私が以前に、サンフランシスコへ旅行をしたときのことです。
ある広場に観光に行ったとき、ちょうどダンスの発表会のようなイベントがありました。
歩き疲れていた私は、椅子に座って、昼食を取りながら、そのダンスの発表会を見学していました。
見学していると、ダンスに慣れた人たちが参加していることに気づきました。
初めは初心者向けかと思っていると、ダンスに慣れているプロのような団体だということが、素人の私でもわかりました。
ルンバやチャチャチャに合わせて踊っている人を見ている人は、私だけではなく、ほかにも大勢いました。
踊る気持ちを抑えきれなくなったのか、あるご夫妻が、一緒に踊り始めました。
初めは「恥ずかしくないのかな、あまり踊りがうまくないな」と思っていました。
しかし、ずっと眺めているうちに、感じ方が変わってきました。
とぼとぼご夫妻が踊っている姿を見て、私は単純に「楽しそうだな。幸せそうだな」と、羨ましく思いました。
白髪の、年齢は70歳近くになるでしょうか。
わかるのは「年配のご夫妻」であることと「とにかく踊りを楽しんでいる」ということだけです。
嬉しそうに踊っているご夫妻は、ダンスが上手とはいえませんでしたが、会場の中で一番踊りを楽しんでいるように見えました。
楽しそうに踊っている姿があれば「それでいい」と思いました。
そこで完結しているのです。
成長や向上を求めるのでもなく、ご夫妻が音楽に合わせて楽しんでいる姿が「素晴らしい幸せではないか」と感じてしまうのです。
私たちは、幸せと言えば「お金」「地位」「肩書」などを連想してしまいます。
しかし、本当の幸せは、そうしたことは一切必要ないことに気づきます。
白髪のご夫妻がとぼとぼ踊るダンスを楽しんでいたように、それだけでいいじゃないかと思うのです。
楽しんでいる姿、喜んでいる姿そのものが、すでに幸せの時間なのです。