人間はもともと弱い存在です。
弱いために見栄を張って強く見せたり、自分の存在に価値を付加させたいために肩書を求めたりします。
評価されるために体裁を気にします。
このように人間は、弱いからこそつまらないことを求めてしまう性質があります。
あなたも考えたことはありませんか。
やりたいことを見つけるときに、かっこよさを基準に決めてしまうことを。
服を選ぶときには、自分が好きな服より、他人から見てかっこいいかどうかを基準に決める。
試着するときには自分が気に入り決めればいいものを「似合う?」と言って他人の評価を軸に決めたがる。
高校を選ぶときも、授業の内容ではなく、高校の名前や制服のかわいさかっこよさで決めてしまう。
本来なら、自分の人生なのですから自分が感じる「楽しさ」や「好み」に引かれるのが、一番正しい選び方です。
他人に「どう思う?」と尋ねる姿勢は、自分に自信のない表れです。
自信がないから「すごいね」という一言を言われたいために、無駄な努力と膨大な時間を費やします。
自分の好みより、他人にどう見られるかによってやりたいことを決めてしまう生き方は、完全に人生を脱線させているのです。
たとえば仕事です。
お金が稼げるから弁護士になりたい、かっこいいから医者になりたい、モテるからホストになりたいと考える人がいます。
他人から見られることが基準になっているため、自分の気持ちに正直でない道は、やる気がついてこず、途中で挫折してしまいます。
「何のためにやっているのだろう。自分は本当にこれを望んでいるのか」
壁にぶつかるたびに、こうした自問自答を繰り返すようになり、積極的な行動ができなくなってしまうのです。
見栄、体裁、世間体、肩書に振り回された行動は、自分のためになっていない行動となるのです。
本当に心から望んでいることは、壁にぶち当たったときこそ、自分で考え自分の力で何とかしようとします。
好きなことや楽しいことは、自然と周りの目など気にならず集中でき、身につきやすくなります。
本当に大切なことを選ぶ基準は「楽しいかどうか」「好きかどうか」で決めることが重要なのです。
才能もひもをほどいて元をたどれば「楽しい」や「好き」がスタート地点になっています。
得意なことが好きになる場合もあれば、好きなことが得意なことになるケースもあります。
どちらにせよ「好き」や「楽しい」が必ず付いていないと、能力が伸び悩んでしまいます。
見栄や肩書、体裁から始まった才能は、1つもありません。
常に自分の100パーセントを表現できることが、才能へと変わっていくということなのです。