し合いでした。
そうすると、心のわだかまりもどんどん消えていったのです。
怒りも不満も、口にすれば収まります。
私の理解不足が原因でした。
親と子の亀裂は、理解不足から生まれます。
私の正直な話を親が聞き、理解してくれたことに、親の心の寛大さを感じたのです。
親が私を理解してくれたから、救われました。
「親は私のことを理解してくれたから、私も親を理解しよう」
そう考えるようになったのです。
理解のある人は、大きな存在感があります。
親の存在感とは、理解力から表れます。
日本のことわざに「不言実行」という言葉があります。
「不言実行」とは「口では何も言わないが、行動はしっかりしている」という意味です。
その人の本当の考えや気持ちは、口からではなく、行動からわかるということです。
普段の行動から存在感もにじみ出てきます。
「必ずやります」と言っている人でも、実際の行動が伴っていなければ「嘘つき」と言われます。
しかし、口で何も言わなくても、実際の行動がしっかり取れる人には、存在感を抱いてしまうのです。
誤解されたときに必要以上に説明していると、言い訳に聞こえます。
たとえ本当のことでも、必要以上というのは、それだけで説得力をなくしてしまうのです。
説得力をつけるために、必要以上は避けることです。
何度も何度も言っていると、子どものように見えてしまいます。
誤解をされてしまったときに、自分の誤解を解こうと説明してしまいますが、あまり説明しすぎないようにしましょう。
時には、まったく説明する必要さえないときもあります。
自分のことを理解してくれるだけの器のない人には、どれだけ話したところで、わかってくれないことはわかってくれないのです。
それに自分のことを本当に理解してくれる人だけを選んで、一生懸命になることも大切なことです。
本当に理解しようとしてくれる人には、一生懸命説明すればいいのです。
私は理解してくれない人には、自分の話はまったくしないことにしています。
私の時間も無限ではないため、やりたいことのために時間を最大限に活用しています。
それでも私を振り向かせてくれるほど理解したい気持ちを持った人がいらっしゃいます。
そういう人には、私は初めて話をすることにしています。
案外、私の友人は私のことを知らないのです。
友人に大切な話をしても気づいてくれない人には話をしません。
きちんと勉強しようという志を持った人にだけ、私も一生懸命になって話をします。
私は誤解されても気にしないことにしています。
誤解されて必要以上に話をしても、言い合いになってしまうだけだからです。
きちんと聞く姿勢を持った人に、しっかり話をするのです。
新しい出会いを求めるなら、行動するに尽きます。
出会いは、行動から始まります。
出会いがあってから、初めて行動するのではありません。
行動するからこそ、そこに出会いがあるのです。
人と出会いを求めるなら、行動することです。
ときどき「いい人はいないかな」と言っている人がいます。
いい人は、いっぱいいます。
ただ自分が、気づいていないだけです。
行動しないでいるため、気づかずに素通りしてしまうのです。
行動を起こして実際に話をする機会を持つことで、相手のことがだんだんわかってきます。
相手のことがわかってくると、親しみが湧いてきます。
単なる出会いから、理解へと変わるのです。
理解をすれば、相手ともっと仲良くなれます。
すてきな出会いを求めるためには、ただ行動してみればいいだけの話なのです。
「かっこいいね」と言う人は、かっこいいです。
普通は自分が「かっこいいね」と言われたいと思います。
しかし、自分より他人のことを「かっこいい」と言える人は、相手を明るくさせる「サービス精神」を持った人なのです。
楽しむより楽しませる人、つまり「サービスマン」です。
サービスマンは、自分が楽しむよりまず相手を楽しむことに懸命になります。
それは相手に喜んでもらえることで、自分も喜びを感じることができるからです。
レストランのウエイター、ウエイトレスだけがサービスマンではありません。
