人間には、2種類の人がいます。
「汚す側の人間」と「きれいにする側の人間」です。
どちらの人間になるのかは、ごみに対する態度で決まります。
街を歩いていると、ポイ捨てをする人がいます。
いらなくなったごみができ、処分に困ったのでしょう。
近くにごみ箱がないので、仕方なく適当な場所にごみを捨て、後は知らないふりです。
ごみのポイ捨ては、街を汚しているのと同じです。
「誰かがごみを拾うだろう」「清掃員が片づけてくれるだろう」という考えはよくありません。
たしかに誰かがきれいに掃除してくれるかもしれませんが「ポイ捨てをした」という事実に変わりありません。
ごみのポイ捨てをする人は「自分さえよければいい」という考えを持っています。
自分勝手で周りの迷惑を考えていません。
ごみをポイ捨てする人は、そうした汚れた心を持っています。
ごみをポイ捨てすればするほど、心が汚れていくのです。
ごみをポイ捨てしないことです。
「誰も見ていないから大丈夫」と考えるのはよくありません。
誰も見ていないところであっても、神様が見ています。
ごみのポイ捨てをする人は、神様から失望されます。
「そういうことをする人だったのですね」とがっかりされます。
あなたがポイ捨てをしたごみは、誰かが拾うことになります。
タバコのポイ捨ては言語道断です。
捨てる場所が悪ければ、火事につながる可能性もゼロではありません。
ポイ捨てをするくらいなら、自宅に持ち帰ったほうがましです。
心をきれいにしたいなら、ごみを拾う側の人間になることです。
きれいにする側の人間になりたいなら、ごみを拾いましょう。
足元にごみが落ちていたら、それを拾ってごみ箱に捨てるだけでいいのです。
難しくありません。
拾って捨てるだけですから簡単です。
仕事や労働と言うほどでもなく、一瞬で終わるでしょう。
小さなごみならちょっとつかんで、そばにあるごみ箱に捨てるだけです。
ごみを拾える人は「きれいにしたい」「整えたい」という心がある証拠です。
ごみを拾えば拾うほど、心はきれいになって運もよくなる。
ごみを拾うだけで、あなたは神様になれるのです。