友人にも、サービスマンはたくさんいます。
エレベーターに乗ったとき、誰より速くボタンを押してくれる人はサービスマンです。
車に乗るときに、ただの運転手になるだけでなく、面白い話もしてくれる人もサービスマンです。
食事をオーダーするときに、相手の分も一緒に頼んであげられる人もサービスマンです。
自分がサービスされて楽しむより、相手にサービスをしてあげて喜んでもらえることに幸せを感じる人は、かっこいい人なのです。
サービスマンは、モテます。
みんなを明るく楽しくさせるサービス精神旺盛な人は、みんなから必要とされますから、常に人気者です。
自然と存在感も出てきます。
存在感のある人は、かっこいい人だけというわけではありません。
「かっこいいね」と言う人も、相手を明るくさせるかっこいいサービスマンなのです。
本当に優しい人は、自分で自分のことを優しいとは言いません。
本当に優しい人は、困っている人を助けるときにわかります。
「私は優しいんですよ」と自分で言っている人は、たいてい困っている人を見ても、見ているだけです。
「優しい」と言いつつ、実際には助けようとしません。
しかし、本当に優しい人は、困っている人を見かけると自分が助けに向かいます。
人が優しいかどうかがわかるのは、行動からです。
口で嘘をついても、行動は嘘をつきません。
私が初めて上京したときは、噂のとおり、朝の電車の中はすごい人混みでした。
まさに缶詰めです。
ある日、電車に乗っていると、おじいさんが乗ってきました。
すると、座席シートに座っていた若者がすかさず立って「どうぞ」と話しかけて、席を譲っていました。
こんなときは「優しい人なんだな」と、心からそう思います。
おじいさんが「ありがとう」と言って喜ぶ顔が、周りの人たちをほほ笑ましい気持ちにさせてくれるのです。
みんなの前で優しくできるようになると、本当の優しさを表現できるようになるのです。
朝のニュースほど、必ず元気な顔のアナウンサーが登場しています。
昼や夕方は、落ち着いた表情のアナウンサーが出ていることに対して、朝は明るい表情が持ち味のアナウンサーがよく見られます。
いつも目がぱっちり開いていて、元気があふれている人です。
朝から元気な人には、存在感があります。
朝でみんな眠い顔をしている中、目をぱっちり開けている人を見ると「元気な人だな」と思います。
朝のニュース番組が爽やかである秘密は、アナウンサーの元気な顔です。
アナウンサーが、睡眠不足の表情でニュースを読み上げていれば「大変そうだ」と思います。
見ている側まで、暗い気分になるでしょう。
しかし、明るい顔でニュースやお天気情報を聞いていると「さあ、今日も1日頑張ろう!」と、張り切っていけます。
朝のニュース番組は、ニュースやお天気情報だけを伝えているのではありません。
元気を、日本中に伝えているのです。
どんな分野でも一生懸命になっている人には、ひときわ輝く存在感があります。
どんな分野でもかまいません。
存在感を手に入れたいと思うとき、自分の行っていることに本当に一生懸命になっているのか、振り返って見ることが大切です。
自分の行っていることが他人から見て、一見ばかばかしく見えても、ずっとやり続けていくうちにその一生懸命さが伝わってきます。
一生懸命な人には、オーラが漂っているからです。
存在感の正体は、実は一生懸命という「オーラ」だったのです。
アニメの主人公は決まって存在感があります。
主人公だから存在感があるのではありません。
一生懸命だから存在感があるのです。
一生懸命な人は、誰でも主人公なのです。
誰かに負けてしまっても、あなたが一生懸命に全力を持ってやったことなら、ほとんどの人が、一生懸命になるのを忘れています。
心のどこかで「まあ、いいか」と諦め、もう一歩一生懸命さが足りません。
オリンピックの選手は、勝っても負けても涙を流します。
それは、本当に一生懸命だったから涙を流してしまうのです。
一生懸命に、勝ち負けは関係ないのです。
オリンピックの選手に存在感があるのは強いからではありません。
心の底から一生懸命になっているからです。